ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★
~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
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A. FOSTER
★ |
A.FOSTER エー・フォスター ベルリンピアノ製造株式会社 日本(浜松市)
似た名称で”フォルスター/FORSTER”(同じベルリンピアノ製造株式会社)や、
”フォスター/FOSTER”(大和楽器製造株式会社)というブランドもあるので要参照 |
A. GRAND |
ドイツ 創業1869年 詳細不明 |
ACACIAN
★★
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アカシアン
エビスピアノ製作所(飯田一郎)、アカシア製作所(後のマイシュナーピアノ製作所)
※ピアノブランド名はアカシアン(ACACIAN)だが、会社名はアカシア(ACASIA)製作所
戦争中は東洋航空機として木製飛行機を作ったが、戦後(株)アカシア製作所を再興、
アカシアンのブランドで昭和26年まで製作されたようです。
後にマイシュナーピアノ製作所となりました。
1965年頃まで、兵庫県伊丹市の北の外れに広大な敷地のピアノ工場がありました。
ACACIAN時代は出雲出身の飯国一族の経営。
会社が解散した後MEISCHNERと名前を変えて故・町田幸重氏が引き継ぎました。
しかし、2度も続けて重加算税を支払う羽目に陥り、存続できなくなったと伝えられています。
創業時期は太平洋戦争前だが詳しい時期は不明。
町田氏は、高知出身で、高等小学校卒業後、アカシアピアノ製作所に木工見習で入り
ピアノの設計や調律を習得。
独学で英語やドイツ語の専門書を読む大変な努力家だったようです。
その後、海軍に入り傷痍軍人として退役。
会社を辞めてからは、個人的に調律師として活躍。
全国ピアノ技術者協会会長。
後に社団法人日本ピアノ調律師協会設立に尽力し、その初代会長。
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ACCORD |
アコード ロシア(旧ソ連)製 詳細不明 |
ADAM GERHARD |
ドイツ製 アダムゲルハルド 詳細不明
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ADELSTEIN
★
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アーデルスタイン 日米楽器工業所(アトラスピアノ社の前身) 浜松
アーデルスタインのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
ADOLPHGEYER |
ドイツ製 アドルフガイヤー 詳細不明
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AEOLIAN
★★

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エオリアン
ウィリアム・B・トレメインによって1883年に創業。
エオリアン社の社名は、風によって鳴る楽器「エオリアン・ハープ」から由来して名付けられた。
ウィリアム・B・トレメインによって設立されたこの会社は、長い間自動演奏ピアノの市場を独占していた。
この会社の名称は1897年にエドウィン・ヴォーティーが開発した空気式の自動演奏ピアノ「ピアノラ」で
知られるようになった。しかし、エオリアン社を一気に大企業へ成長させたのは、その後に発売された
リプロデューシング・ピアノ「デュオ・アート」でした。
「デュオ・アート」は精巧な機構をもった楽器で、ロール紙に記録された演奏者による細かいニュアンスや
強弱をとても正確に読み取ることができたという。
この楽器の成功によって会社は高い地位を得て、ニューヨークにエオリアン・ホールを建設し、また、
チッカリングやメイソン・アンド・ハムリン、クナーベなど、数多くの有名なブランドを買収するに至った。
ところが、エオリアン社は極めて評価の高いブランドの楽器を生産していたにもかかわらず、その後に
陥った会社存続の危機には勝てなかった。エオリアン社は、不況に加えて非常に品質の劣る楽器を
生産し続けてしまったために財政危機に陥り、1983年にスタインウェイ社の元社長のピーターペレスによって
買収された。ペレスはこの会社の主要な財産であるチッカリングやメイソン・アンド・ハムリン、クナーベなどの
ブランドを売り込むために尽力を注ぐが、なんとか会社のイメージを回復させるまでところまでいったが、
その後も品質の劣る楽器の生産が続いたために、ついにこの有名なメーカーは消滅する時を迎えた。
そして1985年、エオリアン社は生産を中止しました。
<附録>
エオリアン 製造番号/製造年代 対照表(1903年~1930年) →★
エオリアンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
AEUTZER |
AEUTZER アウツァー 竜生楽器研究所(龍生楽器研究所) |
AIZENAHA
★★★

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アイゼナハ
昭和53年に創立した大阪の日本ピアノ(株)で製造していたブランド。
その後、東洋ピアノ製造(株)
高級品にはエゾ松の響板、ドイツのレンナーハンマーを使用していました。
全盛期当時、アップライト10機種、グランド2機種。U-901等。
下のトレードマークは東洋ピアノ製造株式会社になってからのものです。
ちなみにアイゼナハとは、ドイツ連邦共和国の都市名でテューリンゲン州に属する。
音楽家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの出生地としても知られる。
(ドイツ語: Eisenach、アイゼナッハとも)
<附録>
アイゼナハピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1990年~1999年) →★
アイゼナハのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
ALBART |
アルバート トニカ楽器 浜松? 詳細不明
|
ALBERT |
アルバート 東海楽器工業有限公司 台湾(中国)
工場は台中市北屯路。ピアノメーカーとしては極めて新しい社歴で、その製作技法は
西ドイツ最大のメーカーであるシンメル社から引き継いだと言われている。
|
ALBERT HALM |
アルベルト・ハルム オランダ 詳細不明
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ALEXANDER
★
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アレクサンダー 大成ピアノ製造(浜松)、福山ピアノ社(東京) 村瀬克己氏 詳細不明
アレクサンダーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
ALEXANDER |
アレクサンダー ロシア(ソ連) 詳細不明 |
ALEXANDER HERRMANN
★★
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アレクサンダー・ヘルマン 福山ピアノ社(フクヤマピアノ)
昭和20年代に新品の生産が間に合わなかったころ、
主として中古ピアノ(国産)を改装して売り出したもの。
MATERIAL MADE IN GERMANY と書き添えがしてあるものが多い。
部品の一部にドイツ製のものもあるという意味であろう。
現在ドイツにはアレクサンダー・ヘルマンという本物の楽器がある。
アレクサンダーヘルマンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
ALEXANDER HERRMANN
★

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ALEXANDER HERRMANN アレクサンダー・ハーマン (アレクサンダー・ヘルマン)
ドイツ(旧東ドイツ製)
さらに詳しい解説はこちらのページへ →★ |
ALFRED KNIGHT |
ALFRED KNIGHT LTD. アルフレッド・ナイト イギリス
→詳細な内容はKnightへ |
ALLISON |
Allison アリソン イギリス(ロンドン) その他詳細不明 |
ALTENBURG
★


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オルテンバーグ/(アルテンバーグ) ALTENBURG ※元来はドイツ
韓国サミック社
現在は中国パールリバー社?
このピアノは珍しくトレードマーク付いていません。(他にもトレードマークのないピアノもあります)
ピアノ表面(鍵盤近くの鍵盤押さえ部分)にDesigned by STEINBERG, Germanyという
シールが貼ってあってあり、外装は艶消しでモールディングが付いているなど、
一見ドイツ製のように感じますが、韓国のサミック社製造です。現在は中国製造。
写真下のように、中音部ピアノ線の後ろ側の鉄骨部分にはMade in Germanyと入っています。 音色はとても広がりのある音量豊富で豊な音ですが、やや分厚い感じの印象。
シーズニングがあまりなされておらず、音の狂いが落ち着くまで何年もかかった感じです。
<追記情報を頂きました>
アメリカのニュージャージー州にあるエリザベスという町にAltenburgというピアノ屋さん
(ALTENBURG PIANO HOUSE)という店があり、元はドイツで、その後は移民先のニューヨーク、
引っ越し先のニュージャージーでピアノを作っていたそうです。
ネットの情報によると、既に自社での製作は止めており、Otto Altenburgの名前とロゴは
韓国のサミック社が引き継ぎ、現在は中国の会社が作っているようです。
エリザベスでの販売業は今は六代目の子孫が引き継いでいます。
今回この新情報を頂いたニュージャージー州にお住まいの方によりますと、
「オルテンバーグ」に近い発音とのことです。この度は情報を頂きまして誠にありがとうございます!
オルテンバーグのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
AMABILE
★


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アマービレ 東洋ピアノ製造(浜松) 詳細不明
※アマービレとは音楽用語で「やさしく、愛らしく」という意味
アマービレのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★
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AMADEUS? |
AMADEUS? アマデウス 中国広州 詳細不明
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ANNELL |
アネール イタリア 詳細不明
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ANTON WALTER |
アントン・ワルター 詳細不明
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APOLLO
★★★




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APOLLO アポロ
(アポロピアノ)
正式会社名:東洋ピアノ製造(株)
音色は明るくきらびやかな印象のピアノです。
アポロピアノの紹介で特筆すべき事項は、弱音ペダルに採用されている、
M.O.T.方式(Muffler One Touchの略)のペダルです。
これはワンタッチで弱音に出来るペダルシステムでアポロが1978年に特許を取得。
通常、真ん中のペダルは弱音にするとペダルが左下へ下がった状態になりますが、
M.O.T.ペダルシステムのピアノはペダルが下がったままになりません。
個人的にこれのどこがすごいの?とは思いますが、(スイマセン)
このM.O.T.のメカ(我々はこれをガチャガチャと呼びます)がまたよく壊れます。。→★
トレードマークは2本の音叉に囲まれた3個のハンマーヘッドを使ったデザインです。
<概要沿革>
石川隆己前社長自らの設計、指導、製作により、
昭和40年ごろまでは1台1台に毛筆のサインをして世に送り出していたようです。→★
350号などの初期のものは技術者が賞賛した逸品でもある。
石川隆己氏(明治44年生)は山葉直吉氏、河合小市氏らに
教えをうけ、日本楽器から河合を経て昭和9年独立、三葉楽器製作所を作りました。
アポロピアノを製造している浜松の東洋ピアノ製造株式会社の発祥の源は、
1934年にさかのぼり、初代社長であった石川隆己氏が日本楽器および河合楽器で
約十年間ピアノの技術を修行した末に、天竜川の東岸の竜洋町で三葉楽器という
小さい工場を作ったことに始まります。
<歴史>
アポロピアノを製造している浜松の東洋ピアノ製造株式会社の発祥の源は、
1934年にさかのぼる。初代社長であった石川隆己氏が、日本楽器および河合楽器で
約10年間ピアノの製造技術を修行した末に、天竜川の東岸の竜洋町で三葉楽器という
小さな工場を作ったことにはじまります。
このピアノ工場は終戦間際まで稼動していたと伝えられるが、何しろ戦時中であったため
どのような楽器が作られていたかはさだかではない。
東洋ピアノの設立は1948年6月10日と記録されていますが、それ以前の1947年1月に
石川社長は中島飛行機の教官であった大谷藤四郎氏を副社長として有限会社の
東洋楽器製作所を作っている。
終戦直後の混沌とした世相の中で、楽器を作って殺伐とした人の心を和らげ、
少しでも社会に貢献したいというのが2人の目的であったといいます。
最初の従業員は30人くらいで、焼けあとを走り回って材料を掻き集め、
足らないところは戦時中の経験を活かし、いわゆる代用品で補い、低音部の弦は
電線の銅線を巻き付けて、とにかくピアノらしいものを作り上げました。
いづれにしても、戦後最初のピアノを他社に先駆けて作り上げる功績を果たしました。
東洋ピアノ製造株式会社を発足させてからの石川社長の活躍はすさまじく、
その後の30年を懸命に働き続け、この会社をヤマハ、カワイに次ぐ生産台数を誇る
ピアノ製造会社に成長させました。
石川社長は非常に厳格で恐ろしい親方であったといいます。気に入らないアクションが
出来たときは乾燥炉に放り込み燃やしてしまったといいます。
次の社長に就任した長坂晁弘氏は、石川社長時代ながらく経理部長、営業本部長などを
歴任して会社に貢献してきた人で、初代社長とはうってかわって温厚な方であったよう。
「私が引き継いだときにはこの会社は出来上がっていました。私は音楽も好きではないし
ピアノにも精通していません」という謙虚な言葉の裏には、堅実で誠実な人格があります。
この社長のもとでアポロピアノは着実な発展を遂げたのです。
アポロのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★ アポロピアノの保証書
→★
アポロの文部省教育用品審査合格シール →★ アポロアクションレールのシール
→★
アポロ純正キーカバー →★
鍵盤内部(KeyNo.1)に書かれた石川隆己氏の直筆サイン(一九七九年十月検と書いてあるようです) →★
アポロピアノもワグナーピアノも東洋ピアノ製造なのでTPKと入っています(2つを並べた写真)
→★
<機種バリエーション/モデル>
■グランドピアノ
旧式
A-30(長さ152cm)、A-35(長さ206cm)、A-38(長さ231cm)
現行
AX-1(長さ151cm)、AX-2(長さ151cm)、AX-1w(長さ151cm)、AX-2w(長さ151cm)
■アップライトピアノ
旧式
SRシリーズ (黒塗 SR-5、SR-6、SR-7、SR-8)、(生地塗 SR-250、SR-260、SR-552、SR-580)
SSSシリーズ SR-65、SR-85、SR-565 (それぞれに黒塗、生地塗、アンチック塗あり)、A.350など
現行
A120PIERRE、A120LE、A126、A122、A122DX、A126B Imperial、A126CS Imperial、
A133W Imperial、A133M Imperial、A120 Imperial
<附録>
アポロピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1948年~1988年) →★
アポロピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1966年~1999年) →★
アポロピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1999年~2012年) →★
アポロのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
APOLLO |
アポロ アメリカ 詳細不明
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APOLLO & YAKO
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雅歌楽器企業股份有限公司 台湾(中国)
東洋ピアノ製造株式会社との技術提携会社である。
工場は高雄市自強二路にあって従業員は最盛期で330人ほど。
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ARMBACH |
アームバッハ ソ連(ロシア) 詳細不明
|
ASAGA
★

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ASAGA アサガ
アサガピアノ調律所、浅賀ピアノ商会
※ZAUBER(ツァーベル)とまったく同じトレードマークです。
<ZAUBER(ツァーベル)と同じとすれば下記内容> 製造:スワン楽器製造KK(浜松)
発売元:浅賀ピアノ商会(文京区動坂町) ※アサガピアノ調律所とは違うのか?不明
浅賀ピアノ商会(当時:東京都文京区動坂町221)がスワン楽器株式会社に作らせたもの。
トレードマークにはASAGA(浅賀)という文字が入っています。 |
ASAHI |
朝日ピアノが海外向けに出しているブランドとのこと 中国製造
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ASTER ? |
ASTER? 韓国(英昌) 詳細不明
|
ASTIN WEIGHT
★★
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ASTIN-WEIGHT アスティン・ウェイト
創業1959年 アメリカ(ソルトレイクシティー)
住所:120 West 3300 South, Salt Lake City, Utah ♯84115 UNITED STATES OF AMERICA
このピアノ会社は標準化されたピアノの設計を取り入れず、ユニークな手法を取り入れて製造しているのが特徴。
独特な外装がそれを物語っています。
1959年にエドウィン・アスティンとドン・ウェイトがソルトレークシティーに
アスティン・ウェイト社を設立し、1978年にレイ・アスティンが社長に就任。
アスティン・ウェイト社はグランド、アップライトともに限られた台数を製造し、ユニークな点としては
ストラングバックの設計が挙げられる(ストラングバッとは、鍵盤とアクション以外のピアノ本体のこと)
一般的なピアノの場合、響板はピン板の高さまでしかないが、このメーカーは音量と豊かな音色を得るために、
響板をケース全体へ広くしたアップライトピアノを製作。
その結果、普通のアップライトよりも高さが約25cm低いにもかかわらず、大きな面積の響板を確保に成功。
ただ、この斬新な設計は独特な音色をもたらしたと言われているが、設計上の都合で駒を高くしたことにより、
ミュージックワイヤーのエネルギーが余計に吸収され、音がひずむと指摘する批評家もいる。
これはピアノの音質に大きく関わるのは響板の大きさではなく、弦のスピーキングレングス(有効弦長)の方が、
重要ということが広く知られているからだろう。
さらにこのピアノは適切な奥行きを得るためなんと背面の支柱を省いている。
その代わり、弦の張力に耐えられるように鉄の全周一体型フレームを採用している。
このタイプの構造はすでにヨーロッパで50年以上前から採用されてきたものの、技術者の中には
背面の支柱をなくすことは、調律の安定性に欠けるという者もいる。
アスティン・ウェイト社は176cmのグランドピアノも限定的に製造しており、
こちらはアップライトよりもさらに急進的な設計で、一般的なグランドピアノとは違いって、
長辺を持たず、なんとほぼ左右対称の形をしている。
そのため低音部の駒を響板の奥に配置でき、弦長が格段に延びて230cmクラスのピアノに近づき、
また響板の面積も広くなっている。そのためピアノは非常に奇妙な形を呈しており、
蓋のヒンジは低音部ではなく、高音部側で留められている。
アスティン・ウェイト(Astin-Weight)ピアノの製造番号/製造年代 対照表(1965年~2000年) →★
アスティンウェイトのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
ASTORIA
★
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ASTORIA アストリア
タイガー楽器設立の前に、山葉良雄氏の(有)山葉商会という販売店が、
浜松の小さな工場であった共立楽器工芸社(浜松)に作らせたピアノだったと言われています。
※「共立楽器製作所」となっている別資料もあり(要確認) |
ATLANTIC |
アトランティック 株式会社西川楽器製作所 |
ATLAS
★★★



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|
アトラス ピアノ ATLAS PIANO
1954年創業。正式会社名:アトラスピアノ製造会社
当時の会社住所:浜松市神田町1400番地
”アトラス” とは、”(画像)ギリシャ神話で地の果てで天球を支える巨大な神” が由来とされています。
アトラスはピアノメーカーとしては新しい方ですが、その後の発展は著しく、
近代的な生産設備、生産数においてはヤマハやカワイに次ぐものでした。
ただ、そう言われるほど私はこのピアノ自体には出会いませんが。。
性能、音色については総合的にバランスのとれた感じの印象です。
当初アトラスのピアノ工場は、十数畳ほどの小さな場所でした。
頼金忠氏が無一文から出発して、その後わずか20年で
資本金が3億5千万円(最盛期)にも及ぶ会社に築き上げました。
ですが、1980年代に入るとピアノの需要が落ち込み、1986年に事実上の倒産に至ります。
これも時代の流れですね。
<歴史>
アトラスピアノ製造会社は、1955年発足というピアノ製造会社にしては
かなり新しい会社になります。ですが、発足後の発展はめざましく、
近代的な設備の導入をはじめ、ヤマハ・カワイに次ぐメーカーに発展しました。
最盛期3億5千万にもおよぶこの会社の最初は、とても小さな工場からスタートしました。
その人物とは社長の頼金忠氏でした。
彼は無一文から出発し、なんとわずか20年で築き上げたものです。
一代で成功した人々はスタインウェイなどのように通例として仕事に全身全霊を捧げ、
人生の欲望を捨て、さらには肉親の生命を犠牲にしてまでその目的に邁進する者が多い中、
頼金忠氏はその例外であると言ってよいかもしれません。
言い伝えでは穏健な紳士でピアノで演歌を弾きこなし、七段の腕前で空手を楽しみ、
この常に明るく陽気な性格を持っている幸運な社長の半生は次のようなものです。
頼金氏は1926年広島県竹原市の酒造りの頭梁をつとめていた父の10人兄弟の6男として
生まれ、広島師範学校(現在の広島大学教育学部)に進みました。
そこでピアノの演奏に興味を持ち始め、連日練習に励んだのがピアノとのなれ初めでした。
終戦の混乱期は、頼金氏の教師になるという本来の目的性を失わせ、彼を実業界という
正反対の方向に走らせてしまいました。
彼は、明治大学の商学部に進むかたわらアルバイトでピアノの販売に没頭・熱中し、
なんと月間30台も売ったという逸話も。さらに空手の練習にも傾注されたとのことのようです。
このアルバイトはほとんど本職に転化していったと伝えられています。
彼は大学を卒業する直前、1953年に兄との共同で東京の青山に「日響ピアノ」という
店を開業発足させました。しかし彼は販売だけにはあきたらずピアノの製造技術を学ぶため、
兄に日響ピアノの経営をまかせ、浜松にあった遠州ピアノ製造株式会社などで武者修行をし、
自らはピアノ製造メーカーの世界に身を乗り入れました。
アトラスピアノの源となった「日米楽器工業所」は、1955年6月10日に発足。
場所は浜松市の浅田町。発足当初はピアノ職人を数人かき集め、外注依存の組み立て専門の
工場として出発したことに始まります。
どんなピアノにでも付けられるという便利な鉄のフレームを作り、設計書もなしに意外に
品質の良いピアノを次々と生み出していったようです。
当時はこのような組み立てピアノの全盛期で、小さい工場が国内に35~40社ほどもあり、
さまざまなブランドのピアノを作っていました。
当時の日米楽器では「スタンダード」、「ノーベル」、「アトラス」、「アーデルスタイン」などの
ブランドのピアノを作ったと記録されています。
創業2年目である1956年に日本のピアノの創始者である山葉寅楠氏の直弟子の中の一人である
匹田幸吉氏が参加し、この頃から独自の設計のピアノが作られ始め、品質は劇的に向上しました。
この頃、国立音楽大学楽器研究所の主任であった西村武氏に認められ、国立音大の
指定工場となり、販売、技術ならびに資金の援助を仰ぐようになった。
尚、当時国立音大の研究室で作られていた同じ仕様のピアノには、「コンセルバトワール」
というブランド名が付けられていたそうです。
※西村武氏はわが国でも古いピアノメーカーの一つである松本ピアノ出身の技術者で、
ピアノの製造技術を学問的に解明した学者肌の人で、惜しくも49歳で亡くなった。
西村武氏は、わが国のピアノ調律界の元老だった中谷孝男氏と共に、日本のピアノの
品質向上に大きな貢献を果たした人物です。
アトラスというブランドは国立音大の指定工場になった1956年から使われており、
このアトラスという商標はこの西村氏から譲られたものでした。
ちなみにこの”アトラス”とは、遥か西の地の果てで天球を支えているギリシャの
途方もない巨大な神で、西村武氏ご自身の身体は小さかったが、希望は大きい方が良い、
世界を目指そうという主旨で決められたと伝えられています。
<アトラスピアノ画像集>
アトラスの蓋部分のメーカーロゴ →★ アトラスの外装に貼ってある物品税証紙
→★
アトラスピアノの純正キーカバーです →★
アトラスピアノの響板に描かれたアトラス(ギリシャ神話で地の果てで天球を支える巨大な神)
→★
<レア画像>
昭和50年代に納品されたアトラスピアノに付いていたカセットテープ式自動演奏機システム
→★
<附録>
アトラスピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1971年~1990年) →★
アトラスのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
ATLAS JUNIOR |
アトラス・ジュニア アトラスピアノ製造株式会社 |
ATOMOS |
アトモス フローラピアノ製造株式会社 |
AUGUST FORSTER
★★

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アウグスト・フェルスター AUGUST FORSTER
(アウグスト・フォルスター)/(オーガスト・フォルスター)/(オーガスト・フェルスター)
/(アウグスト・フォルエステル)/(アウグスト・フォルステル)
ドイツ(旧東ドイツ)ザクセン地方のレーバウ AUGUST FÖRSTER
チェコにも工場があったが太平洋戦争後に消滅。
1859年に設立されアウグスト・フェルスター社は第二次世界大戦より前に、
クオーター卜ーン・グランドピアノやエレクトロコードのような革命的な棉造の楽器を生み出した。
今日のアウグスト・フェルスターのピアノは、妥協のない細部へのこだわりで知られている。
アウグスト・フェルスター社のピアノは温もりのあるまろやかな音色が特徴で、
低音は力強くよく鳴るのが特徴。高さが116cm~125cmの6つのモデルのアップライトピアノと、
長さが170cm~275cmの5つのモデルのグランドピアノを製造している。
ジャコモ・プッチー二は、ほとんどのオペラをこのアウグスト・フェルスターのピアノで作曲した。
基本的な構造は従来のグランドピアノと変わらないが、エレクトロコードは最低音部の8音を除き、
1音に2本の弦が張られていた。ハンマーは1本の弦だけを打ち、もう1本の弦は短く、かなり弱い
テンションで張られていて、共鳴して振動する。この弦のいろいろな位置に静電ピックアップが
垂直と水平方向に設置され、幅広い音色とアタック特性を拾うことができた。エレクトロコードには
オプションでラジオや蓄音機を取り付けることも可能だったという。
<歴史>
フリードリヒ・アウグスト・フェルスターは、1829年にドイツのオーバーザイファースドルフに生まれた。
家具職人の見習いとして働きだし、空いた時間に楽器の修理を行っていた。
その後、楽器作りへの情熱が高まり、フェルスターはレーバウへ移って、ヒーケと力ール・オイレのもとで
ピアノ製作の修行を始める。
そして、小さな工房を開いて最初のピアノを作り上げ、その5年後の1854年にピアノ職人の試験に合格する。
1862年、フェルスターはレーバウ郊外に工場を設立した。その後、何度となく改修や改築が行われたが、
工場は現在もこの場所にある。
1897年、アウグスト・フェルスターは、 息子ツェーザーに会社を遺して亡くなるが、ツェーザーは
1915年までしか生きられなかった。
さらに今度はツェーザーが、息子のゲルハルトとマンフレートに会社を遺して亡くなる。
ピアノ業界ではよくあることだが、ふたりの息子は異なる特性を生かし、
それぞれのやり方で会社の成長に貢献していく。
この兄弟の場合、マンフレートはビジネスマンであり、
ゲルハルトは革命的な構造の楽器を生み出す器用な製作者だった。
1924年から1931年の間に、ゲルハルトは、チェコの作曲家アロイス・ハーバの作品を演奏するための
クオータートーン・ピアノ (4分音ピアノ。半音の半分の音を出せるピアノ) を数台製作する。
その後、ゲルハルトは、オスカー・フィアリングが1933年に特許を取得した設計に基づき、
「エレクトロコード」と称する電気ピアノを製作した。
現在の工場は、創業者一家4代目のヴォルフガング・フェルスターが所有、経営している。
■機種/モデル バリエーション
アップライトピアノ モデル:Super C
グランドピアノ モデル:170、190、170Rococo
※アウグストフェルスターピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら →★)
AUGUST FORSTERのトレードマークは匿名希望様からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<附録>
アウグスト・フェルスターピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1873年~2000年)→★
アウグストフェルスターのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
AUGUST HOFFMAN
★
このピアノのトレードマーク画像を寄稿して頂ける方へ |
オーガスト・ホフマン/アウグスト・ホフマン 中国
August Hoffmanは、もともとはスウェーデン生まれのピアノブランドだが、
現在は中国遼寧省のピアノメーカー営口東北鋼琴(ドンペイピアノ)で生産。
アウグストホフマンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
AUTO |
オート アメリカ 詳細不明
|
AYAKA

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アヤカ アトラスピアノ製造株式会社 |
AZUMA
※下記画像は参考

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AZUMA アズマ
東洋ピアノ製造株式会社
<ご注意>
左記トレードマーク画像は近年のアポロピアノのもので、AZUMAのトレードマークではありません。
実際のアズマのトレードマークは、上部にある文字の「TOYO」の箇所が、「AZUMA」になっています。
これは参考のために載せています。実際に画像をお持ちの方のご寄稿をお待ちしております。 |
ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
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B. SQUIRE & SONS |
スクワイアー イギリス 詳細不明
|
BACHENDORFF |
シンハイ(星海)のブランド 中国 詳細不明 |
BACHSTEIN |
ドイツのあの有名なピアノ、「ベヒシュタイン」の正しいスペルはBECHSTEINです |
BACHSTEIN
★★
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バッハスタイン(ワタナベピアノ)
ワタナベ楽器店(発売元)、渡辺ピアノ(製造)
新橋の楽器商の渡辺寅雄氏が製作させたピアノで、念入りに作られた数少ないものとのこと。
初め”ワタナベピアノ”と称したそう。
渡辺氏は三田の竹内楽器店の支配人でスタインウェイなどのピアノを輸入したこともある。
バッハスタインのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BACHSTEIN
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バハシュタイン ドイツでベヒシュタインの名が有名になってきた際、いかがわしい商売も生まれ、
ベヒシュタイン(Bechstein)のスペル一文字をわざと変えたインチキ商品といわれている。 |
BACKHAUSE |
バックハウス 昭和32年頃に(有)小野ピアノ製作所で作られていたという記録がある。
|
BALDUR |
バルドール ドイツ 詳細不明
|
BALDWIN
★★★







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ボールドウィン
BALDWIN PIANO & ORGAN CO.
Since1862、アメリカ製ピアノでそのほとんどがスピネットタイプ。
木目を生かした外装が特徴的ですね。
あがき(→鍵盤の沈み込む深さ)がとても浅いのでご注意。
通常のピアノのあがきは10mmですが、このピアノは8~9mm程度しかありません。
日本製ピアノを使い慣れた方はタッチにかなり違和感を感じると思います。
総合的なピアノの作りは、THEアメリカ!という感じです。
その他の特徴としましては、3本ペダルのうち、真ん中のペダルが低音域のみ利きます。
アメリカのピアノにこの方式が多く、ウーリッツァーなどの3本ペダル機種もこの方式を採用しています。
(一般的な3本ペダルの真ん中は弱音ペダル、マフラーペダルです)
その他の特徴としては、チューニングピンへ巻かれるミュージックワイヤーが、
わざと最初に飛び出ささせてから巻き始めており、ボールドウィン独特な特徴です
→★
ボールドウィンのグランドピアノには、特許を取得したAcu-Justヒッチピンが取り付けられている。
これにより弦圧調整を1本づつ個別に行うことが出来る。
また、ボールドウィンのコンサートグランドピアノには、トレブル・ターミネーションという部品の特許を取得し、
この部品によりピアノの高音部の音が明瞭で力強くなり長く持続するという特徴がある。
<歴史>
1873年、アメリカ中東部の著名な音楽教師ドワイト・ハミルトン・ボールドウィンは、
ピアノとオルガンを扱う小売店ボールドウィン・ピアノ・カンパニーを設立。
19世紀の終わり頃に会社が発展してくると、ボールドウィンはオハイオ・ヴァレー・ピアノ・カンパニーと
契約を交わし、D.H.ボールドウィン・アンド・カンパニーのアップライトと、スクエアピアノの製造を委託。
1891年、ボールドウィン・ピアノは低価格のアップライトピアノの製造を開始し、
2年後には中価格のアップライトをエリントン・ピアノ・カンパニーの名で製造するようになる。
19世紀末にはボールドウィンの名で高品質の楽器を製造するようになり、
1900年のパリ万博でグランプリを獲得する。
D.H.ボールドウィンは1899年没。会社を長老教会に遺すが、ボールドウィンの元社員の
ルシエン・ワルシンと、ジョージ・アームストロングは1903年に会社の経営権を買い戻した。
1926年にルシエン・ワルシンJr.が最高経営責任者となり、1964年に亡くなるまで会社に留まった。
1920年代、ボールドウィン社は自動演奏ピアノ、マニュアロ(Manualo)プレーヤー機構の開発で有名になり、
また、シンシナティ大学物理学部の協力の下、電子楽器の実験も行った。
ボールドウィン社が財政的に安定したのは、90cmのアクロソニック・スピネットや、
100cmのアクロソニック・コンソールを生産するようになった1936年からでした。
これらの楽器は1938年から販売された112cmのハミルトン・スタジオ・アップライトの設計、
製作へと繋がった。これは最も人気の高いアップライトピアノのひとつで、
現在目にするボールドウィンピアノの原型とも言えるでしょう。
第二次世界大戦中、ボールドウィン社は飛行機の木製部品を製作などをしていたが、
戦後はエレクトリック・オルガンで成功し、飛躍的な成長を遂げた。
1960年代から1970年代にかけてボールドウィン・ピアノ・カンパニーは金融や電子分野を含む
42社を買収し、ボールドウィン・ユナイテッドとなる。
1963年にはドイツのメーカーであるベヒシュタインを買収。
1987年まで続いたこのベヒシュタインとの関係から、ボールドウィン社は国際的な
コンサート・アーティストへのピアノ提供サービスの仕事を得たという。
1965年、ボールドウィン社は初のコンサートグランドピアノSD-10を製造。
ボールドウィン社の好調さは1983年まで続いたが、この年に金利の上昇に伴い破産を申し立て。
利益性の高いピアノ部門は役員によって買われ、1984年にボールドウィン社はふたたび私有会社に。
1980年代から1990年代初めにかけて、ボールドウィン社はサミック社と提携し、
コリアン・アメリカン・ミュージック・カンパニーを設立し、ハワード・グランドピアノを生産した。
1980年代後半になると、ふたたびボールドウィン社は規模を拡大し、
アメリカのピアノ・オルガン製造会社であるワーリッツァーなど、ピアノ関連会社を買収していった。
その後、また経営に行き詰まり、ふたたび破産を申し立てると、およそ1ヶ月後の2001年11月1日に
ボールドウィン・ピアノ・アンド・オルガン・カンパニーは、ギブソン・ギター・コーポレーションに買収される。
機種バリエーション 140、4024、4026、5040、5045など ボールドウィンのシリアルナンバープレート →★
ボールドウィン天板裏側に貼ってあるシール →★ ボールドウィンならではの美しい家具調外装
→★
ボールドウィンの保証書 →★ ボールドウィンピアノのドロップアクション
→★
ボールドウィン(Baldwin)ピアノの製造番号/製造年代 対照表(1890年~2000年) →★
ボールドウィンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BALLINDAMM
★★

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バリンダム BALLINDAMM
東洋ピアノ製造(浜松)
東洋ピアノ製ということで、もちろんM.O.Tペダルを採用しています。 MOTペダルのガチャガチャ →★
バリンダムのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BALTHUR |
BALTHÜR ポーランド 詳細不明 |
BARBEL
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バーベル 浜名楽器 その他詳細不明
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BARKER |
Barker & Co 詳細不明 |
BAROCK
★★


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バロック BAROCK
浜松の東日本ピアノ製造KKで作っていたブランドの一つ。 →(株)バロック
同社で製造の「クリーベル」などと同じ雰囲気のピアノです。
他に、KEMP(ケンプ)、WESTMINISTER(ウェストミンスター)がある。 その他詳細不明
<付録>
バロックピアノの製造番号/製造年代 対照表(1972年~1990年) →★
バロックのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★ バロックのキーカバー →★ バロックの保証書 →★
バロックのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★
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BARRTT & ROBINSON |
バラット・アンド・ロビンソン BARRATT & ROBINSON LTD. イギリス その他詳細不明
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BARTHOL |
バートール ドイツ 詳細不明
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BARUSTEIN
★
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バルシュタイン(バルスタイン)
宇都宮信一氏が東京月島にあった松本ピアノに依頼して製造。
琥珀のような深い味わいのある音を求めて命名したという。数は少ない。
バルシュタインのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BAUMBACH |
バウムバッハ オーストリア 詳細不明
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BAXHARD |
→BUXHARDの項目へ |
BAXHORD |
→BUXHARDの項目へ |
BECHSTEIN
★★★★



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ベヒシュタイン(カール・ベヒシュタイン) C. BECHSTEIN ドイツ(ベルリン)
繊細な作りと音色で、とても素晴らしいピアノです。
1853年の創業。故カール・ベヒシュタインが1855年にベルリンでピアノ工場を開設したのが始まり。
過去に1929年の世界経済恐慌と第二次世界大戦で工場が破壊、さらに材料が損なわれ、
会社の伝統に終止符が打たれる歴史を持っています。
戦後、アメリカの大手メーカーに買収されますが、ベヒシュタインの真の復活を願うドイツ人により
1986年ベルリンに戻って復活しました。
製造工程の85%以上手作業で行っており、伝統を守りつつ進歩することを求めていきました。
ベヒシュタインはピアノのストラディバリウスと呼ばれる名器で、
ヨーロッパでも屈指の優れたピアノと言うことができます。
1826年生まれの創始者カール・ベヒシュタインは、古代ドイツ民族の一つで、
チューリンジア人の血統を引いているためか、生まれつきの詩的で音楽的才能を持っていました。
そのためか、いつのまにかピアノのメーカーとしての職を選び、22才の若さで当時ベルリンで
最も有名だったペローというピアノ工場の支配人を勤めてました。
彼はペローの工場の現場で4ヵ年間忠実に働いた後に、イギリスとフランスに放浪の旅に出かけ、
有名なパペから経験主義的なピアノ製造の秘法を学び、クリーゲルシュタインという当時の
小型ピアノのメーカーから商売上の駆け引きをおぼえてその見識を広めたといいいます。
その後、1853年にベルリンで創業し1856年に最初のグランドピアノを作り上げました。
カール・ベヒシュタインの作ったこのピアノは、その同年に当時の有名なピアニスト兼指揮者の
ハンス・フォン・ビューローの演奏会に使われ、リストのソナタを弾いたコンサートでは
一躍名声を博したと言われています。
三大ピアノメーカー(ピアノメーカー御三家)の中の1つに数えられるメーカーです。
ピアノメーカー御三家とは→スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインのことを指します。
ベヒシュタインについてはWikipediaに詳しく書かれています
→★
ベヒシュタインの音色は澄みきった細い高音と、よく鳴る低音が特徴。
新しいベヒシュタインのアクションはすべてレンナー社製で、響板にはバイエルン地方の堅いスプルース材が
用いられ、ピン板はデリグニット社製で、最近まで総アグラフが採用されていた。
ベヒシュタインのコンサートグランドは、ベーゼンドルファー同様、総一本張り張弦のため、調律の安定性が良く、
また弦が切れた際には対処がしやすいという利点がある。
20世紀になるころに生産されたアップライトピアノには、より速いレペティション(連打)を実現するために、
ジャックに追加のスプリングが取り付けられ、ハンマーバットに接続されていた。
ベヒシュタインアップライト鍵盤押さえ部分の銘柄マーク
→★ アクションレールに貼られたシール
→★
ベヒシュタインのオリジナルキーカバー →★ 製造から100年以上経つベヒシュタインの響板デカール →★
ベヒシュタインアップライトのマフラー機構は、シンプルかつ理にかなった構造で本当に良く出来ており、
日本メーカーのようにビスを外す手間もなく、バネの勢いで引っかかることもなく大変優れたものです →★
上から3番目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
■機種/モデル バリエーション (後に記載したモデルほど高級機) ※1989年当時の機種バリエーションです
アップライト
S-115(高さ115cm)、S-12n(高さ212cm)、S-12a(高さ212cm)、
S-11a(高さ230cm)、S-8a(高さ250cm)
グランドピアノ
K(奥行158cm/アクリル鍵盤)、K(奥行158cm/象牙鍵盤)、M(奥行180cm/象牙鍵盤)
B(奥行203cm/象牙鍵盤)、C(奥行221cm/象牙鍵盤)、EN(奥行280cm/象牙鍵盤)
<付録>
ベヒシュタイン(C, Bachstein)ピアノの製造番号/製造年代 対照表(1860年~2001年) →★
ベヒシュタインのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BECKER |
ベッカー ロシア(ソ連) 1841年創業 ソ連で最も歴史のあるメーカー その他詳細不明
|
BECKER |
キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ |
BECKSTEIN |
ベクシュタイン ドイツでベヒシュタインの名が有名になってきた際、いかがわしい商売も生まれ、
ベヒシュタイン(Bechstein)のスペル一文字をわざと変えたインチキ商品といわれている。 |
BEHNING
★

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ベーニング
静岡県浜松市豊町3513-2にある朝日ピアノのブランド。中国製造。
<朝日ピアノHPより>
Henry Behning(ヘンリー・ベーニング)
ドイツのハノーバーで1832年に生まれ
ヨーロッパ各地でピアノ製作技術を学び1856年に渡米。
1861年からHenry Behningピアノの製作を開始。
1880年に2代目のHenry Behning Jrをパートナーにして、社名をHenry Behning & Son社と改称。
1894年Henry Behning Piano Companyに社名変更。
日本ではWeber社との提携によりアサヒピアノが製造元となってお届けしています。
ベーニングのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BELTON
★★



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ベルトーン
製造:富士楽器製造株式会社(浜松)、ベルトーンピアノ研究所(浜松)
販売:内外ピアノ社
昭和7年から浜松の天竜川筋の富士楽器製造で作られていたピアノです。
戦時中に軍需工場に転換したが昭和22年にピアノ製造を再開して、
沢山清次郎氏の指導を受け飛躍的に製品が良くなったとのこと。社長は野田満氏。
ベルトーンには愛好者が多く、アップライトの上パネルの一部に
開閉できる装置を付け(特許No481852)、また沢山清次郎氏の発明による
ペダルスプリングの強弱調整装置(特許No453845)を取り付け等の
さまざまな工夫が凝らされていました。
ペダルスプリングの強弱調整装置の写真 →★ (この写真はクリーベルピアノに付いているもの)
沢山清次郎(さわやま・せいじろう)氏のイニシャルを取ってネジ部分にS.Sと入っていますね。
※ちなみにこの強弱調整装置ですが、私の実感としてさほど強弱を変えられない印象です。
ベルトーンピアノは珍しくフレームの下部にもこのようなマークが入っております →★
E.S.T.D. →established 創立・創業
1932 →1932年(昭和7年)
F.G.S. →富士楽器製造
K.K. →株式会社
ちなみに芸大教授でもあったピアニスト、レオニード・クロイツァー氏によって
ベルトーンと命名されたと言われています。
→フレーム内の 「”BELTON” NAMED BY PROF. LEONID KREUTZER」 と命名由来が書かれた部分 →★
ベルトーンピアノの調律検査記録カード →★ ベルトーンアクションに貼られたシール →★
このベルトーンは平成24年に練馬区の力行幼稚園様へ寄贈させていただきました
→★
ベルトーンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BENTLEY
★★


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ベントレー/(ベントリー)
イギリス製(ロンドン)
1906年創業したメーカーで、1991年には生産台数16万台を超えました。
1台しか調律したことがありませんが、音量・ダイナミックにやや頼りなさを感じます。
音色は古いボールドウィンピアノ(アメリカ製)に近い感じですね。
ちなみに車メーカーで有名なあのベントレーとは関係ありません。
<歴史>
ベントレーのブランド名のピアノが初めてショールームに展示されたのは1930年だが、この人気のある
イギリスのメーカーの経営者ダグラス・グローヴァーは、ピアノメーカーの3代目だった。
そのグローヴァー・アンド・グローヴァー社は1830年頃に設立され、多いときには年間500台ほどの
楽器を生産していた。
1906年、ダグラス・グローヴァーが家業を継いだのがベントレーの始まりである。
1911年、ダグラスは思い切って店をロンドンからコッツウォルド丘陵にある使われなくなった紡績工場へ移転。
それからそこはストラウド・ピアノ・カンパニーとして知られるようになった。
ウッドチェスター・ミルの町は移転先としては完璧な立地で、絵のように美しいその場所に1605年からある
5階建ての工場には、1788年に国王ジョージ3世も訪れたことがあったという。
1920年代に生産量は増大し、1930年にダグラス・グローヴァーと息子のリチャードは、
ステューディオという新しいアップライトピアノをベントレーという新たなブランド名で売り出した。
そのピアノはすぐに人気となり、4年後には116cmのグランドピアノも生産するようになる。
ベントレー社は年間3000台のピアノを生産するまでになったが、1938年に工場が火事に遭い、
工場の大部分と機械類が焼けてしまう。それから1週間のうちにベントレー社は道を挟んだ向かい側の
小さな工場へ移った。ベントレー社はイギリスのほかのピアノメーカーなどの助けを借りて、なんとか
9ヶ月後には元々の生産レベルを取り戻した。
第二次世界大戦後、ベントレー社はアクションや鍵盤、響板、ピン板、低音部分に使われる巻線弦などを
自社で作るようになり、事実上すべての部品が自給自足可能になった。
そしてピアノを外国へ輸出して国益を支えるようになり、リチャード・グローヴァーはその貢献を称えられ、
1969年に大英帝国勲章を授与された。
ダグラスのひ孫のデイヴィッド・グローヴァーがドイツでの修行を終えて1962年に経営に加わり、
人気のあったステューディオに代わるコンパクトというピアノを1963年に新たに設計した。
このピアノも人気を博し、1980年代にベントレー社は、その多様な製品によってヨーロッパの代表的
ピアノメーカーとしての地位を確固たるものにした。
ところが、1989年にベントレー社の工場はふたたび火事に見舞われ、生産エリアの40%を失う。
その後、工場はその歴史ある場所に再建された。
1993年、ベントレー・ピアノ・カンパニーはウェルプデール・マックスウェル・アンド・コッド社に買収され、
サウスロンドンの工場へ移された。
2000年にブリティッシュ・ピアノ・マニファクチャリング社が形成され、現在、ベントレー・ピアノは、
コッツウォルド丘陵の元の工場で、オリジナルの仕様で生産されている。
ベントレーの蓋部分の銘柄マーク →★ ベントレーアクション →★
ベントレーのジャックフレンジは樹脂製です(※ジャック自体が樹脂製は良くありますがフレンジは珍しい) →★
ベントレー下パネを開けた部分のフレームに刻印されたブリティッシュメイドのマーク →★
<附録>
ベントレー・ピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1920年~2000年) →★
ベントレーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BERLIN
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ベルリン 阿部ピアノ製作所(浜松) その他詳細不明
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BERNE |
ベルネ スイス 詳細不明
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BERNSTEIN
★★



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バーンスタイン
浜松ピアノ製造株式会社で製造されていたブランド。(当時の住所:浜松市和田町552-3)
のちに協立楽器が販売元になりました。
■機種/モデル バリエーション
TB-220、TB-660
B-127、BU230、BU350、BU380、BU550、BU850、嵯峨野など(協立楽器販売器種)
バーンスタインピアノの保証書 →★ バーンスタインのまくり(ふた部分)の銘柄マーク
→★
バーンスタイン親板内側に貼られた、ドイツ製ハンマーであるABEL(アベル)の使用を示す表示 →★
バーンスタインのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BERYOZKA
★


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ベリョースカ BERYOZKA
ロシア(ソ連) 詳細不明
他のソ連製ピアノにもよくあるRAZNO製です(チャイコフスキーやウラジミールなど)
このメーカーの外装(突き板)はひどく剥がれてきます。
ベリョースカピアノのまくり部分(フタ部分)のブランド銘柄マーク →★
ベリョースカのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★
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BETTING
★
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TH.BETTING ベティング/ベッティング
1887年創業 ポーランド(レグニツァ) その他詳細不明
ベッティングのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BEYER
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バイエル 日本 阿部ピアノ製作所 その他詳細不明
バイエルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BLUEBELL
★
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ブルーベル
光輪楽器研究所(浜松) 昭和31年に設立された工場で、丁寧に作られたピアノであった。
昭和38年以降は記録なし。その他詳細不明。
ブルーベルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BLUEGHEL |
BRUEGHELが正しい →BRUEGHELの項目へ
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BLUESTAR
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ブルースター 日本 詳細不明
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BLUTHNER
★★★

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BLUTHNER(BLÜTHNER) ライプツィヒ
ブリュートナー(ブルッツナー)(ブリュットナー)
ドイツ(旧東ドイツ)旧東ドイツ国家公団 創業1853年。
高音部に4本目の打弦されないピアノ線を張ったアリコート弦(アリコート・スケーリング)を採用。
1872年に特許を取得。この打弦されない弦は自由に共振し、ピアノの高音域に豊かな倍音を与える。
このアリコート弦は実際に鳴らされる音の1オクターブ上に調律される。
作曲家のドビュッシーは、これを誇らしげにピアニストのモリス・デュメニルに見せていたそうだ。
初期の頃のアップライトピアノはオーバーダンパー方式(鳥かご式アクション)を採用しているものがあります。
品質の良い、手仕事生産のピアノで温もりのあるバランスのとれた音色のピアノで、均質な音色にするため、
ハンマーシャンクは取り付ける前に打撃音の音程を揃えるなど、多くの手間がかけられている。
木材は厳選されており、パイン材はメクレンブルク産、ビーチ材はドイツ低山地のもの、スプルース材と
メープル材、ならびにアルダー材は東アルプス産が用いられている。
総一本張りで調律の安定性が向上しており、弦が切れた際の処置がしやすいという利点がある。
ブリュートナーが特許を持つアクションは、1920年代までグランドピアノに採用されていた。
<歴史>
ドイツ・ファルケンハイン(現在のモイゼルヴィッツ)の家具職人だったユリウス・ビュートナーは
1853年にピアノ製作工場を設立した。ブリュートナーは限られた資金で開業したものの、そのピアノは
1854年にミュンヘンで開催された産業博覧会で好評を博し、それをきっかけにライプツィヒ音楽院内の
ピアノを製作するように依頼される。
まもなくして、ブリュートナーピアノの品質の高さは世界中に知られるようになった。
1864年にはアップライトの生産が始まり、従業員137人の会社はライプツィヒ郊外の大きな工場へ移転。
19世紀の終わり頃には、ブリュートナー社はヨーロッパで2番目に大きなピアノ製造会社に成長し、
約5万台を生産するようになる。すべてのピアノは工場から出荷される前にブリュートナー自身によって、
チェックされていたと言われている。
1910年にユリウス・ブリュートナーが亡くなると、会社は息子のマックス・ロベルト・ブルーノが受け継ぎ、
第二次世界大戦までは着実に規模を拡大していったが、戦争中の空襲で工場は破壊されてしまった。
戦後、会社はルドルフ・ブリュートナー=ヘスラーによって再建が開始されたものの、復興には何年もかかった。
東ドイツ政府の管理の下、ブリュートナー社は一時期、ベヒシュタイン社と共同の施設を使用していた。
こうした組織上の問題はあったものの、ブリュートナーのピアノは昔と変わらず手仕事で製作されたため、
かつて賞賛された品質を損なわれることはなかった。
1935年、ドイツ海軍本部はブリュートナー社に対して、飛行船ヒンデンブルク号の中で演奏するための
軽量化されたグランドピアノの製造を依頼し、この飛行船内の演奏はラジオで放送され、ブリュートナーへの
人々の関心が一気に高まったというエピソードも残っている。
ブリュートナー社は1989年に再び民営化され、世界中の音楽愛好家に大切にされてきたブリュートナーは、
今もライプツィヒで製造されている。
現在会社を率いるのは、ユリウス・ブリュートナーの玄孫(やしゃご/ひ孫の子)イングベルトと、
来孫(らいそん/玄孫の子)のクリスティアンとクヌートである。
※ブリュートナーピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら
→★)
ブリュートナーピアノの製造番号/製造年代 対照表(1853年~2000年) →★
ブリュートナーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★
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BOCKLER
★

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ベックラー
BÖCKLER(BOCKLER)
ドイツ人が設計と謳っている韓国三益製。
当時、東洋ピアノ(アポロピアノ)が取り扱っていたようです。
※東洋ピアノが扱っているCHARIS(チャリス)というピアノのトレードマークと同じなのが分かります。
ベックラーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BOG & VOIGT |
ドイツ 詳細不明
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BOHEMIA |
ボヘミア 中国(チェコとの広告あり) 詳細不明
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BOLAND |
ボーランド 香港(中華人民共和国特別行政区) 販売会社名:香港博兰德钢琴有限公司 その他詳細不明 ホームページ:http://www.bolandpiano.com/ |
BOLERO


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ボレロ 東海楽器製造(株)
<東海楽器が製造したブランドを列挙いたします>
■ TOKAI(トーカイ)
■ BOLERO(ボレロ)
■ SILBER STEIN(シルバースタイン)
■ HUTTNER(ヒュッツナー)
■ GOLD STAR(ゴールドスター)
東海楽器に関する詳しい解説は→TOKAI(トーカイ)の項目へ |
BONNARD
★
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ボナール BONNARD
※ブランド名の綴りが「BONARE」となっている別資料もあり(要確認)
製作:大友楽器研究所(大友ピアノ研究所)
販売:アメリカヤ楽器店
大友雅雄氏が製作(協力:松永栄二氏)
別資料では、日米商会(発売元)、大友ピアノ工房(製作)という情報もあり |
BOSENDORFER
★★★★



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ベーゼンドルファー BÖSENDORFER (BOSENDORFER)
オーストリア 創業1828年(1827年) ジャスパーコーポレーション
※2008年にヤマハの傘下企業に。
1827年から、ベーゼンドルファーのピアノは世界中の偉大な作曲家や演奏家によって弾かれ、
賞賛され続けている。世界でもっとも製作に時間をかけるピアノメーカーとして、
ほかのメーカーとの違いを強調するべーゼンドルファー社は、グランドピアノを完成させるのに
4年もの時間をかけるが、その期間の半分は木材のシーズニングに費やされているという。
中音~高音のミュージックワイヤーがすべて1本張り(ループ弦)を採用しているのが特徴。
また、フラッグシップモデルの290インペリアルでは鍵盤の数が97鍵もあります。
通常のピアノは音域A0~C8(7オクターヴと3度)ですが、インペリアルでは
音域C0~C8で完全な8オクターヴもあります。
この黒く塗られた部分をエクステンドキー(エクストラベース)といいます。→★
これらのエクステンドベースが弾かれることは滅多にないが、
響板と駒が拡張されることで、通常の低音域の音に力強さと共鳴が加わる。
ピアニストの混乱を防ぐため、演奏中、このエクステンドキーは蓋で覆われている。
グランドのリム(側板)には堅いスプルース材が用いられており、響板の延長として機能し、
このリムとスケールデザインによって、甘く優しい高音と、基本周波数が強く鳴る低音が実現。
<歴史>
イグナーツ・ベーゼンドルファーは1794年にウィーンで生まれる。
当時ウィーンはヨーロッパ最大の文化都市であり、多くの演奏家や作曲家の本拠地だった。
ベーゼンドルファーは、名高いオルガンとピアノ製作者だったヨーゼフ・ブロッドマン(ブロートマン)
のもとで見習い修業を積んだあと、1827年に会社を設立、1828年にピアノを作り始める。
(ちなみにブロートマンはウェーバーが愛用していたピアノの製作者である)
その2年後(1830年)オーストリア皇帝から「宮廷及び会議所御用達のピアノ製造者」の称号を授けられた。
ベーゼンドルファーが作る楽器は品質が高く、造りが頑丈であったが、当時弱冠17歳だった
フランツ・リストがコンサートグランドを演奏会で弾いたことで、会社の名声は一気に高まった。
リストは単にこの楽器の音色が気に入ったのではなく、そのピアノはリストの激しい演奏スタイルにも
無傷で耐えられるほど頑丈だったのだ。こうしてベーゼンドルファ一はほぼ一夜にして、
世界のピアノメーカーのトップに上り詰めた。
1859年にイグナーツ・ベーゼンドルファーが亡くなると会社は息子のルートヴィヒに引き継がれた。
ルートヴィヒは会社をもっと大きな工場地へ移すが、成長は続いていき、1870年にはさらに広大な敷地へと
移転しなくてはならなかった。そこがウイーン第4区の現在の会社の所在地である。
ルートヴィヒには直系の子孫がおらず、1909年に引退するのを機に、会社を友人の
力ール・フッターシュトラッサ一へ売却した。
そして1931年には、その息子のヴォルフガングとアレクサンダーが受け継いだ。
1920年代の中頃まで、ベーゼンドルファー社は年間わずか数百台のピアノしか製作していなかった。
大恐慌になると生産高は急激に落ち込み、第二次世界大戦末期の数年間は、激戦で社屋が破壊されて
完全に生産が止まった。戦時中、蓄えてあった木材やピアノは薪にされてしまったという。
戦後の復興はなかなか進まず、1950年までは生産高が年間100台を超えることはなかった。
その後、1966年にキンボール・インターナショナル社の社長アーノルド・H・ハビッグが
べーゼンドルファ一社を買収する。
ベーゼンドルファー社の専門技術を活かし、キンボール社のピアノに新たな息吹を吹き込む狙いからだった。
この買収は一般的な買収と違い、両社にとって極めて有意義なものとなり、2002年1月にベーゼンドルファ一社が
キンボールとの提携を解消するまでその関係は続いた。
その後、オーストリアの銀行グループ、バーヴァック(BAWAG-P.S.K.オーストリア労働経済郵便銀行)
の支援を受け、ベーゼンドルファー社は、世界最高品質のピアノを製作する偉大なメーカーの地位を
完全に取り戻した。
ベーゼンドルファーは、ピアノメーカー御三家の中の1つに数えられるメーカーです。
ピアノ御三家とは→スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインのことを指します。
■機種/モデル バリエーション
モデル170cmグランド:鍵盤数88鍵
モデル200cmグランド:鍵盤数88鍵
セミコンサートグランド225cm:鍵盤数92鍵
フルコンサートグランド275cm:鍵盤数92鍵
フルコンサートグランド290cm:鍵盤数97鍵
1989年(平成元年4月)のプライスリストでは価格12,420,000円で当時スタインウェイよりも高価でした。
アップライトピアノ130studio:鍵盤数88鍵(高さ132cm)
ベーゼンドルファーの響板に書かれたサイン →★
<附録>
ベーゼンドルファー 製造番号/製造年代 対照表(1828年~1986年) →★
<上記データより新しい製造番号> 1990年・・・40384 2001年・・・45965
ベーゼンドルファーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BOSTON
★★★



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ボストン BOSTON
所有:スタインウェイ・ミュージカル・プロパティーズ・インコーポレーテッド
製造:株式会社 河合楽器製作所(日本)
ボストン・ピアノ・カンパニーは1991年に、最高音質のピアノを中価格帯で生産するために、
スタインウェイ・アンド・サンズとカワイが提携して作られた会社。
当時のスタインウェイ社の中心的なオーナーたちが、日本の河合楽器製作所に作らせたピアノです。
スタインウェイ社の経験を生かし、精巧なコンピューター技術を駆使して設計と材料のテストを重ね、
このボストンピアノの開発には6年の歳月が費やされたといいます。
ハイテクを使い、量産とコストダウンを目的に作られた楽器と言えるでしょう。
<特徴>
ボストンのグランドピアノは、同サイズの他社のグランドピアノよりも後部の幅が特に広く設計されている。
これを「ワイドテール設計」と呼びます。
そのため、響板の面積が広く取れるため、音がより大きく鳴るとされています。
尚、デュープレックス・スケールにより、楽器自身の音に加えて、倍音による豊かな響きが加わるとのこと。
さらに、音の減衰を抑える(音を長く保持)させるため、スケールデザインは低めの弦長力で設計されている。
上から2番目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<附録>
ボストン 製造番号/製造年代 対照表(1991年~2000年) →★
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BOUDOIR |
ドイツ 読み方その他詳細不明
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BRADBURY
★
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ブラッドブリー BRADBURY PIANO CO. INC. アメリカ
このピアノは賛美歌や歌曲を多く残した作曲家ブラッドブリーによって作り出されたピアノで、
その名が付けられた。コンパクトな美しい作りと、優れた音色を持っている。
主として家庭向きのピアノでモダンな形が多く、当時シカゴに販売店があった。
ブラッドブリーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BROADWOOD & SONS
★★★
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ブロードウッド・アンド・サンズ
イギリス(ストラウド) ブロードウッドは多くの演奏者に愛用され、ヨーロッパ各地の王室に納入された。
1780年から1867年のブロードウッドの生産台数は驚異的で、13万5千台ものピアノが作られた。
ジョン・ブロードウッドはモダンピアノの音色や外観、演奏機構に大きな衝撃を与えたという。
ブロードウッドは一流の音楽家や熟練した同業者に囲まれ、永遠の価値を持つ革新的発想を生むための
最高の環境に恵まれたのである。
1783年、ブロードウッド社は2本ペダルのピアノの製作を開始した。
片方のペダルはダンパーを弦から離すもので、もう片方は弦に柔らかい布を当てて
音を弱めるものだった。それまでの操作しづらい膝レバーは、これらのペダルに
取って代わられた。1817年にトーマス・ブロードウッドはウィーンのベートーヴェンを訪ね、
翌1818年にグランドピアノを贈った。それは6オクターヴの広い音域を待ち、3本弦だった。
このピアノは後にリス卜が所有し、現在はハンガリー国立博物館が所蔵している。
1888年、ブロードウッド社は『バーレス』と呼ばれるフレームの特許を取得した。
この圧延綱(あつえんこう)のフレームは外縁部にかかる弦張力に耐えられる強さを持ち、
ストレスバー(弦方向に伸びる数本の鉄骨)を必要としない。
ストレスバーは駒の質量を犠牲にするため、音を弱めてしまう欠点があるためだ。
グランド、アップライトともに、この「バーレス」のピアノが作られた。
ショパンもリストも、イギリスにおける最後の演奏会ではブロードウッドの
グランドピアノを弾いた。リストはこのメーカーの推薦を頼まれ、
『ブロードウッドのように長く持つピアノフォルテは他にない』と書いたという。
1875年、ネアズ隊長率いるイギリスの北極探検隊は、HMSディスカバリー号に
ブロードウッドの小型アップライトピアノを積んで出発した。
また1910年にはブロードウッドの自動演奏ピアノがスコット隊長の南極探検に持参され、
最初のベースキャンプの氷上で演奏されたという。
<歴史>
1732年にスコットランドで生まれ、家具職人の修業を積んだジョン・ブロードウッドは、
1761年にロンドンへ出て、著名なチェンバロ製作者のバーカット・シューディのもとで働く。
1770年にシューディの娘と結婚し、翌年にはロンドンのグレート・パルトニー通り33番の
義父シューディの工房を任される。その工房ではモーツァル卜が演奏したこともあり、
またシューディの親友だったヘンデルはそこで多くの曲を作曲した。
1760年代には、新たに登場した楽器ピアノフォルテがロンドンで話題を呼んでおり、
ジョン・ブロードウッドはこの楽器にますます魅了されていった。
シューディが亡くなった1773年、ブロードウッドはネームボードに「Johannes Broadwood」
(当初は「John」ではなく「Johannes」と署名)の名を入れた最初のスクェアピアノを売り出す。
そしてその8年後に最初のグランドピアノを発売する。
ピアノという新たな市場に専念するため、ブロードウッドは1793年をもってチェンバロの製造を終了。
(※1791年にチェンバロ製造をやめたという文献もあるが詳細不明)
そして1807年に息子のトーマスとジェームズが共同経営者になった際に、社名を
「ジョン・ブロードウッド・アンド・サンズ』に改めた。
1780年から1867年の間のブロードウッド社のピアノ生産高は驚異的で、135,344台ものピアノが生産され、
その中の30,481台がグランドピアノだった。
あらゆるタイプのピアノにおける主要な改良はブロードウッド社によってなされた。
ブロードウッド社はアクションとストラングパック(鍵盤とアクション以外のピアノ本体)の設計で
いくつもの特許を取得している。総木製だった従来のピアノに鋼鉄の棒と金属のヒッチプレートを
いち早く取り入れ、それまでの単一の駒を分割して低音部に独立した駒を設けた。
また、操作しにくい膝レバーを廃止し、代わりに特許を取得した「ピアノとフォルテのペダル」を導入する。
さらにブロードウッド社はイギリス式グランドアクションを改良し、ハンマーが弦を押さえつけたままにならない、
素早いレぺティション(連打)を初めて実現させた。その機構は19世紀後半まで採用され続けた。
前途洋洋に見えたブロードウッド社も、無敵というわけではなかった。19世紀には、世界最大の
ピアノメーカーというイメージを揺るがしかねない大打撃を二度受けている。
一度目は、1821年にエラール社がグランドピアノのレペティション・アクションの特許を取得したことで、
そのあとに国王ジョージ4世がエラール社の楽器を注文したのだ。
このことはジョージ2世の時代から英国王室御用達を守り続けてきたブロードウッド社にとって脅威であった。
そして1851年、ブロードウッド社を窮地に追い込んだのは、またしてもエラール社だった。
今度はロンドン大博覧会で金賞を獲得したのだ。
その後の数年間にブロードウッド社は別のいくつかの博覧会で金賞を受賞し、またジョージ4世以降の
王や女王にもピアノを納めることができて、名誉を挽回したものの、会社の運気は下降し始める。
しかし、1860年代に生産された小型アップライトピアノの人気が状況を好転させるきっかけとなり、
19世紀の終わりごろには、ストレスバーが不要となる革新的な圧延鋼(あつえんこう)フレームの設計が
導入された。1903年にグレート・パルトニー通りの歴史的な建物は取り壊され、会社は東ロンドンの
ハックニーへ移転する。このときのオーナーはシューディ=ブロードウッドの6代目だった。
その後、自動演奏ピアノの完全自社生産が始まるが、会社の財政難は解消されなかった。
皮肉なことに、ブロードウッド社を財政危機から救ったのは、1914年の第一次世界大戦勃発であった。
戦争により多くのピアノ製造業者は廃業を余儀なくされたが、ブロードウッド社の工場は飛行機の
製造を許可され、一機につき125ポンドの収入を得ることができたのだ。そのため、少なくとも経済的には
終戦まで乗り切ることができた。終戦により儲かる戦時中の仕事はなくなり、ピアノ生産が再開された。
しかし、1939年に再び戦争が勃発すると、政府の規定によりピアノ製造会社は合併を強いられることになった。
そしてブロードウッド・ピアノの生産は、サウスロンドン、クラパムの、ウェルプデール、
マックスウェル・アンド・コッド社の工場へ移った。以後20世紀の終わりまで、ブロードウッド・ピアノは
同社のライセンスのもと、ウェルプデール・マックスウェル・アンド・コッド社で生産された。
広範にわたる再編を行い、また時代の変化に合わせてグランド、アップライト、自動演奏ピアノの生産を
切リ変えながらブロードウッド・アンド・サンズは生き残り、驚くほど長い歴史を築き上げてきた。
今日、ブロードウッドのピアノは、2000年にストラウドに設立されたブリティッシュ・ピアノ・
マニュフアクチャリング・カンパニーによって生産されている。
同社はまた、ベントレー、ナイト、ウェルマー、ウッドチェスターなど、ほかのイギリスのブランドの
ピアノも製作している。
<附録>
ブロードウッド・アンド・サンズ 製造番号/製造年代 対照表(1932年~2000年) →★
ブロードウッドアンドサンズのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★
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BRASTED BROTHERS
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ブラステッド・ブラザーズ BRASTED BROTHERS LIMITED イギリス その他詳細不明
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BRODMANN |
ブロッドマン オーストリア 詳細不明
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BRINSMEAD |
JOHN BRINSMEAD の項目へ |
BROTHER
★★


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ブラザー ブラザー楽器(名古屋)
ブラザーミシンが自社の販売網を活用するためにアトラスピアノに発注したピアノ。
ミシンの会社がピアノを販売していた時代もあるんですね♪
機種バリエーション GU-172、GU-107など
ブラザーのアクション全体写真 →★ ブラザーのまくり(蓋)部分のブランド銘柄
→★
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BRUEGHEL
★

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ブリューゲル/(ブルーゲル)
浜松、坂本ピアノ製造(大成ピアノ製造の前身)で作っていたピアノ
※似た名称あり 注:フルーゲルとは異なる
ブリューゲルのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★
ブリューゲルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BRUNNEN |
ブルンネン 東洋ピアノ製造株式会社 |
BUCHHOLZ
★★
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BUCHHOLZ ブッフホルツ/ブーフホルツ/(ブッホルツ)/(ブホルツ)
東京蒲田楽器製作所(蒲田ピアノ) 大田区蒲田
斉藤喜一郎氏によって、大田区蒲田で作られていた。
ブランド名は斉藤氏の夫人でドイツ人のブッフホルツの名に由来しているという。
現在のウィスタリア・ピアノ製作所。
<ウィスタリア・ピアノ歴史抜粋>
1924年、創立者斉藤喜一郎は1920年から23年までピアノ製作技術研究のためドイツに留学、
帰国後東京蒲田楽器製作所を設立し、「ブッフホルツ」および「ホルーゲル」を製作する。
戦後、横浜に(有)クレールピアノ製作所を設立。西ドイツピアノ製作業界視察のため再渡欧、
特にグロトリアン・スタインウェッヒピアノ会社の親交を得てピアノ製作技術の指導を受ける。
1956年、製作者の紋章に象り、ウィスタリア・ピアノ製作所と改称。 |
BURGER & JACOBI |
バーガー&ジャコビ アトラスピアノ製造株式会社 |
BURGMULLER
★

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ブルグミューラー/ブルグミュラー ※スペル表記はBURG~が正しい、BRUG~ではない
BURGMÜLLER
ビオン楽器製作所
日本シュバイツァピアノ株式会社
磐田市の日本シュバイツァー(株)で作っていたブランド
ブルグミューラーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
BUXHARD |
バックスハルト ※バッハルトという発音表記の資料もあり
朝日楽器製作所(浜松)
SUNSHINE(サンシャイン)という73鍵のピアノもあった。
※BAXHARD、BAXHORDというスペル表記の資料もあるが、正しくはBUXHARDが正しい可能性が高いです。 |
ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
C. BECHSTEIN |
BECHSTEIN(→ベヒシュタインの項を参照) |
C,HERMAN
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C, ヘルマン 井ヅツ楽器(株)大阪
U-110W、U-110M、U-5C、U-7C の四機種があった。
|
C,THWAITS |
C, ツワィス 日本 詳細不明
|
CABLE
★★

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ケーブル CABLE PIANO CO. エオリアン・アメリカン・コーポレーションの子会社
工場:オレゴン州 販売店:シカゴ
ケーブルピアノの木目調の外観 →★ ケーブルのまくり(フタ)部分の銘柄マーク →★
ケーブルピアノに貼られた各シール類 →★ →★
詳しくはAEOLIANの項目を参照
ケーブルのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
CABLE-NELSON
★★
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CABLE-NELSON PIANO CO. ケーブル・ネルソン
1903年シカゴで創業。その後ミシガン州に移り、
1926年にボストンのエベレットピアノ(EVERET PIANO)と合併。
ケーブル・ネルソンのブランドによるピアノは、創業以来合計40万台作られたといい
エベレットピアノの廉価版として広く販売された。
尚、この会社ではKINGSBURY(キングスブリー)、WELLINGTON(ウエリントン)、
SCHILLER(シーラー)というブランドも作っていました。
ケーブルネルソンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい →★ |
CALACE |
カラチ 佐藤商会(名古屋)が戦前に取り扱ったもの。
|
CALISIA |
カリシア(ガルシア?) ポーランド Since 1878 その他詳細不明 |
CALISIA |
シンハイ(星海)のブランド 中国 詳細不明 |
CAPMAN |
キャップマン イタリア 詳細不明
|
CARL SEILER
★★

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カールザイラー
製造:(株)プルツナーピアノ(浜松)
発売元:三協ピアノ株式会社(浜松)
プルツナーとともに(株)プルツナーピアノで作られていたピアノ。
発売は三協ピアノ株式会社。
フレームのメーカーロゴは持ち合わせておりませんが、調律師の心をくすぐるトレードマーク。
音叉の後ろにチューニングハンマー2本を交差させたデザインです。
回りの星形はチューニングハンマーのチップ(差し込み部分)をイメージしています。
カールザイラーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
CARLBEKE |
カールベッケ ドイツ 詳細不明
|
CARL HARDT
★
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カール・ヘルト/カールヘルト
CARL HARDT イギリス? 詳細不明 |
CARLHERT
★
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カールヘルト
発売元:福山ピアノ社(東京)、製造:大成ピアノ製造(浜松)
福山ピアノ社が販売したブランド。
カールヘルトのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
CARLZEILER |
カールザイラー 大洋楽器(浜松) 詳細不明(プルツナーピアノのカールザイラーとは違うのか??)
|
CAROD |
キャロッド 中国(湖南省長沙市) 2014年~ 詳細不明
HP:http://www.carodpiano.net/ |
CAROL OTTO
★★
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C.OTTO 販売:デーリング商会(横浜)※
キャロル・オットー (CAROL OTTO/Carol Otto)
カロル・オットー (CAROL OTTO/Carol Otto)
ドイツ製(ベルリン)
キャロル・オットー社は、1866年創立
ベーゼンドルファー、スタインウェイ、ベヒシュタインと同世代のメーカー。
当時ドイツベルリンのピアノメーカーは、高い製造技術を持っており、
特徴のあるの燭台付きピアノや2本ペダル式のアップライトピアノを多く製造。
※デーリング商会は1874年横浜で創業
キャロルオットーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
CASTELLO |
カステロ イタリア 詳細不明
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CASTLE
★


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キャッスル
六郷ピアノ(大田区六郷 →後に茨城県土浦)
田中貞三氏が田口氏の協力を得て、初め六郷で、後に茨城県土浦で製造した。
2種類あって音は良かったが、外装に厚い材料を使用していたため温度に弱かったとのこと。
当時としては大変珍しく曲線を意識した脚が特徴的です。
キャッスルまくり部分(フタ部分)のブランド銘柄 →★ キャッスル全体写真
→★
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CASTLE |
キャッスル 鈴木ピアノ製作所 |
CHAIKA |
チャイカ ロシア(ソ連) ”かもめ”という意味 その他詳細不明
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CHAIKOVSKY |
チャイコフスキーというピアノも国内であったようですが、詳細不明
ソ連製のチャイコフスキーはCIAIKOVSKYの項目へ |
H, CHALLEN
★★

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チャーレン イギリス/ロンドン
1986年からはマレーシア西部で作れれている
チャールズ・H・チャーレンは1804年にすでに最初のピアノを製作していたと考えられているが、
イギリスのピアノメーカー、チャーレン・アンド・サンズは1830年に設立された。
チャーレンといえば信頼性と耐久性であり、そのピアノの音質は高く評価されている。
チャーレン・ピアノは英国放送協会(BBC)で頻繁に使用されている。
チャーレン社は小型のグランドピアノでよく知られているが、1935年の英国王ジョージ5世即位25周年には、
世界最大のグランドピアノを製作したというエピソードがある。
全長355センチ、弦の総張力は30トンあったそう。
19世紀の最後の四半世紀から20世紀の最初の四半世紀にかけて、チャーレン社は年問約500台の
高品質のピアノを生産していた。この会杜に好機をもたらしたのは、1926年に新社長に就任した元チャペル社の
ウィリアム・エヴァンスだった。
エヴァンスは、チャーレン社が20世紀の初めに開発した全長152cmのベビーグランドピアノを再開発する。
大量生産技術の導入により、チャーレン社はこの楽器の価格を125ポンドから65ポンドに下げることに成功し、
その結果、ベビーグランドはイギリスの家庭からアップライトを追い出すほどの人気となった。
ほとんどのピアノ製造業者に打撃を与えた1930年代の大恐慌も、チャーレン社には影響を及ぼさなかったといい、
ピアノの生産高は1925年の500台から、1935年の2,500台にまで跳ね上がった。
チャーレン社は1932年にブロ―ドウッド社のピアノの生産を引き受け、また1936年には、
スタインウェイ社、ベーゼンドルファー社とともに、BBC(英国放送協会)にピアノを供給する契約を取り付けた。
これによりチャーレンピアノの音がイギリス中の家庭で聞かれるようになった。
1959年のウィリアム・エヴァンスの引退に伴い、チャーレンのブランド名はブラステッド・ブラザー社に売却され、
その後1970年に同社が消滅した際に、バラット・アンド・ロビンソン社へ移った。
1986年からチャーレンピアノは、ヴィエナ・ミュージック・Sdn・Bhd社の工場部門であるミュージカル・
プロダクツ・Sdn・Bhd社によって、マレーシア西部で組み立てられている。
<附録>
チャーレン・アンド・サンズ 製造番号/製造年代 対照表(1850年~2000年) →★
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CHAPPELL
★★

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THE CHAPPELL PIANO CO.,LTD.
/Chappell & Company チャペル・アンド・カンパニー
イギリス チャペル社 ※所有:ワーナー・ブラザーズ
チャペル社といえば、現在、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に所蔵されている風変わりな
スクエア・グラス・ピアノで有名。この楽器には弦の代わりにガラスの棒が取り付けられており、
ダウンストライキング方式のハンマーで叩く仕組みになっている。
チャペル製のコンサートグランドは非常に変わっていて、最高音部に3本ではなく 4本の弦が張られている。
リヒャルト・シュトラウスはチャペル・ピアノについてこう書いている。
「音色は極めて甘く、共鳴しやすい音質。タッチはとても反応が良く、軽い。
英国のメーカーのこのような完璧な楽器に出会えたことは、私にとって素晴らしく快い驚きだった」と。
すでに楽譜出版社を始めていたサミュエル・チャペルと、ヨハン・クラーマーと、フランシス・ラトゥールは、
1811年にチャペル・アンド・カンパニー社をロンドンに設立した。
その後、彼らの会社は1840年代にようやくピアノの製造を開始し、「ウェア・ルーム』と称する
特別なショールームで展示販売を始めた。
クラーマーはロンドンで人気の作曲家、音楽教師であったため、彼自身が店にあるすべてのピアノを
選んだということは、ライバル会社に差をつける良い宣伝になった。
楽譜やピアノの販売の他に、チャペル社はロンドン内のコンサートのプロデュースも行うようになり、
フィルハーモニック協会と密接な関係を築いた。
1840年にチャペル社はロンドンのソーホーでピアノを製造するようになるが、生産量が増えると、
チョークファームの工場へ移転した。
1901年にチャペル・ピアノ・カンパニーとパブリッシング・カンパニーが分離すると
ピアノの生産高は増大し、1920年代と30年代は年間1,000台も生産された。
1929年にチャペル社はアリソン・ピアノ社とカラード・アンド・カラード社を買収し、さらに1938年には
ジョン・ストローメンガー・アンド・サンズ社を買収して規模を拡大した。
1968年、フィリップス・レコード・カンパニーがチャペル・カンパニーを1750万ポンド
(2550万米ドル)で購入する。
そしてワーナー・チャペル社が所有するケンブル社がライセンスのもと、
2000年までチャペル・ピアノを製造した(ワーナー社は独占権を保有し続けている)
今もボンド通りにはチャペルの店があり、楽譜や楽器を販売している。
<附録>
チャペル・アンド・カンパニー 製造番号/製造年代 対照表(1840年~1969年) →★
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CHAPPELL |
チャペル
国内でもCHAPPELL(チャペル)というブランド名で製造販売していたピアノもあったようですが詳細不明 |
CHARIS
★

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カリス CHARIS ※読みはチャリスではないようです
東洋ピアノ製(旧:アポロピアノ) 韓国製造? その他詳細不明
※東洋ピアノが扱っていたBÖCKLER(BOCKLER)/ベックラーというピアノのトレードマークと
まったく同じマークということが分かります(文字の部分を除いて)
ちなみに、ドイツ製の「グロトリアン・チャリス」とはまったく別のピアノです |
CHERNY |
チェルニーの正しいスペルはCZERNYです
→CZERNYの項目へ |
CHEW
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→S. CHEW(周ピアノ)の項目を参照
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CHIKERING & SONS
★★
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チッカリング・アンド・サンズ アメリカ(ニューヨーク)
CHICKERING & SONS
創業1823年。エオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品。
※エオリアン(AEOLIAN)の項目も参照
チッカリングは19世紀中盤は一流のメーカーとして君臨していたのは皆様ご存知だと思います。
なんといってもチッカリングを有名にしたのは、現代のピアノを決定づけたといってもよい、
鉄のフレームの特許をとっていることです。
1867年にはパリの世界博覧会で金メダルもとっています。
この金メダルをとったピアノもリストに献呈され、リスト・アカデミーの院長室にあるようです。
リストは贈呈されたチッカリングのピアノが運ばれてきたとき、大感激して2時間も弾きつづけたという。
<歴史>
1823年、ピアノ製作者ジョン・オスボンの弟子として働いていたジョナス・チッカリングが
同僚であったスコットランド人と共同でボストンに工房を開いてスクエア・ピアノの製作を開始。
1830年、イギリスのブックケースタイプと呼ばれる楽器をモデルにして最初のアップライトを製作。
その後事業拡大のため実業家のジョン・マッケイと組み、工場の名称もチッカリング・アンド・マッケイと改め、
スポンサーを得たチッカリングはピアノの製作と研究に専念する。
1840年にはグランドピアノを完成。
総鉄骨が採用されたこのグランドピアノは特許を取得しアメリカにおけるピアノ製造の基礎を築いた。
<附録>
チッカリングピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1850年~1980年) →★
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CHIYODA
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チヨダ 千代田楽器 戦前にあったブランド。
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CHOPIN
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ショパン
製造:三高アクション製作所(浜松市薬師町)、及川ピアノ製作所(浜松市)
発売元:三浦ピアノ店(文京区東大前)
WALDSTEIN ワールドシュタイン(バルトシュタイン)の項目も参照。
戦前から東京文京区東大前の三浦ピアノ店を代理店として売り出された。
ワールドシュタイン(バルトシュタイン)も同様に売り出されていた。
ショパンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
CIAIKOVSKY
★

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CIAIKOVSKY
チャイコフスキー ロシア(ソ連製USSR) RAZNO製造
スペルは、「CHAIKOVSKY」や「TCHAIKOVSKY」ではないので注意。
フレームのロゴにはRazno(ラズノ)と書いてあります。いろいろな楽器を作っていた会社のようです。 (ベリョースカやウラジミールなど)
このメーカーの外装(突き板)はひどく剥がれてきます。 何台か調律したことがありますが、外装、アクション、音色含めかなり酷い作りのピアノで苦労しました。。 ※ちなみにあの有名な音楽家であるチャイコフスキーの正しいスペルは、TCHAIKOVSKYです。
国内にCHAIKOVSKYというピアノもあったようですが詳細不明
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CITY LIFE
★
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CITY LIFE シティー・ライフ
カワイが作った廉価版ピアノ。
鍵盤が1枚板からではなく、中央部分で継いである2枚の接ぎ合わせ板を使用したり、 フェルトブッシングの代わりに段ボールのような硬い紙を使っていたり、 アクション部品を新たに開発した新素材(プラスチック等)に変更したりしています。
都会の団地向けの小型軽量ピアノということで開発したとも言われています。
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CLAIR
★
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クレール 日本
東京蒲田楽器製作所の創始者である斉藤喜一郎氏が戦後、
横浜に(有)クレールピアノ製作所を設立して製作したピアノ。
現在のウイスタリア・ピアノ製作所
<ウィスタリア・ピアノ歴史(抜粋)>
1924年、創立者斉藤喜一郎は1920年から23年までピアノ製作技術研究のためドイツに留学、
帰国後東京蒲田楽器製作所を設立し、「ブッホルツ」および「ホルーゲル」を製作する。
戦後、横浜に(有)クレールピアノ製作所を設立。西ドイツピアノ製作業界視察のため再渡欧、
特にグロトリアン・スタインウェッヒピアノ会社の親交を得てピアノ製作技術の指導を受ける。
1956年、製作者の紋章に象り、ウィスタリア・ピアノ製作所と改称。 |
CLEAR |
クリアー 詳細不明 |
COLLARD & COLLARD
★
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コラード・アンド・コラード イギリス(ロンドン) 詳細不明 |
COLORATURA |
コロラトゥーラ 詳細不明 |
COLTOT |
コルトー 内外ピアノ(東京) 詳細不明
|
CONCERT
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コンサート 羽衣楽器製造(株)浜松市 詳細不明
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CONN |
キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ |
CONOVER
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コノーバー ケーブルピアノ社製(アメリカ・オレゴン州)
生涯をかけて音の研究に没頭したJ.フランク・コノーバーが作り出した最高級品質のピアノとのこと
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CONSERVATOIRE
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コンセルバトワール Conservatoire アトラスピアノが国立音大の研究室で作っていたブランド
※詳しくはアトラスの項を参照
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CONSOLE
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コンソール 日本 村瀬克己氏 詳細不明
|
CORBERT
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コルベール 日本 小出一三氏 詳細不明
|
COSMOPOLITAN |
コスモポリタン 日本 詳細不明
|
COSMOS
★
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コスモス
大倉楽器工業(株)東京都杉並区上高井戸
二本弦の小型ピアノが多かったが、大型のものは音色に特色があった。
その他にも違うブランドでピアノを製造していたとの記録あり。
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CRAMER
★ |
CRAMER/J.B.Cramer クラーマー/クラマー
イギリス(ロンドン) 詳細不明 |
CREABEL |
クリーベル 協立楽器 詳細不明 ※注:他にもクリーベルという名称のピアノあり
|
CRISTOFORI |
クリストフォーリー(クリストフォリ) 発売元:三協ピアノ株式会社(浜松市) 詳細不明
|
CRISTOFORI
★

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|
クリストフォリ 東洋ピアノ
18世紀にピアノを発明したとされるイタリアのBartolomeo Cristoforiにちなんで
命名されたクリストフォリシリーズ。
家具調のRU-118と木目調ピアノのスタンダードなデザインのRU-121があった。
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CURRIER
★
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キュリエール CURRIER アメリカ
インターナショナル・ミュージカル・インストゥルメント社
会社名はやや大げさな名前ですが、大衆的なピアノを作る会社で、
工場はノースカロライナにあり、アメリカのピアノ工場としては
10本の指に数えられるほどの大規模な工場です。
ハワイ州、アラスカ州を含むアメリカ50州すべてに代理店を持ち、
ヨーロッパ、南米、カナダ、カリブ海諸島などにも輸出されています。
この会社は歴史こそありませんが、スピネットの小型のものから
一般的なアップライト、そしてグランドにいたるまでその種類は
極めて多く、さらに会社の中に独自の配送部門も持ち。全米各地へ
工場から自社のトラックで輸送が可能だそう。
伝統的な品質を誇るというよりは、販売力で勝負しようとする会社といえよう。
ボストンで同じ名前のキュリエール(CURRIER)というピアノが
作られているが、これとは全く無関係です。
こちらのキュリエール社は100年以上の歴史を持つ有名なピアノメーカーです。
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CURRIER
★★
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アメリカ ボストン
100年以上の歴史を持つ有名なピアノメーカーです。上記キュリエールとはまったく別の会社です。
|
CZERNY
★
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チェルニー
製造:東洋楽器製造株式会社(広島市)
広島の東洋楽器製造のワグナー、ヒロタに次ぐ第三のブランドでした。
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CZERNY |
チェルニー ロシア(ソ連) 詳細不明 |
ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★
|
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
E. GREIG
★


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イー・グリーグ E.GRIEG
発売元:(株)クニユキピアノ商会(東京都神田須田町)
製造元:六郷ピアノ(製造)など
神田須田町にあったピアノ店の国行重槌氏(明治41年生)が六郷ピアノなどに作らせていたピアノ。
トレードマーク画像は「匿名希望様」からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
イーグリーグのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
E. STEINER |
イー・スタイネル 戎(えびす)ピアノ製作所 |
EARL WINDSOR
★★★

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アール・ウィンザー
フローラピアノ製造(株) 浜松市白鳥町792番地(当時)
音色、作りは、シャリシャリとした、まさにTHEフローラピアノといった感じです。
アールウインザーのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★ アールウィンザー(フローラ)の保証書
→★
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EASTEIN
★★


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EASTEIN イースタイン
製造:東京ピアノ工業(株)(宇都宮市)
松尾新一氏(明治35年生)が社長で、松本ピアノ系の技術者を集めて、
戦後、栃木県の宇都宮で念入りに製作したピアノとのこと。
特に、当時グランドピアノは特徴のある小型の良品であった。
ピアノ製造の大部分が浜松に集中する中、イースタインは関東のピアノ工業の一大勢力であった。
機種バリエーション:U型・N型・C型・E型・B型・T型(掲載の画像はT型)
<補足:Wikipediaより>
1949年4月発足。発足時の社長は松尾新一氏、工場長は瀬島利四夫氏。
1973年3月4日倒産。
1973年7月10日社員有志により、自主生産組織東京ピアノ親和会として再発足。
1990年6月15日完全廃業。
イースタインのキーカバー →★ イースタインのアクション →★ イースタインピアノ内部 →★
イースタインのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
EASTERN |
イースタン 日本 詳細不明
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EAVESTAFF
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W.G.EAVESTAFF & SONS イーベスタッフ イギリス(ロンドン)
アクションやチューニングピンが鍵盤の下にあるという珍しいピアノも製造
その他詳細不明
イーベスタッフのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ECHO |
エコー 新東海楽器(浜松) 詳細不明
|
ED SEILER |
本当のザイラーは”SEILER”の項目参照
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ED SEILER |
エド・ザイラー フィリピン 詳細不明
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EDELSTEIN
★
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エーデルスタイン(EDELSTEIN) シンハイ(SHINGHAI)の輸出向けピアノに付けられたブランド名称
※シンハイ(SHINGHAI)の項目参照
エーデルスタインのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
EDELTON
★
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エデルトン
富士楽器(外国ピアノ輸入商会・東京ピアノ商会)、(周ピアノ)
東京ピアノ商会(外国ピアノ輸入商会改称)で取り扱った国産ピアノの高級品。
周ピアノに発注して輸入部品を使用させていた。
パネルに彫刻のあるものが多かった。
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EHRBER |
エルバー オーストリア 詳細不明
|
ELEGANT |
エレガント 浜松の中部楽器製造(株) 詳細不明
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ELINGTON
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エリントン 渡辺商店(浜松) 大成ピアノ製造 その他詳細不明
アメリカ製の”ELLINGTON”と似た名前なので注意(Lが2個)
エリントンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ELISEN & SONS
★

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エリーゼン・アンド・サンズ
東洋ピアノが小売店様向けブランドをつけて中国で製造し卸販売を行ったピアノ。
機種:J110C、J110CW、U116C等
その他詳細不明
※「EREIZEN」という伊藤ピアノ技研(浜松市)のピアノもあります (スペルが”L”ではなく”R”) |
ELIZABETH |
エリザベス 小出一三氏 詳細不明
|
ELLINGTON
★


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エリントン ELLINGTON アメリカ ボールドウィン社(オハイオ州シンシナティ市) その他詳細不明
日本の大成ピアノが作っていたエリントン(ELINGTON)とはスペルが違います。こちらはLが1個です。
<参考資料> 広島市が運営する平和記念公園のレストハウス内に常設展示されている「被爆ピアノ」がこのメーカーです。 このピアノを愛用していた河本明子さんは広島に投下された原爆により19歳という若さで亡くなります。 当時明子さんは学徒動員中で、爆心地から約1Kmの場所で被爆しました。 廃墟と化した町からなんとか自宅に戻るも、その翌日、両親の目の前で息を引き取ります。
明子さんは戦前、両親が暮らすアメリカで生まれ、その後6歳で日本に帰国する際もこのピアノを 大事に日本に持ち帰りました。明子さんは生前、このピアノをこよなく愛していたようです。 爆心地から約2.5Kmの距離にあった河本さんの自宅(三滝町、現在西区)にあったこのピアノの親板には 原子爆弾による強烈な爆風によって割れたガラスの破片が今でも突き刺ささり残っています。 「ELLINGTON CINCINNATI USA」と内部に刻印された明子さんのピアノは、 製造番号から1926年に作られたことが分かっているとのこと。 米オハイオ州シンシナティ市に本社があった、米国を代表するピアノメーカーの、 ボールドウィン社の「エリントン」という製品です。 明子さんのピアノは、シンプルな外見から家庭用に販売されていたと思われます。
この「明子さんの被爆ピアノ」を通じて、世界に原爆の悲惨さを末永く伝えていってくれたらと願います。
写真提供:HOPEプロジェクト様 |
ELSNER
★


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エルスナー
クラウス商事株式会社
→大成ピアノ製造?(販売元:協立楽器)→その後東洋? 詳細不明
トレードマーク画像は2枚とも 「Atelier Sonorite」様からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
エルスナーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ELSTE |
エルステ イタリア 詳細不明
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ELUZE |
ELUZE エルゼ 製造:SAMIC社(サミック) 韓国 象嵌外装が特徴的なピアノ その他詳細不明
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ELYSIAN

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Elysian チャペルピアノ製造
イギリス(ロンドン) その他詳細不明 |
EMERSON
★★

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エマーソン
製造元・販売元
中部楽器製造(株)、フローラピアノ製造(株) 1930年~
エマーソンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
EMERSON |
エマーソン アメリカ ウイリアム・エマーソン作
1849年にウイリアム・エマーソンによって作り出されたピアノで、
「ピアノの音は、その音量より音質が大切である」という理念のもとに
完成された最も美しいピアノの一つとして有名である。
このピアノは「甘い音のエマーソン」として知られ、その後
エオリアン・コーポレーションの製品になりました。
|
EMPEROR
★★★


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エンペラー
製造:河合楽器製作所(株)
カワイのセカンドブランドで音色は非常にまろやかな印象。
メルヘンピアノと同様なピアノです。
私自身、とても好きな音色のピアノで調律もしやすいです。
エンブレムはメルヘンピアノとは違い、カワイピアノと同じです。
エンペラー外装の最大の特徴は、まくり(鍵盤蓋)がグランドピアノと同じ形状です
→★
■機種バリエーション
MY202、MY303、MY606、MY707、MY808など
<附録>
カワイピアノ 製造番号/製造年対照表(1951年~1988年) →★
<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★
エンペラーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ERARD
★★★
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エラール ERARD
フランス 創業1780年 言わずと知れた伝統あるピアノです。
1820年から1830年にかけてセバスチャンエラールと
セバスチャンピエールは現代のグランドピアノの原型となる
レペティション機構であるダブル・エスケープメント・アクションの
特許を取得するなど数々の画期的なピアノの改良を共同で成し遂げています。
アルフレッド・ドルジはエラールについてこう述べている
「セバスチャン・エラールはその精巧な発明によってピアノを高いレベルへ引き上げ、ピアノはすべての
偉大な作曲家が音の詩を表現するために好んで用いる楽器になった」
※アルフレッド・ドルジはツィンマーマン社を買取り、1890年代中頃まで週に3000台のオートハープを製造。
<歴史>
セバスチャン・エラール/セバスティアン・エラール(1752~1831)はストラスブールに生まれた。
父はドイツ系の指物師エールハルト(Ehrhard)で、セバスチャンも1877年に刊行されたメンデルの
百科事典にはまだドイツ人として出ていたという。
セバスチャンは、子供の頃から父の工場を手伝いながら、職人としての腕を磨くことが出来た。
だが、彼はもともと機械いじりが好きで、学校では幾何が得意な科目だったという。
父を早くに失って、1768年にパリに行き、チェンバロ工場に勤めることになったが、そこの工場では
学ぶことがなかったので、その後他のチェンバロ工場に移り、そこの主人からは彼の才能をはじめから
認めてくれたおかげで、設計から製作まで全てを任せてくれて作ったチェンバロが大成功となった。
このチェンバロはフラジオレットのレジスターとペダルを備えたもので、それがブランシェリー家の
珍品収集館に納められて、パリで評判となり、それに関する1776年の「ジュルナル・ド・パリ」誌の記事は、
そのまま1780年の年鑑にも転載されて、彼の名は一躍注目されるようになった。
そんなことから彼はヴァレロイ候爵の信頼を得て、その宮殿の中に工場を構えて、1777年には当時
フランスに輸入されていたドイツとイギリスのピアノを手本にして、5オクターヴの突き上げ式の
スクエアピアノを完成させる。これがフランスにおける最初のピアノとなった。
エラールの仕事はその後もますます調子ずいて、1780年頃にはストラスブールから兄弟のひとりである
ジャン・パブティストを呼び寄せて、サン・ジェルマンのブルボン街に本格的な店を出すまでに至った。
しかしその後、ピアノを作ろうとするエラールに対し、営業妨害になると考えたチェンバロ製作者たちが
抗議をしたが、エラールはルイ16世から支援を受け、営業権や資材調達などピアノ製作の許可を受けた。
エラールがマリー・アントワネット妃のために「ピアノ・オルガニゼ」を製作したのはこの頃であった。
それは2面の鍵盤を持ったピアノとオルガン兼用の楽器で、切り替えによってオルガンにもピアノにもなった。
1789年、フランス革命によって店は破壊されてしまい、1792年、エラールは拠点をロンドンへ移し、
1796年までパリに戻らなかった。
1800年代の初めに、エラールはグランドピアノの設計の改良を始める。
独立したハンマーフレンジやアグラフ、レペティション・アクションなど、業界で広く使われるようになる
特許を次々に取得していき、1838年にはハーモニックバーの特許を取得した。
19世紀を通して、エラールは絶えずピアノの実験を行い続け、響板の設計やハンマーのサイズの改良、
打弦位置などを改良していった。その他、音色に関する実験も行い、エラールピアノは音楽上の質に対し、
計り知れない良い影響をもたらした。
1831年、セバスチャン・エラールが結石病で亡くなると、甥のピエールが会社を引き継ぎ、
エラールのピアノを有名人や著名な音楽家が使用する楽器として定着させていった。
例えば、エラールを使用していた人物としては、ヴィクトリア女王や、メンデルスゾーン、リストなどが
使っており、ヨーロッパの資産家や音楽家にとって、エラールは入手できるピアノの中では最高の楽器と
見なされていた。1870年代にアラール社は最も洗練されたコンサートグランドピアノを製作した。
そのピアノはかなり力強く響き渡る音を作り出すことが出来て、しかもエラールユーザーが慣れ親しんでいた
エラールの多彩な音色を兼ね備えたピアノであったという。
1914年以降、エラール社の歴史は下降線をたどる。それは2つの世界大戦と大恐慌の影響ばかりでなく、
ドイツとアメリカのピアノがピアノ製作における新たな理想を確立していったからでもあった。
ドイツやアメリカの分厚い音はエラールのクリアな音よりも演奏の粗が目立たないため、アマチュアの
ピアニストにとってはむしろ弾きやすかったためであろうと言われている。
フランス市場が開放されると、エラール社のピアノはドイツやアメリカのピアノに圧倒された。
20世紀を通して、エラールのピアノはErard et Cie(エラール・エ・コンパニー)、
Guichard et Cie(ギリシャール・エ・コンパニー)、Erard et Blondel(エラール・エ・プロンデル)など、
さまざまな異なるブランド名で生産され、1960年にエラール社はガヴォー社と合併した。
1961年にはこの共同企業体にもうひとつの偉大なフランスのメーカー、プレイエルが加わる。
そして1971年には、シンメル・カンパニーが、エラール、ガヴォー、プレイエルのブランド名を買収した。
<エラール社の特徴>
1808年に、エラールはアグラフと、最初のレペティション・アクションを開発した。
この機構により鍵盤が完全に元に戻らなくとも次の打鍵が可能になった。このアクションはさらに
1821年に改良され、現代広く使われるグランドピアノアクションの基礎となったと言われている。
1838年、エラール社は高音弦をしっかり支えるためのハーモニックバーの特許を取得した。
これは現代の多くのピアノが備えているカポダストロ・バーの開発にインスピレーションを与えた。
当初、エラールのピアノは鍵盤が重いとされていたが、その音色は力強くクリアで、コンサート用としては
理想的だった。そのクリアな音色はアマチュアのピアニストが弾くと粗が目立つことが良くあったが、
熟達した奏者なら自分の音を作ることが出来るため、プロの音楽家には好まれた。
1870年代中頃に最初に製作されたコンサートグランドは、GGGからc5まで合計90鍵あった。
ダイナミックレンジは格別に広く、かなり強い音が鳴り、それでいてエラール独特なクリアな音色は
損なわれることなかったといいます。
エラールは、作曲家で有名な、ガブリエル・フォーレと、モーリス・ラベルが実際にエラールピアノを所有し、
クロード・ドビュッシーもその響きに慣れ親しんでいたと伝えられています。
<附録>
エラールピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1800年~1988年) →★
エラールのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ERARD

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エラール 東洋ピアノ製造 詳細不明
トレードマーク画像は「匿名希望様」からご寄稿頂きました。ありがとうございます! |
ERARD |
エラール 韓国 詳細不明 |
EREIZEN
★

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エリーゼン
伊藤ピアノ技研(浜松市) 詳細不明
EREIZENのトレードマーク画像は「匿名希望様」からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
トレードマークを見ると、内部にはHAMAMATU ITO PIANOと入っていますね。
※「ELIZEN & SONS」という中国製ピアノ(東洋ピアノ販売)のピアノもあります (スペルが”R”ではなく”L”) |
ERNST KAPS
★
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エルンスト・カプス・ピアノ・ファブリック
(Ernst Kaps Piano Fabrik、エルンスト・カプス・ピアノ工場)
1858年に創業されたドイツのピアノ製造会社
最初の工場はドレスデン・Seminar通り220から22番地にあった。
カプスはザクセン王国御用達称号を得た。 |
ERNST HOMEYER |
HOMEYER/ERNST HOMEYER ホーマイヤー ドイツ(ライプツィヒ) 旧東ドイツ その他詳細不明 |
ESCHENBACH
★★



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エッシェンバッハ
韓国製です。ワインバーガー(WB110)や、ローゼンストック(RS101)等と同系のピアノです。
当時の販売は協立楽器/協立インターナショナル(別名:全日本ピアノ卸センター株式会社)
初期製品の作りは本当に酷かったですが、徐々に良くはなってきました。
当時販売価格30万円ほどのスピネットタイプの小ぶりな機種(U-1)が一番人気。
U-122は一般的なサイズのアップライト。音色はTHE韓国製。
エッシェンバッハのまくり(蓋部分)の銘柄マーク →★
エッシェンバッハのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★
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ESSEX
★
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ESSEX エセックス 韓国 製造:ユンチャン社
2001年、ユンチャン社はスタインウェイ・ミュージカル・プロパティーズとのコラボレーションで、
スタインウェイ社が設計したエセックス・ピアノ(ESSEX)の生産を開始しました。
<広告から抜粋>
エセックスはスタインウェイのピアノづくりの伝統と現代テクノロジーを駆使した研究開発から誕生。
固有の設計、大規模な生産システム、慎重に考慮した生産環境などにより、高い品質を保ちながら、
以前では考えられなかった価格帯を実現させました。
音楽とその才能の開花の歓びを享受する機会はあらゆる方々のものと信じるスタインウェイにとって、
大きな喜びとなりました。
そしてエセックスピアノのもう一つの特徴はその姿の美しさとデザイン・バラエティーの豊かさです。
エセックスのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ESTEY
★★
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エスティ/(エステー) ESTEY PIANO CORPORATION
アメリカ(インディアナ州) 1869年創業
エスティのピアノ工場はインディアナ州のブルッフトンという小さな町にあって、
1869年に創立以来、代々優れた技術が受け継がれてピアノが製造されました。
このブルッフトンは一時期、ピアノの町として世界的に知られていたといいます。
あらゆる種類のピアノを製造しこれらは過去の世界各国の博覧会に於いて、
連続の賞を受賞するなど、極めて性能の良いピアノとされています。
さらにそのピアノの外装にいたっては非常に美麗で芸術的なものが多いのが特徴。
エスティピアノの突出すべき特徴としては、バイオリンブリッジ機構と呼ばれる
ピアノに重大な改良を加えたことが挙げられる。
これはバイオリンの駒のような形のブリッジを付けることにより、音質や音量、
そしてサスティンの音も驚くほど良く改良されたと言われています。
この方法はさほど複雑な仕組みではなく、高音部のブリッジに溝(くぼみ)を付け、
これによりブリッジ本体の容積と重みを減らすことにより、音の振動を容易に
響板へと伝えることが可能にするという工夫です。
さらに、エスティのダイレクト・ブロー・アクション(特許)は普通の
エリミネーティング・アクションに比べ、トラブルが少なく、タッチも確実で、
音量・音質ともに優れ、さらにはレスポンスが良いとされています。
1964年以来、エスティピアノはイギリスのナイトピアノと提携し、
ナイトピアノの優れた技術もそのロイヤルシリーズに取り入れたとのことです。
尚、リッペンやリンドナーなどと同様にプラスチックアクション機構を採用し、
熱帯地方や多湿地帯へのピアノの輸出を可能にしたとも伝えられています。
エスティのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ESTONIA |
エストニア ロシア(ソ連)
ソビエト連邦当時、最も優れた性能のブランドと称される
|
ETERNA
★★★




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エテルナ 天竜楽器製造
日本楽器の系列に入ったとき、社長小倉太郎氏が
日本の第二のメーカーを目指して販売に力を入れました。
後に日本楽器で製造したもので、後に紹介するカイザーやミキと同様のピアノです。
発売元は神戸市生田区の国際楽器。
アクション本体はヤマハ製を使っていて、ヤマハのロゴが入っているものが多くあります。→★
このピアノはチューニングピンが緩くなる現象(通称ピンズル)が多く発生します(天竜楽器時代)
もちろんチューニングピンの打ち替え修理でトルクは戻ります。
日本楽器の製造になってからは、雰囲気的にほとんどヤマハに近い感じになっています。
■機種/モデル バリエーション
アップライトピアノ E10BL、EB30BL
グランドピアノ EG430B、EG530B
画像の上2枚は天竜楽器時代のもので、下2枚は日本楽器製造になってからのものです。
※天竜楽器時代のトレードマークではTENRYU GAKKIになっており、
日本楽器製造になってからのトレードマークでは、NIPPON GAKKIになっているところに注目。
日本楽器の製造になってからのエテルナのキーカバー →★ エテルナのまくり部分の銘柄部分 →★
エテルナのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
ETYDE
★

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エチュード ロシア(ソ連)
ピアノ本体に書かれているブランド銘柄マークの部分の「Y」が「U」に見えて、
一見すると「ETUDE」かと思ってしまいますが、正しいスペルは「ETYDE」です。
ピアノの作りは正直酷かった印象。その他詳細不明 。
エチュードのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
EUTERPE
★

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EUTERPE
オイテルペ ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明 |
EVERETT
★★
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EVERETT エベレット(エヴェレット))・ピアノ・カンパニー/Everett Piano Company
創業1883年 アメリカ 工場:ミシガン州サウスヘブン
1883年に創業でアメリカのピアノメーカーのうちで最も古いものの1つに数えられる。
工場はミシガン州のサウスヘブンにあり、近代的な設備を誇る。
エベレットのグランドピアノの特徴としては、背面に木材を使わずダイナテンションという
独特な鉄製レバーで組み立てられていることにある。
この特殊な構造により弦の張力とケースの耐久性が増し、強大で素晴らしい音色が得られるとのこと。
一時はヤマハの資本傘下になったこともあります。
※現在エベレット・ピアノは、中国のドンペイ・ピアノ・カンパニー、アートフィールド・ピアノ、
マカオ・ピアノカンパニーが生産している。
<歴史>
1883年、楽器小売店のジョン・チャーチ・カンパニーが、エベレットのブランド名で少数のアップライトと、
グランドピアノの生産を、ボストンで始めたのが始まり。19世紀当時、ボストンはピアノ製作の中心地だった。
最初の頃は、大衆向けのピアノを生産していたが、フランク・L・リーが社長になると、会社は方針を変え、
最上位品質のピアノで評判を得るようになる。
エベレット・ピアノ・カンパニーが高品質のピアノメーカーとして認められるまでには何年もかかったが、
スウェーデン人のピアノ設計家ジョン・アンダーソンの力を借りて、エベレット・ピアノは20世紀初めには
一流の演奏家たちに選ばれる楽器となった。
しかし、エベレット社は自社製品の質を全面的に信頼し、比較的小規模な会社に留まったために、
競争が激化していくピアノ市場に於いて、地位を確立出来なくなっていった。
1926年、ケーブル・ネルソン・カンパニーがエベレット・ピアノ・カンパニーを買収する。
そして、自動演奏ピアノの生産生産に手を出してみたものの、1920年代後半から1930年代にかけての
戦争と不況により、生産と売り上げはさらに落ち込んだ。
第二次世界大戦後、会社の売り上げは伸び、エベレットのスタジオ・アップライトは特に学校で人気を獲得し、
1956年には増大する需要に応えるためにミシガン州のサウスヘブンに新工場が建設された。
1962年、ピアノ市場への参入を望んでいたハモンド・オルガン・カンパニーがエベレット社を買収するが、
ピアノ業界でそれほどの利益が見込めないとわかると、エベレット社は投資家グループ、ユナイテッド・
インダストリアル・シンジケートに売り渡された。
その後、1973年にエベレット社は現ヤマハ株式会社(当時:日本楽器株式会社)に売却される。
そして、サウスヘブン工場は近代化され、エベレットとヤマハの両方のピアノが生産されるようになった。
その後、1986年にヤマハがアメリカ工場をジョージア州へ移転したのに伴い、エベレットの工場での
生産は中止された。それ以降、エベレットのブランド名ライセンスは、1989年まではボールドウィン社が
保有していた。そして1995年からはライトウッド・エンタープライジス・インコーポレイテッドがエベレットの
ブランド名を使用し、現在は中国のドンペイ・ピアノ・カンパニー(東北鋼琴)がエベレットを生産している。
<附録>
エベレットピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1885年~1989年) →★
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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
F. CHOPIN |
エフ.ショパン 日本 戦前のブランド 詳細不明
|
FAHR ALBERT |
ドイツ 読み方不明(ファール・アルバート?、ファー・アルバート?) 詳細不明
|
FALCONE |
ファルコーネ/ファルコン 中国 詳細不明 |
FALCONE
★★
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ファルコーネ Falcone Piano Company
現所有:ピアノディスク社
この会社はイタリア出身のピアノ技術者サンティ・ファルコーネによって1984年に設立された。
ファルコーネの目標は、世界トップレベル品質のグランドピアノを手頃な価格で提供することだった。
ファルコーネは1978年に、成功していた小売店チェーンを売却し、ピアノ製作の実験をスタートさせた。
ボストンの投資家と技術者を集め、1982年に長さ183cmの最初のグランドピアノを作り上げ、
その翌年には、274cmのコンサートグランドを完成させた。
1984年、ファルコーネ社は11人の技術者を雇い、月にわずか2台のピアノを製作した。
1987年には40人が月に5台製作するようになり、会社はマサチューセッツの古い靴工場を買って、
最上階をコンサートホールに改造した。
1989年、ファルコーネ社は、ゾーマー・アンド・カンパニーを買収。
買収されたゾーマー・アンド・カンパニーはすでにメイソン・アンド・ハムリンのブランド名を所有していたため、
ファルコーネ社はゾーマー(SOHMER)のブランド名も取得した。
サンティ・ファルコーネは1991年に会社を実業家のバーナード・グリアに売却し、
ファルコーネのブランド名はメイソン・アンド・ハムリン・カンパニーに取り込まれた。
1994年、メイソン・アンド・ハムリン社の倒産に伴い、ファルコーネ・ピアノの生産は終了。
その後、1996年にピアノディスク社がメイソン・アンド・ハムリン社を買い取り、
このファルコーネのブランドも所有している。
今のところ、このファルコーネというブランドでピアノ製造が再開される予定はない。
<特徴>
ファルコーネ社は、「サウンドボード・キャリブレーター」という響板の調整装置の特許を取得した。
これは響板の張力を調整でき、ピアノの音色を変化させられるというものである。
ファルコーネ社はグランドサイズで、9ft、7ft 4in、6ft 1inの3種類のピアノを生産。
これより小さなピアノは手作り楽器としての良さを失うと信じており、小さなピアノは生産しなかった。
ファルコーネピアノの音質は、全音域を通してどのようなダイナミクスで弾いても、豊かで均一であると、
ジャズ界やクラシック界の有名ピアニストの多くが認めている。
※その他、MASON & HAMLINや、SOHMERの項目も参照
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FAMILY
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ファミリー 東和楽器木業股份有限公司
日本の河合楽器製作所との技術提携のメーカー。社長は陳文聰氏。
工場は桃園県大渓にあって従業員数は最盛期で500人を超えたこともあり、
ピアノ工場としてはかなりの規模。
ブランドはKAWAIという名称も使っていたが、アップライトの一部には
FAMILYというブランドも開発していた。
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FAUTH |
フォース 日本 戦前のブランド ※ドイツ製アクションに同名のものがあるが詳細不明 |
FAZER |
ファツェル フィンランド 詳細不明
|
FAZIOLI
★★★

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ファツィオリ イタリア
住所:Via Ronche 47, 33077 サチーレ(サチレ) 設立:1981年
1981年のフランクフルト・ミュージック・フェアに於いて、それまで誰も知らなかったイタリアのメーカーが、
新しい設計の4台のピアノをお披露目した。
そのわずか20年後、ファツィオリ・ピアノは、世界最高のピアノメーカーの候補として自ら名乗りを上げた。
ファツィオリ・ピアノは豊かな音色で、音とタッチが均一であり、フルオーケストラと協演しても
耳障りな音にならずによく通る響きを持っている。
ファツィオリはグランドピアノのみ製作され、すべて手仕事生産である。
全長308cmのグランドは、現在入手可能なコンサートグランドピアノの中で最大。
そのピアノには4本目のペダルがあり、踏むとハンマ―が弦に接近して音が弱くなるが、
ウナコルダペダルのように音色を変化させることはない。
ファツィオリ・ピアノは、ふたつのアクションとペダルリラをセットで購入することも可能で、
演奏者は好きなときにボイシングの異なるアクションに取り換えることができるのが特徴。
響板に使用される木材は一般的なスプルースではなく、
イタリアのフィエンメ渓谷から伐採された赤トウヒが使用されている。
<広告より>
1981年ピアニストでありエンジニアであるPaolo Fazioli (パオロ・ファツィオリ) 氏によって設立、
グランドピアノのみを少数生産しています。
ヴェネチアの北東60kmに位置する木工産業で有名なSacile (サチーレ) に工房を構え、
素材選びに始まり細部の仕上げにまで徹底したこだわりを持ち、ハンドメイドを追求するため、
生産数は年間数100台程のみ。
また、出来上がった全てのピアノを社長パオロ自ら試弾してチェックするという
徹底したこだわりによって、"名誉あるピアノ" が生み出されているのです。
<歴史>
機械工学の知識と、ぺサロの音楽院でディプロマを取得したほどのピアノ演奏技術とを
合わせ持つパオロ・ファツィオリは、ピアノに何を求めればよいかを知るユニークな立場にある。
それまでに試したどのピアノにも満足できず、ファツィオリは35歳のときに、家族が経営する
大きな家具店で働くという保証された道を捨て、まったく新しいピアノの設計と製作に賭けた。
家族の工場の隅に店を構え、パオロはあらゆる既存メーカーのピアノの研究に取りかかった。
そして、木材のシーズニングから音響学にいたるまでの、さまざまな分野の専門家からなる
チームを結成し、多くの研究と実験を重ねたのちに、4つの試作モデルを作り出した。
それらはすべてグランドで、全長156、183、228、278センチの4タイプだった。
パオロの最大のリスクはイタリア語のブランド名を用いることだった。なぜなら、
イタリアのピアノ産業はクリストフォリの時代以来、ほぼ休眠状態にあったからである。
しかしパオロは、ピアノが十分優れたものならきっと市場を獲得できるはずと信じ、
意思を曲げなかった。この企業がまさに大成功であったことは、ほとんど疑う余地がない。
4つの試作品はすベて1981年のフェア終了後に売れ、製造を開始した1年目にさらに6台のピアノが製作された。
1986年には新たなふたつのモデルの生産が開始された。それらは全長228cmと308cmの大きなグランドである。
ファツィオリは今も手作りで、2001年の夏に移転した特設工場では生産高が年間80台から120台へと増えた。
新しい会社内には研究施設とコンサートホールも併設されている。
<附録>
ファツィオリ・ピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1981年~2001年) →★
《日本における納入先施設(一般公開施設のみ) 上から納入時期が早かった順です》
■栗東芸術文化会館さきら(滋賀県栗東市)F278 ※日本で初めてファツィオリを納入したホール
■北上市文化交流センター さくらホール(岩手県北上市)F278 ※2005年 アルド・チッコリーニが再来日し演奏
■石川県こまつ芸術劇場うらら(石川県小松市)F212 ※詳細は公開されていない
■美浜町生涯学習センターなびあす(福井県三方郡美浜町)F308 ※F308が国内最初に設置された施設
■豊洲シビックセンター(東京都江東区)F278 ※舞台周りの壁が総ガラス張りで夜景が見えるホール
■渋谷ホール(東京都渋谷区)F212 ※2018年11月納入
■風テラスあくね(鹿児島県阿久根市)F278 ※2019年1月納入
■フェニーチェ堺(堺市民芸術文化センター)(大阪府堺市)F308(特注モデル) ※2019年3月納入
■中札内文化創造センターハーモニーホール(北海道中札内村)F278 ※2020年1月納入
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FEINTON |
フェイントン 北朝鮮 パコやグラチアと同系ピアノ 詳細不明
|
FELIXSHULLER |
フェリックスシューラー 昭和楽器 詳細不明
|
FERD. THÜRMER |
フェルディナント・ テュルマー 1834創業 ドイツ 詳細不明
|
FEURICH
★★

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|
フォイリッヒ (ホイリッヒ) ドイツ(旧西ドイツ) 1851年創業
ジュリアス・フォイリッヒはドイツ・ライプツィヒでピアノ製造会社FEURICH社を創業
ユリウス・グスタフ・フォイリッヒは、パリのプレイエルの工場でピアノ製作を学び、
1851年にドイツに帰ってライプツィヒに会社を設立した。
フォイリッヒはそれまでドイツで知られていなかったアップライトピアノ製作の詳細な
知識を持ち帰った。1930年代には、フォイリッヒのグランドピアノは世界中の40以上の
コンサートホールに所蔵されるようになった。
フォイリッヒはユリウス・ブリュートナーと同じ街で開業することになったため、
当初、フォイリッヒ社はアップライ卜のみを、ブリュートナー社はグランドのみを製作するという
取り決めがなされた。しかしその平和な合意も4年しか続かず、競争心に動かされたふたつの会社は
ともに両タイプのピアノを製作するようになる。
フォイリッヒ社は着実に成長していき、20世紀の初めには良質のピアノを製作していた。
第一次世界大戦が始まった1914年、フォイリッヒ社の360人の従業員は、年間1,000台のアップライトと
600台のグランドを生産した。1920年代には生産高が落ち込むが、それでも社長のカール・ミューラーは、
経営不振に陥ったベルリンのオイテルペ社とW・ホフマン・カンパニー社を買収した。
第二次世界大戦ではライプツィヒの工場が破壊されたが、戦後ミューラーは3つすベてのメーカーのピアノの生産を
ベルリンで開始する。
1949年、創業者のひ孫のユリウス・フォイリッヒはミューラーの支援を受け、ラングラウに新工場を建設する。
以後、この場所はオイテルぺ社の工場になった。
1958年に会社は国営化され、グループはオイテルペ・ピアノ・カンパニーの旗印のもと着実に成長し続け、
1979年のピーク時には276人の従業員が年間2,500台のアップライトと250台のグランドピアノを生産した。
1991年7月、ベヒシュタイン社がオイテルペ・ピアノ・カンパニー社の株の過半数を買い占める。
自治的経営を認められたフォイリッヒ社は、5キロほど離れたところに新たな工場地を見つけて、
1990年代の大半は徐々に生産高を増やした。現在フォイリッヒ社は、グンツェンハウゼンの工場で
アップライ卜とグランドピアノを安定して生産しており、1920年代と30年代の自社の美しい楽器をモデルにした
コンサートグランドの製作を計画している。
※現在のフォイリッヒは中国メーカーの傘下 (従いましてBVK認証は受けておりません
→★)
<附録>
フォイリッヒ・ピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1860年~2000年) →★
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FIBICH |
読み方不明
チェコスロバキア製 (現在:チェコ共和国) ペトロフ社のブランド |
FIEDLER |
フィドラー ドイツ 詳細不明
|
FINETONE
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ファイントーン 富士楽器(外国ピアノ輸入商会)? 詳細不明
|
FIRST
★
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FIRST ファースト
東京楽器制作(株)(森技研)
沢山清次郎氏が森健氏の後を受けて東京深川の東京楽器で製作したもの。
東京楽器は森健氏が東京の深川で多年の経験を生かして名器を作ろうと工場を設立した。
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FISCHER
★★
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ジェー・アンド・シー・フィッシャー J.& C.FISCHER
エオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品
工場:ニューヨーク 創業1840年
FISCHERは極めて古いメーカーで、創設者のフィッシャーはフェルディナンド一世
(18世紀から19世紀にかけてのナポリ王。マリア・テレサの娘を王妃とし、
ナポレオンと戦って敗れ、暴君であったと歴史上の記録に残っている)のお抱えの
ピアノメーカーであったということから、さぞピアノの発祥地であるイタリアの伝統を
伝えるピアノであったのであろう。
この創始者、フィッシャーの二人の息子のジョン・フィッシャーとチャーレス・フィッシャーとが
アメリカでピアノの製造を始めたので、そのブランドはジェー・アンド・シー・フィッシャー
(J. & C. FISCHER)となっています。
フィッシャーはアメリカのピアノ工業の発達のために大きく貢献したメーカーです。
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FLEMMING |
フレミング 株式会社 福山ピアノ社
ブランドのスペルは”FLEMING”ではなく”FLEMMING”で、Mが2個重なります |
FLICKLER
★
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FLICKLER フリックラー
大洋楽器工業有限会社・(株)プルツナーピアノ・及川ピアノ製作所 いづれも浜松
昭和31年から38年まで大洋楽器工業で作られており、
その後プルツナーピアノを経て、昭和45年から及川ピアノのブランドとなった。
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FLINGEL
★
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FLINGEL フリンゲル
発売元:ピオバ楽器社(神田神保町) 製造:広田ピアノ製作所(川崎?)
野口喜象氏が神田ピオバ楽器を経営していたときに発売したピアノ。
昭和11年頃、広田ピアノ製作所で作られた。
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FLOBAL
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フローバル 浜松 中部楽器製造(株) 詳細不明
|
FLOBEL |
→FROBELの項目へ
フローラピアノ製造(株)が作っていた”フローベル”のスペルは”FLOBEL”ではなく、”FROBEL”です |
FLOBERGER

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フローベルガー
この機種は1台しか調律の経験ありません。詳細不明。
”キャッスル(CASTLE)” というピアノブランドのロゴに酷似していますが、理由や詳細は不明。
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FLORA
★★★


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|
フローラ
昭和37年に、浜松市に設立されたフローラピアノ製造(株)で作られていたブランドです。
当時8機種が作られていました。その他詳細不明。
音色はややシャリシャリした感じです。。まさにTHEフローラといった音色(分かる方は分かるはずです)
ちなみに、アールウィンザーというピアノもフローラピアノ製造です。
上から2番目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
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FLORA |
フローラ 台湾 詳細不明
|
FLUGEL
★
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FLUGEL(FLÜGEL) フルーゲル
坂本ピアノ製作所(大成ピアノ製造の前身) 浜松市
昭和24年から昭和46年まで作られていた。
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FORO |
フォロ(FORO) 福楽鋼琴股份有限公司 台湾(中国)
工場は台中県石岡郷。従業員数200人を超えたこともあり、グランドピアノからアップライトまで。
|
FOREST
★

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FOREST フォレスト
東京楽器制作(株)東京都江東区深川、(トニカ楽器(三田?))
森健氏が東京の深川で多年の経験を生かして名器を作ろうと工場を設立したのが東京楽器。
FORESTは森氏の姓からとったもので独特の設計で音色は美しかったとの情報。
尚、多数の有能な技術者を養成して、これらの技術者は十八会と呼ぶ会合を続けていた。
その後、トニカ楽器扱いに。
FU-10、FU-20、FU-50、FU-55、FU-70、FU-80の六機種があった。
FOREST(フォレスト)のトレードマークは当然ながらトニカピアノとほぼ同じトレードマークです。
音符が3つ交差したデザイン →★
エンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
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FORSTEI VON MELOS

※下記画像は参考です

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フォルステイ・フォン・メロス
レスターピアノ製造株式会社
東洋ピアノ製造株式会社
<上のトレードマーク画像>
モルゲンスターン(MORGENSTERN)とまったく同じトレードマークで、韓国のサミック社製の5機種
REID-SOHN、KAFMANN、SAMICK、SCHNABEL、WEINBURG(現在把握しているもの)と酷似。
並べて比較した画像はこちら →★
<下のトレードマーク画像>
画像は参考で、実際のFORSTEI VON MELOSのマークは”APOLLO”の文字の部分が”F V M”になっています。 |
FORSTER |
フォルスター ドイツ 詳細不明 |
FORSTER
★

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FORSTER/FÖRSTER フォルスター
福島昭彦氏
ベルリンピアノ製造株式会社 ※当時の住所:浜松市(現:浜松市東区)原島町195番地 有限会社 光輪楽器製作所
昭和34年から昭和46年まで作られていた。
トレードマークには「BERLIN PIANO・CO・HAMAMATSU JAPAN」と入っています。 マーク内にはライオン?とみられる動物が向かい合わせに描かれていてとても印象的ですね。 このトレードマークは「wakopin」様からご寄稿頂きました。 この度は写真のご寄稿を頂きまして誠にありがとうございました! |
FOSTER
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フォスター 大和楽器製造株式会社
似た名称で”エー・フォスター/A.FOSTER”(ベルリンピアノ製造株式会社)や、
このすぐ上の”フォルスター/FORSTER”(ベルリンピアノ製造株式会社)もあるので要参照 |
FOUDRICH
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フードリッヒ 野田ピアノ 詳細不明
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FR. HELMHOLZ

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FR. HELMHOLZ ヘルムホルツ
ドイツ(ハノーファー/HANNOVER) |
FRANKE. H. |
ドイツ フランケ 詳細不明 |
FRANZ OESER
★

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|
FRANZ OESER
フランツ・エーゼル/フランツ・エーザー/フランツ・ウーザー/フランツ・オーザー
オーストリア=ハンガリー帝国(ハンガリー製)
オーバーダンパーの写真 →★ 外観写真 →★ 銘柄マーク →★ 響板デカール →★
写真ご寄稿:平田康裕様よりご提供いただきました |
FREEDMAN
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フリードマン 東洋楽器製造(浜松) 詳細不明
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FRENCH, JESSE |
アメリカ 読み方不明、詳細不明
|
FRIEDRICH
★★
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フリードリッヒ FRIEDRICH
福島ピアノ研究所
東京楽器研究所
(株)バロック
静岡楽器製造株式会社
神楽坂の途中に福島ピアノ店という専門店があり、
元輸入商だった福島昭彦氏が材料を提供して作りました。
福島貿易商はもともと横浜にあり”福嶋”が本姓で、
中国の天津や上海にもフリードリッヒのブランドがあり、
それらと契約もあったと伝えられています。
当時、発売店は新宿区神楽坂通り三丁目にありました。
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FRITZ DOBBERT
★★


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フリッツ・ドッベルト/フリッツ・ドベルト
ブラジル(サンパウロ)
ローズウッド材の本場なので外装が美しいものが多い。その他詳細不明
HP:https://www.fritzdobbert.com.br/pianos/fritz-dobbert/
フリッツドベルトのその他の写真 →★
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FRITZ KUHLA
★★★



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フリッツ・クーラ/フリッツクーラ
製造:東洋ピアノ製造(浜松市) 発売元:昭和楽器(埼玉)
鉄骨部分には”TOYO PIANO”と刻印があります。
音色はデフォルトではやや堅めのピアノですね。
<読み方>
○ フリッツクーラ × フリッツクーラー
ピアノのトレードマークとしては珍しい三角形をしています。
他にも三角形のロゴもありますが、このページの中から探してみて下さい^^
<機種バリエーション>
特製30号、特製38号、特製70号など
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FRITZKUHLA |
フリッツクーラ ドイツ 1872~ その他詳細不明 |
FRITZ KHULA |
フリッツ・クーラ フィリピン 詳細不明
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FUCKS & MOHR |
FUCHS & MÖHR フックス・アンド・メーア ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
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FUJI
★
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FUJI フジ
富士楽器製造
シェーンベルグ製造当時の富士楽器が昭和11年に作ったピアノのブランド。
創立者は野田秀治氏。二代目は野田満氏である。
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FUKUSHIMA
★★
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FUKUSHIMA フクシマ
福島ピアノ研究所(東京都大井町)
福島ピアノは大井町の東京楽器研究所で作り出されたものである。
この研究所の所長であった福島琢郎氏は、ピアノの技術者としては飛び抜けた人であった。
彼は早稲田大学の商学部を卒業後、日本楽器に入社しているが、
当時の農商務省と音楽学校の推薦で渡米し、スタインウェイで2年ピアノの製造技術を学び取ったが、
帰国後、理論と技術が噛み合わず、日本楽器を飛び出している。
福島氏の父親は三井の重役で、当時のエリート中のエリートであったため、
三越の重役その他の出資を得て、さらに実際の技術者として、後にヒロタピアノを作った
日本楽器の広田米太郎氏を招いて、1918年に株式会社東京楽器研究所を設立した。
名前は研究所であったが、実際はピアノ工場で、福島氏は音楽学校の顧問もしていたので、
その製品は品質も優れていたが、販売機構を持たなくても飛ぶように売れていった。
当時のヤマハのアップライトは最低500円であったが、関東のメーカーのピアノの方が値段が高く、
ニシカワが650円、フクシマが最も高く800円だったという。
ちなみに1918年の大卒の初任給は40円だそうです。
製造台数はわずか500台程度であったが、この研究所で技術を習得した多くのピアノ技術者たちが、
後の関東地方のピアノ製造を支えたのである。
技術者として活躍した方々は次の通り極めて多い。
木下乙弥氏、藤原梅太郎氏、太田一郎氏、山崎秀雄氏、清水栄一氏、伊藤辰雄氏、橋本勝美氏、
足立三郎氏、斉藤喜一郎氏、渥美亘弘氏、竹内友三郎氏、森吾市氏、大越勇喜氏、淵田栄氏、
松崎妙氏、大岩隆平氏、大友雅一氏、飯国一郎氏、福井辰利氏、大井長一氏、の各氏。
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FUKUYAMA & SONS
★★★


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フクヤマ
明治12年生れの福山松太郎氏が明治末期より神田小川町に開業した福山ピアノが、
昭和40年代になって自らの姓をつけて製作した自信作である。
高級品を目指して努力したと伝えられる。
音色、出来栄えともになかなか良いピアノだと感じます(ただし個体差大)
ピアノの蓋には、FUKUYAMA & SONSと書かれています。
上のトレードマーク画像がアップライト、下のトレードマーク画像がグランドです。
フクヤマのグランドのフタ部分にある銘柄マーク →★
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FURSTEIN (FARFISA)
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フルシュタイン(ファルフィサ) イタリア 詳細不明
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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
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G & GRAND
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ジー・アンド・グランド 東日本ピアノ製造(株)、バロック 1953年創業の東日本ピアノ製造。
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GALNER
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ガルナー 遠州ピアノ製造(株)浜松 昭和31年より昭和36年まで生産されていた。
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GAVEAU
★★
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ガヴォ― フランス(パリ) 創業1847年 プレイエル社が製造
ジョセフ・ガブリエル・ガヴォー(Joseph Gabriel GAVEAU)は、
1824年ロモランタン(Romorantin)生まれ。
ガヴォーはいくつかの工房で修業と経験を積んだ後、1847年にパリに自身の工房を作る。
当初からガボーは丈夫で良いアップライトピアノを作ることに拘り、エラールの設計を真似て
アップライトピアノアクションで、特にジャックの角度についての改良に取り組みました。
そして、「ガヴォ―アクション」と呼ばれる独自の特色を持つアクションを作り上げました。
ガヴォーは高い品質のチェンバロと、特に小型のアップライトピアノで素晴らしい名声を獲得しました。
彼のピアノに対する評判は高まり、セルヴァン通りに工場を構えます。
1890年頃には200人の職人を雇い年間1500台を生産するほどまでに大きくなりました。
1893年、70歳になった彼は会社を息子のガブリエル・ウジェーヌとエチエンに譲り、
会社名は"Société GAVEAU"となりました。
1896年からはパリ近郊のフォントネー・スー・ボワ(Fontenay sous bois)にモダンな新工場を建て、
約300人の職人を雇い生産量は年間2000台にのぼりました。
この工場では多くのパリの有能な職人たちが育てられました。
エティエンヌ・ガヴォー(Etienne Gaveau)は経営を担当し、パリ中心部に本社を構え、
1908には自社のピアノを宣伝するためにコンサートホール「サル・ガヴォ―」を建設しました。
1911年、兄弟は仲違いし、ガブリエルは独自の会社を興し、グランドピアノ製作で新しいアイデアを取り入れ、
木材にこだわって作られたおしゃれな外装の小さなグランドピアノを製作することで独自のスタイルを構築。
1930年頃、子会社のM.A.G. (Marcel と André Gaveau)が設立され、丈夫で小さくてしかも安価な
アップライトピアノの製造を担当。
1939年に戦争が始まった時、ガヴォ―社は95,000台目のピアノを製造したところでした。
エチエンは1943年に死去し、息子のマルセルとアンドレは困難の中でも経営を続けました。
1960年、エラール社と合併し、"Société Gaveau-Erard"と名付けられました。
その後プレイエルも加わり、"LES GRANDES MARQUES REUNIES"(大メーカーの集合)となりましたが、
1965年に倒産、工場は閉鎖。
しかし、不安定な財政状況は続き、この複合企業はドイツのシンメル・カンパニーに買収された。
シンメルとの契約が1994年に切れると、この人気のあるフランスのメーカーは再びフランスへ戻った。
1996年以降、ガヴォーのピアノは、フランス南部のプレイエル社の工場で生産されている。
※Rameau(ラモー)もプレイエル社が製造
<附録>
ガヴォー・ピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1855年~1988年) →★
ガヴォーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
GEBR. PERZINA
★★
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GEBR.PERZINA ペレツィーナ(ペルツィーナ) ドイツ製
ペレツィーナ(ペルツィーナ)Perzina/Gebr. Perzinaは、北ドイツ生まれのピアノブランドで、
現在はオランダと中国の資本による中国煙台の民営企業・煙台ペレツィーナで製造。
1871年、ヴィルヘルム1世によりドイツ帝国が生まれたその年に、
北部のシュヴェリンという都市でGebr.Perzinaも生まれました。
現在も宮廷の残るメクレンブルク=シュヴェリーン公、オランダのウィルヘルミナ女王に
こよなく愛されたGebr.Perzinaは6王家の宮廷ピアノとしてドイツで最も権威ある
ピアノのひとつとなりました。
また、1905年にはペルツィーナコンサートホールも開設され、
ドイツ帝国内で最も愛されるピアノとなりました。
しかしながら、第一次世界大戦で移転を余儀なくされ、さらに第二次世界大戦後は
東ドイツに組み込まれたGebr.Perzinaは手造りでピアノを作り続けたものの、
大戦後のピアノの歴史では表舞台にはあまり出てこなくなりました。
2002年公開の映画 「戦場のピアニスト」(※)で使われたピアノとしても有名です。→★
※ 第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台としたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画。
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GEISSLER |
ガイスラー フランス 詳細不明 |
GEISTREICH
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GEISTREICH ガイストライヒ
大倉楽器工業(株)東京都杉並区上高井戸
二本弦の小型ピアノが多かったが、大型のものは音色に特色があった。
|
GELTHNER
★
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GELTHNER ゲルッツナー
発売元:音調社、製造:広田ピアノ
広田ピアノで作っていたピアノ。
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GEMENSTEIN |
ゲーメンスタイン 日本 詳細不明 |
GEOGE ROGERS & SONS
★

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ジョージ ロジャーズ アンド サンズ
イギリス(ロンドン) 詳細不明 |
GEORGE STECK & CO. |
ジョージ・ステック エオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品 ニューヨーク
現所有:ピアノディスク社
※MASON & HAMLINの項目も参照
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GERHARDADAM |
ゲルハルドアダム ドイツ 詳細不明
ADAM GERHARD アダム・ゲルハルド |
GERSHWIN
★★


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ガーシュイン/ガーシュウィン GERSHWIN
大岡楽器製作所、白鳥楽器、スワン楽器製造KK、フローラピアノ製造(株)、東日本ピアノ製造(株)
昭和28年に大岡郁平氏によって大岡楽器製作所が発足し、
ガーシュインのブランドでアップライトピアノが作られました。
その後、稲葉ピアノの後援で白鳥楽器となり、さらにスワン楽器KKと改称され、
昭和42年に東日本ピアノ製造(株)に改組。
グランドピアノの裏側には国産初のテンション・レギュレーター装置を採用。
昭和を感じるピアノですね♪
上から2番目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
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G.E. RUSSELL & SON |
詳細不明 |
GEYER |
ガイヤー ドイツ(旧東ドイツ) 詳細不明
|
GLASER |
ドイツ 読み方不明、詳細不明
|
GLORIOUS
★
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グローリアス 新東海楽器(浜松)、(第一楽器(浜松))
新東海楽器(浜松)だが、第一楽器(浜松)で作ったこともある。
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GOODWAY |
グッドウェイ 詳細不明
|
GORDON LAUGHED
★
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GORDON LAUGHEAD ゴードン・ローヘッド製造(ミシガン州グランドヘブン)
三代続いた個人企業のピアノメーカーです。
ミシガン州のグランドヘブンにあり、アップライトピアノと学校用の楽器を主として製作。
このメーカーのブランドには、社名と同じゴードン・ローヘッドの他に、
クールツマン(KURTZMANN)と呼ばれるブランドがあります。
ピアノ業界では一般的にそのピアノの創始者の名称が用いられることが多い中、
このピアノメーカーは例外で、社内のマネージャーの名前が使われています。
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GORS & KALLMANN
★★


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|
ゲルスカルマン/ゲルス・カールマン/グロスカールマン
GÖRS & KALLMANN (GORS KALLMANN)
製造:大成ピアノ製造
販売:昭和楽器OEM
機種バリエーション GK2000、GK3000など
ドイツ(旧西ドイツ)製にも同じ名前(R.GÖRS & KALLMANN)がありますがまったく違います。
音色・作りはローレックスKR27等に近い感じです。その他詳細不明。
ピアノ天板をあけると裏に貼ってある昭和楽器の品質保障シール
(作ったピアノすべてに貼ってるとは思いますがね) →★
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GORS & KALLMANN
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ゲルス ウント カールマン
R. GORS & KALLMANN (GORS KALLMANN)
ドイツ(旧西ドイツ)ベルリン 詳細不明
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GRATIAE
★

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|
パコピアノ/グラチアピアノ
PACO/GRATIAE 製造:北朝鮮 (有)PACO
この会社は日本製ピアノの会社ではなく日本人技術者が日本製の工作機械を使い
北朝鮮でピアノを製造していたようです。最終調整は日本国内で行い出荷。
日本法人のこの会社と北朝鮮政府との合弁会社にて
日本人技術者他の技術指導・輸入販売を行っていたようです。
ブランドはGRATIAE(グラチア)という低価格のアップライトのみ。
当時本社は東京都府中市にあって販売は国内のみでなく、
アジア・ヨ-ロッパにも輸出していたという情報あり。
1台しか調律したことがないので詳細は不明ですが、
ピアノ自体は ”北朝鮮”というイメージほど悪くはなかったです。
その他詳細不明。
グラチアピアノのまくり(フタ部分)にあるブランド銘柄マーク
→★
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GREIFEN


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GREIFEN (J.S.GREIFEN) グライフェン/グライフン
詳細不明 GREIFENとはドイツ語で「~をつかむ」、「~をつかまえる」という意味
GREIFENピアノのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★ GREIFENピアノ外観写真 →★
※これらの画像はすべて nosuke様からご提供頂きました |
GREIG
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グリーグ (株)クニユキピアノ商会 神田須田町のピアノ店の国行重槌氏。
|
GROLIA
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グロリア (株)クニユキピアノ商会 神田須田町のピアノ店の国行重槌氏。
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GROSSSTEIN
★
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GROSSTEIN グロススタイン (グロスタイン)
青池楽器店
昭和11年、銀座伊東屋七階の全国ピアノ技術者協会主催の展覧会に出品された。
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GROTRIAN
★★★

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GROTRIAN (GROTRIAN-STEINWEG)
グロトリアン (グロトリアン・スタインウィッヒ/グロトリアン・シュタインヴェーク)
ドイツ(旧西ドイツ) ボルフェンヴュッテル 創業1835年。
ヨーロッパの王室でも使われ、あのクララ・シューマンがこのピアノを初めて弾いたとき、
「今日からこのピアノしか弾かない」と言ったと伝えられており、愛用していたようです。
今も変わらずドイツ最高のピアノブランドのひとつであるグロトリアン・シュタインヴェーク社は、
ゲオルク・フリードリヒ・カール・グロトリアンと、スタインウェイ王朝の創始者ハインリヒ・
シュタインヴェークとの協力から始まった。ふたりはグロトリアンのデザインをもとに、1835年に
最初のピアノを共同で製作したと伝えられている。
グロトリアン・シュタインヴェーク社の現従業員の約半数がピアノ製造技師であり、
その特別な見習いプログラムによって、この会社の高い技術水準は将来へと受け継がれている。
独創的な『デュオ・コンサートグランド』は、二台のピアノを1枚の大屋根で結合したピアノで、
二台のグランドは取り外し可能なリム(側板)と、間の隙間を埋めるブリッジ状の響板で接続される。
二台のグランドは簡单に切り離すことができ、一台一台個別の屋根にして独奏楽器としても演奏できる。
アップライトピアノの背面構造の設計はアスタリスク形状になっており、弦張力に対抗する力がすべて
中心の一点に集まることにより、調律の安定性を高めている。
<歴史>
ビジネスに関心を持ったグロトリアンはモスクワに小売店を開いて成功した。
10年後に母国ドイツへ帰ったグロトリアンは、ハインリヒ・シュタインヴェークの息子、
カール・フリードリヒ・テオドール・シュタインヴェークとピアノ製作の共同契約を結ぶ。
ふたりはブラウンシュヴァイクへ生産拠点を置き、高品質のピアノを製作する優れた会社を設立した。
一方、ハインリヒ・シュタインヴェークはそのころアメリカへ移住して名前をスタインウェイに改め、
自身の会社を設立していた。1865年にふたりの弟が病死すると、テオドール・シュタインヴェークは
自社の株を売って、アメリカへ渡り、繁盛していたスタインウェイ社の経営に就いた。
フリードリヒ・グロトリアンはその2年後に亡くなり、会社は息子のヴィルヘルムに委ねられた。
ヴィルヘルムは株主A.ヘルフェリヒ、H.シュルツとともに、シュタインヴェークを含む
さまざまなブランド名でピアノを生産した。
会社は着実に成長していき、1920年には、1,000人の従業員が年間1,600台の楽器を生産するまでになった。
1917年にヴィルヘルム・グロ卜リアンが亡くなると、息子のヴィリとクルトが会社の経営を引き継いだ。
兄弟は、「良いピアノを作ってさえいれば、後のことは何とかなる」 という父の教えを肝に銘じ、
良質の職人技を守り抜いた。1919年に社名が正式にグロトリアン・シュタインヴェークとなり、
その社名をめぐってスタインウェイ社と法的に争ったりはしたが、1927年には生産高が3,000台にまで増大した。
それから1931年に大恐慌による打撃を受け、年間700台まで生産高は落ち込んだ。
戦時中はやむなく閉業し、戦後グロトリアン・シュタインヴェーク社がピアノの生産を再開できたのは
1948年になってからだった。
爆撃された工場を再建し、伝統のピアノ製法を復活させるにはそれなりの時間を必要とした。
1954年には良質のピアノメーカーとしての地位が回復し、会社は若いピアニストを支援するために、
グロトリアン・シュタインヴェーク・コンクールを設立した。
そして1974年、グロトリアン・シュターンヴェーク通りに最先端の設備を誇る新工場が完成した。
グロトリアン社の6代目クヌートは息子ヨプストの協力のもと、現在この場所で会社を指揮している。
※スタインウェイ・アンド・サンズとの「Steinweg」に対する商標権問題で、ドイツ以外への輸出に於いては、
GROTLIANのブランド名を使用している。
グロトリアンピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら
→★)
<附録>
グロトリアン・シュタインヴェークピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1865年~2001年) →★
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GROTORIAN & SONS |
GROTORIAN & SONS グロトリアン・アンド・サンズ
ドイツの「GROTRIAN」とは違うピアノのようですが、詳細は不明
本場ドイツのグロトリアンとはスペルが違います(こちらには”O”が入ります)
その他詳細不明(→新たな情報をお持ちの方がいらっしゃったら是非教えて下さい) |
GRUNEWALD |
グルーネバルト ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
|
GUILBERT |
ギルベール プルツナーピアノ製造(株) その他詳細不明 |
ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
H, CHALLEN |
CHALLENの項目参照
|
H. MATSUMOTO
★
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H.MATSUMOTO エイチ・マツモト (エチ・松本)
松本ピアノ(東京月島)
松本ピアノが故あって二つに別れたとき、長男広氏のHをとって付けたピアノ。
父、新吉氏のS・マツモトもある。
※ 松本ピアノの詳しい歴史については、MATSUMOTO & SONSの欄をご参照下さい
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H. PLEYEL |
エイチ・プリエル/H・プリエル 森技術研究所(浜松) ※フランスのプレイエルとは違う
|
HAESSLER
★★

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ヘスラー ドイツ 詳細不明
※ヘスラーピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら
→★)
HAESSLERの画像は匿名希望様からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
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HAIDIEL |
シンハイ(星海)のブランド 中国 詳細不明 |
HALLET DAVIS
★★
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ハレット・デイビス/ハレットデービス HALLET DAVIS/HALLET. DAVIS & Co.
アメリカ 1839年創業
アメリカ最古の歴史を持ち、優れた品質を誇る。
創業1839年であるから極めて古く、それ以来音楽学校その他の専門家用として
名声を博してきた楽器で、1867年のパリ博覧会であの有名なフランツ・リストが
このピアノを弾き、またヨハン・シュトラウスも愛用したと伝えられている。
尚、ローマ法王のバチカン宮殿にも納入されたというから、20世紀初頭の最も
優れたピアノの一つであったことは間違いないでしょう。
現在でもシカゴで販売されています。
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HAMAMATSU |
ハママツ 日本(名称からして浜松だと思う) 詳細不明
|
HAMILTON |
ハミルトン アメリカ 詳細不明
|
HAMPTON
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ハンプトン HAMPTON アメリカ ストーリー(ストリー)・アンド・クラーク社
詳細は、スートリー・アンド・クラーク(STORY & CLARK)の項目を参照
|
HANDOK |
ハンドック/ハンドク 韓国(?) 詳細不明
|
HANKYU WAGNER
★

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|
阪急ワグナー/ハンキュウ ワグナー (HANKYU WAGNER)
こちらは阪急と入っているワグナーピアノです。
阪急百貨店で売られていたブランドでしょうか?
非常に珍しいトレードマークです。
詳細はワグナーの項目を参照してください。
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HANSEN |
ハンセン ドイツ 詳細不明
|
HANTHEY |
ドイツ 読み方不明、詳細不明
|
HARDMAN PECK
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ハードマン・ペック HARDMAN PECK & CO. アメリカ 創業1842年
ハードマン・ペックはアメリカの歴史的なピアノで、メトロポリタン歌劇場の専用ピアノとして
使われ、歴史的なテナー歌手であるエンリコ・カルーソーが伴奏用に使ったと伝えられている。
グランドピアノとアップライトピアノ両方を作っており、オペラ用のピアノは繊細で優美な
音色を特徴とし、シンギングトーンと表現されています。
構造上の特徴としては、背面のポスト(支柱)が6本あることなどが知られています。
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HARMONY

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ハーモニー
浜松楽器工業株式会社
トレードマーク画像は「匿名希望様」からご寄稿いただきました。ありがとうございます! |
HARRINGTON |
ハリントン アメリカ
上記、ハードマン・ペック HARDMAN PECK & CO.のブランド
|
HARRISON |
キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ |
HARVARD
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HARVARD ハーバード
大倉楽器工業(株)東京都杉並区上高井戸
二本弦の小型ピアノが多かったが、大型のものは音色に特色があった。
|
HASHIMOTO
★
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HASHIMOTO ハシモト
製造:協信社(シュベスターピアノ製造KK) 東京蒲田
橋本勝美氏が協信社(シュベスター)に依頼して作ったピアノ。
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HAUPTMANN
★
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HAUPTMANN ハウプトマン (ハープトマン)
製造:日本楽器横浜工場(横浜)、発売元:山野楽器店(銀座)
銀座の山野楽器店が松本ピアノから権利を譲り受けて総合楽器店として出発した時、
西川ピアノにヤマノピアノを依頼、西川が日本楽器の横浜工場となってから作ったピアノ。
※スペル HAUPTOMAN→× HAUPTMANN→○
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HAUPTMANN JUNIOR
★
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HAUPTMANN JUNIOR ハウプトマン・ジュニア
製造:日本楽器横浜工場(横浜)、発売元:山野楽器店(銀座)
ハウプトマンと同じように山野楽器店が日本楽器横浜工場で作らせていたブランド。
ハウプトマンより一回り小型で、一般向きと言われたが堅牢で音色もきれいであった。
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HEINRICH
★
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ハインリッヒ 福山ピアノ社(フクヤマピアノ)
昭和40年代頃に株式会社福山ピアノ社が販売していたピアノブランド。
本社(当時):東京都千代田区神田神保町1丁目14番地
その他詳細不明 |
HEINTMAN
★
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ハインツマン HEINTMAN & COMPANY.LIMITED カナダ
トロントにあるメーカーで、創業は1850年。
あらゆるピアノを製作しており、幾多の国際的な賞を取った優れたピアノとのこと。
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HEITER |
ハイテル 大森ピアノ社(磐田市) 詳細不明
|
HELL |
ヘル 日本 詳細不明
|
HELLAS
★★

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ヘラス フィンランド 創業1901年
スカンジナビア諸国(デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、アイスランド)の中では
最も古いピアノメーカーで、レンナーハンマーを使いドイツの伝統技術を継承して作られた性能の優れたピアノです。
機種としてはコンサートグランドから、コンソールタイプまで広範囲に生産。
最盛期の年間生産台数は約5500台で、その半数がヨーロッパや
同スカンジナビア各国へ輸出されている。その後、日本にも入ってきて好評を博す。
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HELMAN
★

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|
ヘルマン
東洋ピアノ製造(アポロピアノ) 浜松 詳細不明
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|
HELMHOLZ

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FR.HELMHOLZ ヘルムホルツ
ドイツ(ハノーファー/HANNOVER) |
HERIOS ? |
ヘリオス 詳細不明
|
HERRMANN
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ヘルマン 神戸堂(神戸)、福山ピアノ(東京)、大成ピアノ製造(浜松) 詳細不明
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HILGER |
ヒルガー ドイツ 詳細不明
|
HINZE |
キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ |
HIROTA
★
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HIROTA
ヒロタ
広田ピアノ(川崎市)、東洋楽器製造(浜松)
広田米太郎氏は、当時最高の技術を持つ調律師で、1923年の関東大震災の翌年に
東京楽器研究所を離れて、約6~7年の間ヒロタピアノを作っていた。
従業員24~25人で、年間約100台を製造していたという。
ヒロタピアノはアップライト600台、グランド70~80台が作られたと推定されており、
アクションやワイヤーはドイツ製を使い、グランドはブルッツナーをコピーしたもので、
音色は極めて美しく、ブランドとしてはY・ヒロタが用いられていた。
この米太郎氏の長男の広田武雄氏が広島で屋代千里氏と合同して
東洋楽器製造株式会社を作り、ワグナーピアノを作り出しました。
※Y.HIROTA Y・ヒロタ
製造:東洋楽器製造KK(広島)
製造?発売元?:ヒロタピアノ(広田ピアノ)(東京都大田区大森)
広田米太郎氏によって大田区大森に創立されたヒロタピアノのブランド。
ブルッツナーをコピーしたもので、音色は極めて美しかったというが、
工場は終戦とともに消失した。広島の東洋楽器でも作られていた。
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HITACHI

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HITACHI/ヒタチ 製造:日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ株式会社)
ピアノのまくり(蓋部分)にあるブランド名は「HITACHI」となっていますが、ピアノ自体はヤマハです。
1960年代、日本楽器製造の経営戦略として日立製作所(株)の社員向けに特別に販売した廉価版ピアノ。
当時、ヤマハ音楽教室拡大の戦略に相当の力を入れていた日本楽器(ヤマハ)の経営は、
国内の大企業である日立製作所の家族を取り込むことでカワイ楽器をさらに引き離そうと拡大を図ったが、
製造出荷されたピアノはさほど多くはない。
OEM販売ではないので、内部エンブレムはHITACHIとはなっておらず、一般的な3本音叉のヤマハマークです。 |
HOBART M. CABLE |
ホバート・M・ケーブル アメリカ 1911年創業 工場:ミシガン州
|
HOELLING & SPENCENGBERG |
ドイツ 読み方不明、詳細不明
|
HOEPFER |
ヘパー ドイツ 詳細不明
|
HOFMANN
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HOFMANN ホフマン
株式会社 西川楽器製作所
日本楽器製造株式会社(横浜工場)
有限会社 興和楽器製作所
東洋楽器製造株式会社(広島)
発売元:小野ピアノ販売店、(十字屋楽器店も?) ※SONAREの項目も参照
※下記ドイツのホフマンは”F”が2個ですがこちらは1個です |
HOFFMANN
★

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HOFFMANN(W.HOFFMANN)(& KUHNE) ホフマン&キューネ
ドイツ(旧西ドイツ)
HOFFMANN(ホフマン)(ベヒシュタイングループ)はペトロフがOEM販売。
PETOROFのHPより。
エンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
W・ホフマン(W. Hoffmann)はドイツのアップライトピアノおよび グランドピアノ製造業者である。 工房は1893年にベルリンで創業された。1991年、「転換」の直後、 ホフマンはベヒシュタイングループに買収され、 アップライトピアノとグランドピアノはザイフヘナースドルフで生産された。 2001年、生産がチェコに移転された。
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HOLTS |
ホルツ 詳細不明 |
HOMEYER |
HOMEYER/ERNST HOMEYER ホーマイヤー ドイツ(ライプツィヒ) 旧東ドイツ その他詳細不明 |
HOPKINSON
★


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ホプキンソン 1835年創業 イギリス(ロンドン)
J.& J. HOPKINSON ホプキンソンピアノ社
ジョン・ホプキンソンによって設立
音楽出版社から出発したピアノ製造メーカーで、
1990年ベントリー社によって買収
ホプキンソンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
HORUGEL |
ホルーゲル ドイツ 詳細不明
|
HORUGEL
★★

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ホルーゲル/(オノ・ホルーゲル)
※HORUGELの発音で”ホリューゲル”もありますが”ホルーゲル”という読み方が一般的なようです
<発売元>
小野ピアノ販売店 (住所当時:大阪市住吉区帝塚山西2-8-3*)
<製造元>
株式会社 小野ピアノ製作所
東京蒲田楽器製作所(蒲田ピアノ修理所)
斉藤楽器株式会社
有限会社 及川ピアノ製作所
西村ピアノ商会
創始者の小野好氏は仙台の富豪で、最初は最初は蓄音機の販売で成功し、
昭和8年、東京大田区の六郷にピアノ工場を持ち、
戦争中は神奈川県湯河原に疎開して大きく発展したようです。
トレードマークには、ONO PIANO,COとあります。小野ピアノ。
ホルーゲルは同社のメインブランドでした。
このピアノは私自身1台しか調律したことはありませんが、
作りはうーん。。といった印象です。ただし、かなり古いピアノでした。
<別情報>斉藤喜一郎氏がドイツ留学から帰国後、東京蒲田楽器製作所を設立し
ブッフホルツとホルーゲルピアノを製作したとの情報もあり(詳細不明)
■機種/モデル バリエーション
U5→ 特製ハンマー使用 (黒塗、マホガニー、ウォルナット)
U6→ レンナーハンマー使用 (黒塗、マホガニー、ウォルナット)
U7→ レンナーハンマー&レンナーアクション使用 (黒塗、マホガニー、ウォルナット)
|
HOTTA
★
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HOTTA ホッタ
株式会社 堀田楽器製作所(名古屋) ※堀田オルガン製作所、株式会社 堀田洋行
名古屋の楽器商堀田洋行は、戦後一時オルガンで大当たりし、
引き続きピアノを製作したが、こちらはそれほどではなかった。
創立者の堀田悟朗氏(明治36年生)は、上海のモートリーピアノで技術を学び、
昭和28年ごろグランド型のオルガンを発案し、ピアノの代用として一時期よく売れた。
61鍵、73鍵などがあった。
|
HOUGEL |
HOUGEL,HUGEL,(FOOGEL?),(FOUGEL?) ヒューゲル (フーゲル)
明音楽器製作所(浜松) FOOGELの説もある
|
HSINGHAI
★★

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HSINGHAI/XINGHAI シンハイ(星海) 中国北京
同じブランドなのに表記が「HSINGHAI」と「XINGHAI」の2種類あり、混在しています。
この理由や詳細は不明。
漢字で書くと星海と書く中国北京製のピアノです。
中国の首都である北京には楽器を取り扱っている軽工業公司の総元締である
総公司があるので北京製のピアノは中国で最も優れたピアノだと言えよう(当時)
グランドはフルコンサートを含む4種類、アップライトの種類も大変多い。
北京のピアノ工場は音楽大学と密接な関係があり、音楽大学にはピアノ科の学生
一人一人に1台のピアノが備え付けられている。
ニエアル(聶耳)と同じで星海も中国の有名な作曲家で、フルネームは洗星海
(シェン・シンハイ)である。彼は1905年に広東省の漁師の家に生まれ、
努力して広東の嶺南大学を卒業後、フランスに行き、パリ音楽院で作曲を学ぶ。
そして1935に上海に帰国したとき、抗日救国運動が激しく燃え上がっている
のを見て、多くの救国歌曲を作ったと伝えられている。
後に武漢から延安に入り、すぐに芸術学院音楽家主任となり、民族音楽の採集、
整理、研究をした人で、有名な中国の歌劇である東方紅(トンファンホン)も
この時代に生まれたといわれている。
彼は多くの民族色豊かな作曲を残すと共に、1940年に社会主義リアリズムの
新しい音楽をいかにして民族音楽の形式と結合させるかという野望を抱いて
ソ連に渡り、第一交響曲(民族解放)と、第二交響曲(神聖なる戦い)を作曲したが
惜しくも胸部疾患のため1946年に他界。
彼は中国にとっては最も社会主義に尽くした文化人であるから、北京製のピアノに
彼の名前が残されたのであろう。
中国の輸出用ピアノにはエーデルスタイン(EDELSTEIN)と名付けられている。
シンハイのトレードマーク画像は「匿名希望様」からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
XINGHAIの公式HP →★
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HUNTINGTON |
ハンティングトン スターリング・ピアノ・コーポレーション アメリカテネシー州
※STERLINGの項目参照
|
HUPFELD
★
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フプフェルト
フプフェルトは1800年代後半に創立されたドイツ・ライプツィヒのメーカーです。
→詳しくはRONISCH(レーニッシュ)の項目を参照
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HUPFER
★
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HUPFER フッペル ドイツ(ツァィツ市/Zeitz)
1874年創業?
ドイツにあるツァイツ市は、ドイツのライプツィヒの南南西、約30~40kmのところにある町です。
フッペルのピアノは手づくり工房で1台1台コツコツと製作されていました。
大量生産はしていない貴重なピアノで、日本国内でグランドだと現在4台しか確認されていません。(私調べ)
フッペルが有名になったのは、映画「月光の夏」(1993年公開作品)で、
この映画に登場するピアノがフッペルで、現在は鳥栖市の 「サンメッセ鳥栖」に置いてあるピアノです。
<当方が現在把握している国内に現存する4台のフッペルグランドピアノの所在は下記の通りです>
■佐賀県鳥栖市 「サンメッセ鳥栖」(多目的施設)1階の情報と憩いの場(ふれあい広場)※元々は「鳥栖小学校」にあった
■鹿児島県知覧町 「知覧特攻平和会館」のロビー
■鳥取県日南町 「日南町立日野上小学校」の体育館
■山口県岩国市 「古民家カフェ 光風堂」 ※ピアノは大修復で塗装を剥がしたので現在は木目調とのこと |
HUPFER |
フッペル 上杉 漸氏
上記ドイツのHUPFER(フッペル)とまったく同じスペルですが違うピアノです。
トレードマークはHUPFER ZEITZの文字の中央に菊のマークが入っています。 |
HUTTNER HÜTTNER
★


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HUTTNER/HÜTTNER
ヒュッツナー/ヒュットナー/ハッツナー(どの読み方が正式なのか不明)
トーカイ楽器/東海楽器製造(株)
当時:浜松市寺脇町36 (※東海楽器の現在のHPには寺島町とあるが詳細は不明)
現在:浜松市南区遠州浜2-26-10 (現在はギターのみの製造で、ピアノの製造はしていません)
機種:U5DM、U5DW、E1-M、E1-M(CUSTOM)等 ※Mはマホガニー、Wは木目調
TOKAI楽器には2枚目(下)のような別のトレードマークもあるようです。2人の天使?が描かれています。
こちらの画像は「Atelier sonorite」様よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<東海楽器が製造したブランドを列挙いたします>
■ TOKAI(トーカイ)
■ BOLERO(ボレロ)
■ SILBER STEIN(シルバースタイン)
■ HUTTNER(ヒュッツナー)
■ GOLD STAR(ゴールドスター)
東海楽器に関するの詳しい解説は、「トーカイ」のブランド項目参照 |
HYUNDAI
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Hyundai ヒュンダイ 韓国 ローゼンストックRS101などと似たピアノ |
ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
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K. HERRMANN |
K.HERRMANN K・ヘルマン 日産楽器(浜松市) 詳細不明
|
KAFMANN

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カフマン 韓国製 (注:イタリア製ではありません、イギリスのKAUFMANNでもありません)
※カフマンの画像は匿名希望様からご寄稿頂きました。ありがとうございます! |
KAISER
★★★

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カイザー
河合楽器(河合ピアノの河合滋氏の義兄の設立)が
日本楽器の天竜工場にオーダーして作ったピアノです。
製造がヤマハで、売るのがカワイということで不思議な感じがしますが、
カワイピアノ製作所とは関係がなく、エテルナと同じ背景のピアノです。
販売するお店が京橋にあったので京橋カワイとも呼ぶ人もいます。
ピアノの歴史ってなかなか面白いですよね♪
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KALLMAN
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カルマン 井ヅツピアノ(井ヅツ楽器株式会社)大阪 井ヅツピアノで発売したブランドの一つ。
その他詳細不明
|
KALLMANN
★★


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カールマン (ゲルス・カールマン/ゲルス・コールマン)
GÖRS & KALLMANN (GORS KALLMANN)
昭和楽器の製造
機種バリエーション GK2000など
ドイツ(旧西ドイツ)製にも同じ名前(R.GÖRS & KALLMANN)がありますがまったく違います。
音色・作りはローレックスKR27等に近い感じです。その他詳細不明。
ピアノ天板をあけると裏に貼ってある昭和楽器の品質保障シール
(作ったピアノすべてに貼ってるとは思いますがね) →★
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KAPS
★
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カップス KAPS ドイツ
エルンスト・カプス・ピアノ・ファブリック
(Ernst Kaps Piano Fabrik、エルンスト・カプス・ピアノ工場)
1858年に創業されたドイツのピアノ製造会社
最初の工場はドレスデン・Seminar通り220から22番地にあった。
カプスはザクセン王国御用達称号を得た。 |
KARLEN |
KARLEN カーレン 日本 杉山直次 詳細不明
|
KAUFMANN |
カフマン イギリス 詳細不明
※韓国製のKAFMANNとは違う
|
KAWAI
★★★★













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カワイ KAWAI (株)河合楽器製作所 創業1927年。
言わずと知れた日本のピアノメーカーです。ヤマハに次ぐメーカーです(生産台数として)
世界に目を向けても世界第2位の製造台数です。
トレードマークは時代によって大きく変更されたり、微妙に変わったりしています。
ちなみに製造台数(アップライトピアノ)は、ヤマハが618万台、カワイが258万台となっています。
ヤマハはカワイの倍以上の製造をしていますね。(西暦2007年時点に於いて)
製造番号はすべて1番からの通し番号で、二つとして同じ製造番号はありません。
従いまして、メーカーの製造番号から製造年も分かります。
日本楽器(現ヤマハ株式会社)に12歳から勤務していた河合小市氏が独立し、
昭和2年(西暦1927年)に河合楽器研究所として設立したのが始まりです。
カワイは日本で初めて独自のアクションを製作したピアノ会社です。
X-JAPANのYOSHIKIがカワイの透明なピアノ(クリスタルピアノ)を使っているのは有名です。
力ワイ・ピアノは、アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノマスターコンクールと、
ショパン国際ピアノコンクールで、公式楽器に認定されました。
カワイのアップライトピアノのアクションレールに貼られたシール
→★
同じくカワイのアップライトピアノのアクションレールに貼られた別バージョンシール(JIS8341)
→★
古いカワイ内部にある防錆剤(ダイアナ)の小袋 →★ カワイの昔懐かしいキーカバー →★
昭和38年製カワイピアノの証明書(保証書) →★ 昭和38年製カワイピアノ(K48)御愛用の栞 →★
カワイのまくり(フタ部分)にあるKAWAIブランド銘柄マーク
→★
<カワイの歴史>
河合小市氏は1897年から日本楽器(現ヤマハ)に勤めていたが、1927年に独立して自身の会社を設立した。
河合が最初に製作したピアノは64鐽のアップライトで、350円で売られた。そしてその一年後、河合は最初の
グランドピアノを製作する。河合が会社創成期に克服しなくてはならなかった困難は並大抵のものではなかった。
優秀な職人も、良質の材料も不足していただけでなく、販売網が確立されていなかったからだ。
1930年代にはすでに社名が河合楽器製作所となり、年間250台程度だった生産高が1,000台にまで増大したが、
第二次世界大戦で工場は完全に破壊され、将来の見通しが立たなくなってしまった。
河合小市氏の努力と前向きさに加え、学校のカリキュラムに音楽が組み込まれたことも追い風となり、
工場は再設立され、1949年にはアップライトとグランドの生産が開始された。
1953年にはピアノ生産高が年間1,500台にまで伸び、従業員数は500人になった。日本におけるカワイの多大な
功績を称えられ、河合小市氏は天皇陛下より栄誉ある藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受章した。
このような賞を受賞したのは楽器産業界初であった。
1955年に河合小市氏が亡くなると、息子の河合滋氏が会社を引き継ぎ、生産高を向上させるため、
工場に近代的な生産技術を導入する。河合は若い親たちに子どもの音楽教育の有用性を訴えるなど、
積極的なセールス手法をとり、特にピアノを推奨した。そして全国規模の音楽教室のネットワークと、
音楽講師の養成学校を設立した。その後、河合は生産ベースを工場1ヶ所から14ヶ所に拡大する。
その中には1988年に設立されたアメリカの工場も含まれる。
1960年代、力ワイは約2,000人の訪問セールス員を雇い、カワイ音楽教室には300,000人以上が受講。
アメリカ国内でピアノと電子オルガンを販売するため、1963年に力ワイアメリカコーポレーションが設立され、
力ワイヨーロッパ、力ワイカナダ、力ワイオーストラリア、力ワイアジアが続いて設立された。
1980年、面積29,879平方メートル(9,038坪)の工場が建設され、
1日に60台のグランドピアノを生産することが可能になった。
1989年に滋氏の息子の河合弘隆氏が社長に就任し、製造工程にロボット技術を導入するために
莫大な資金を投入した。近年、会社は生産拠点をアメリカやマレーシアなどの日本国外に設立した。
より丈夫で安定したアクション部品の材料を追求し、力ワイは他に先駆けて新素材を使用し始め、
現在の力ワイのアクション部品はABS樹脂などでできている。
<附録>
カワイピアノ 製造番号/製造年対照表(1951年~1988年) →★
カワイピアノ 製造番号/製造年対照表(1988年~2012年) →★
<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★
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KEIMAN
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KEIMAN カイマン 永栄楽器(名古屋)、東洋ピアノ製造(株) 浜松市竜洋町高木
その他詳細不明
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KEMBLE
★★
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KEMBLE ケンブル イギリス ミルトン・キーンズ
Kemble and Company Ltd.
ケンブルのピアノは、豊かでまろやかなヨーロッパ的な音色で知られている。
バイエルンの「持続可能森林」のスプルース材が響板に用いられており、また鍵盤も
さまざまな気候条件において安定した状態を保てるように同じくスプルース材で出来ている。
クァンタム131の外装デザインは、イギリスの有名なデザイン会社コンラン・アンド・パートナーズ社が手掛けた。
ケンブルの従業員の70パーセント以上が同社で15年以上働いており、その豊かな経験は
世代から世代へと工場の中で受け継がれている。
1930年代に生産された『ミンクス』というアップライトピアノは高さが90cmしかなく、
アクションは鍵盤より下に位置するため、鍵盤後部が上がることによって突き上げるのではなく、
下から引き上げることでハンマーヘッドが弦へ向かう仕組みだった。
また追加で、弦が発する音量を弱くするモジュレーターを取り付けることができた。
ケンブルの輸入会社は成功し、1920年までにはロンドンのストーク・ニューイントンの工房で
自社の楽器を製作するようになった。第一次世界大戦までこの地域はピアノの町だったため、
ロバー卜・ケンブルは工房の職人を見つけるために、正面の窓にカーテン代わりにピアノフェルトを
吊るしている家を探してまわったという。そのような家を見つけると、戦前にピアノ工房で
働いていた者がいないか尋ね、もしいれば、その人を雇った。ケンブルは妻のいとこの
ヴィクター・ジェイコブスとともに働き、彼の会社は1920年代と30年代の厳しい経済情勢下でも
繁盛した。1935年にケンブル社は3つの新モデルを売り出す。ジュビリー(その年のジョージ5世
在位25周年を記念した名称)と、キュビストと、ミンクスだ。特に小型のミンクスの人気は
めざましく、これらの楽器への需要は生産が迫いつかないほど高まった。
1939年になると、ケンブル社は戦争に協力するため、爆撃機のドアを生産するようになったが、
戦後はすぐにピアノ生産を再開した。1967年、ケンブル社はクラーマー(Cramer)と
ブリンスミード(Brinsmead)のブランド名を買収し、翌年、ロンドンからミルトン・キーンズの
ブレッチリーへ移転した。ここでは今もアップライトピアノが生産されている。
その前の年に、ケンブル社はヤマハ株式会社の電子オルガンを配給する契約を結んでいた。
そしてその配給契約は株式購入へと発展する。1971年にヤマハはケンブル社の少数株主となった。
1980年代の初め、ケンブル社は廃業の一歩手前まで追い込まれるが、その寸前にディートマン・
ピアノをイギリスで生産するという大きな契約をイパッハ社から取り付ける。
1984年にケンブル社はまた苦境に陥り、ふたたびヤマハが多額の投資をして、
今回は株の過半数を取得した。1986年まで、ケンブル社はヤマハの名前でヨーロッパ市場向けの
ピアノを生産し、生産高を急激に増やすために大きな投資をした。1992年、ケンブル社は
輸出部門で英国女王賞を受賞。3年で輸出量が2倍以上になった。1999年に生産高はピークに達し、
約7,000台のピアノが生産された。そして現在も安定した生産高を保っている。
したがって、近年のものはヤマハ製アクションを使用している。
現在、ケンブル社はヨーロッパでも最も進んだピアノ製造工場を誇る。
1968年にロンドンの伝統的なピアノの町から、パッキンガムシャーのミルトン・キーンズへ
移った先見の明により、会社は見事な成長を遂げて、今やヨーロッパ最大のピアノ製作会社となった。
<附録>
ケンブルピアノ 製造番号/製造年対照表(1930年~2000年) →★
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KEMP
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KEMP ケンプ 東日本ピアノ製造(株)浜松 詳細不明
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KEYFER
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KEYFER キーファー 日本 詳細不明
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KHOHL |
KHOHL コール ドイツ 詳細不明 |
KIMBALL
★★★

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KIMBALL PIANOS キンボール ジャスパーコーポレーション(アメリカ)
創業1857年 ※現在は生産されていません
キンボール社は小さな小売店から始まり、世界最大クラスのピアノ製造会社へ発展した。
それは創立者のウィリアム・ウォレス・キンボールの賢明さと努力の賜だったとも言える。
キンボールは音楽的なバックグラウンドはなかったものの、1850年代の市場変化への優れた洞察力を持ち、
アイオワの土地を売ってグロヴェスティーンとトラスローのスクエアピアノを4台購入し、
1857年にシカゴに小売店を開いた。
1864年、キンボールは名門クロスビー・オペラハウスの中に店舗を設け、低価格のリードオルガンや、
チッカリング、ヘールなどの東海岸のメーカーのピアノを販売した。
キンボールは精力的に働き、すぐにアメリカ西部で最大のピアノディーラーになり、会社は繁盛し続けたが、
1871年にシカゴ大火に見舞われ、キンボール社はすべての商品と在庫、ならびにショールームを失う。
ジョセフ・ヘールはキンボールが築き上げてきた業績への尊敬の念から、「とりあえず私の10万ドルを
使って下さい」と、火事の当日に電報を打ったと伝えられている。
キンボールは店を自宅に構えなければならないほどだったが、1880年には100万ドルを超える
収益を上げるようにまでになった。
1880年代にはリードオルガンの生産を開始し、1882年に面積960,000平方フィート(89186平米)の工場を
オープンしてからは、年間15,000台もの楽器を製造するようになった。
1887年に既存のオルガン工場を増設し、1888年からはそこでピアノの生産がスタートした。
最初の年に生産された500台のピアノは満足のいかない出来だったが、スタインウェイやベヒシュタインに
勤めていた技術者を雇ってからは、楽器の品質が一気に向上した。
キンボール・ピアノは積極的に売り込まれ、数多くのショールームに展示された。
そして展示にとどまらずキンボール社は40人の出張セールスマンによって販売もされ、北米の隅々まで
販路を広げるためにキンボールに雇われた人たちだった。
そうしたことで、キンボールは、パイプオルガンおよびピアノ製造の伝統的な長い歴史を持ち、
現在では電子オルガンのメーカーとしても世界的に知られている。
生産するピアノの種類は極めて多く、スピネットからコンサートグランドに至る各種ピアノのほかに、
プレイヤーピアノ(自動ピアノ演奏)まで作っている。
ウィリアム・ウォレス・キンボールは会社を後継者に遺して1904年に亡くなった。
キンボール社は中価格市場向けのピアノを生産し、1910年に絶頂期を迎えるが、1959年には破産状態に。
原因は1930年代の大恐慌と、当時の社長W.W.キンボール・ジュニアによる度重なる楽観的な判断だった。
1959年、オフィス家具メーカーのジェスパー・コーポレーションというインディアナ州の
アメリカ屈指の巨大なテレビおよびステレオなどのキャビネットメーカーの傘下になり、
社名はキンボール・インターナショナルに改められました。
従業員はピアノ製作の経験がなく、生産したピアノの半分が工場に戻ってくるという結果になったものの、
キンボールピアノは他のメーカーと比較した場合、はるかに有利な条件で木材が入手出来たという。
その後、生産技術は向上し、1966~67年にかけてオーストリアの偉大なピアノメーカーである
ベーゼンドルファー社を買収し、さらに1980年にはアメリカのクラカウアー社を買収したことにより、
ピアノ製作面でのサポートを得て、 その秀でたピアノ製作技術がキンボールに導入されました。
その後、1995年にグランド製造中止、翌年1996年にはアップライトも製造中止に。
<キンボール社の特徴>
キンボールはその長い製作の歴史の間に、幾多の構造上・デザイン上のパイオニア的役割を果たしています。
第一に挙げられるものとしては、”ライフクラウンド”とよばれる響板の改良である。
これは気温や湿度の変化に対して絶対に割れる危険性のない、通常の3倍の強度を持ったものとのことだ。
また、”ユニロック”とよばれるチューニングピンを確実に保持する装置の開発によってピアノの調律を
長持ちさせることに成功している。
さらにキンボールは、”スーパーフォニックスケール”とよぶアップライトピアノの音色を、
グランドピアノの音色に近づける方法や、耐水接着剤の使用を可能にしたエレクトロニック接着法の開発、
その他幾多の新技術をピアノ工業へ導入し、その製造技術を飛躍的に向上させました。
また、現在あらゆる鍵盤楽器に白と黒の鍵盤の原型を作り出したのもキンボールであると伝えられています。
ピアノやオルガンの白鍵と黒鍵の配列法は非常に微妙で、黒鍵は白鍵の真ん中にはなく弾きやすいように
各音によって少しづつ左右にずらしてあります。
<過去にキンボール社が取り扱ったピアノブランド名>
Kimball、Conn、Jasper-American、W.W.Kimball、Hinze、Harrison、Schuerman、
DeVoe & Sons、Whittaker、Becker、La Petite、Krakauer、Whitney、Whitmore
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KINCAID
★
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キンケイド KINCAID アメリカ(ノースカロライナ)
ノースカロライナのモルガントンで作られているピアノで、会社名はグランドピアノ会社。
この会社名から推察すると、グランドピアノを専門に作っているように想像できますが、
名称とは真逆に安価なアップライトのみを作っており、ピアノには15年の保証をつけて販売。
キンケイドピアノには種類が多く、約25種類もある。
日本のピアノといえば黒塗りが多いが、アメリカやヨーロッパのピアノといえば、
生地塗りや部屋の模様にマッチしたさまざまなデザインのものが多いのが普通です。
キンケイドにもさまざまなデザインのものがありますが、そのデザインにも伝統的な
流儀があり、あまり突飛なものがあるわけではありません。
ちなみに、キンケイドピアノのデザインは大きく分けて次の9種類に分類されます。
■モダン:近代的なデザインののっぺりしたデザイン(別名ボックストライク)
■コンテンポラリー:現代風の部屋にマッチしたケースのピアノ
■トラディショナル:伝統的なスタイルのケースで、アメリカでは最も人気
■トランシィショナル:過渡期という意味で、トラディショナルとコンテンポラリーの中間的デザイン
■アーリー・アメリカン:開拓史時代のデザインのケース
■スパニッシュ:スペイン風の優雅なスタイルのケース
■フレンチ・プロビンシアル:フランスの田舎風なという意味で、ネコ脚のついたロココ風な優美なデザイン
■イタリアン・プロビンシアル: イタリアの田舎風なという意味で、古風なデザイン
■メディタレニアン:地中海風のという意味で、重厚なデザインのもの
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KING |
キング アメリカ(シカゴ) 詳細不明
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KING DAVID
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キングデイビッド 台湾(中国)
聲茂楽器製造股份有限公司
工場は新竹県湖口工業区にある。
奥行き140cmのベビーグランド1種類のみ製造し、アメリカやイギリスなどに輸出していたとのこと。
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KINGSBURY
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キングスブリー ケーブル・ネルソン(ケーブルピアノ社) アメリカ(オレゴン州)
このブランドは、学校やピアノ教育専用に使われているとのこと。
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KIRKMAN |
KIRKMAN カークマン イギリス 詳細不明
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KNIGHT
★★
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ナイト Knight イギリス・ロンドン/イングランド Since 1935
ナイトのアップライトピアノは温もりのある歌うような音色で、高音部は均一な響きを持つ。
ナイトの鉄フレームは標準的なピアノのフレームの二倍の強度を待つ。それは桁の構造原理に基づいた
全周フレームで、ビーチ材の4本支柱の背面構造に固定されている。
極めて高い調律の安定性を得るため、ピン板はフレームのポケットに収められている。
K10モデルには高音部のストレスバーがない。ピアノの左下の角に弦張力に抵抗するためのバーが
何本かあり、響きが弱くなることを防ぐ。チューニングピンを支えて調律の安定度を強化するため、
硬質繊維板のビンブッシュが用いられている。重い純銅線が巻かれた低音部の弦は総重量が3Kgある。
<歴史>
ラジオ、映画、蓄音機の出現によってすでに苦しんでいたピアノ産業は、
1930年代の大恐慌でさらに大打撃を受ける。
そのような状況ドの1935年に、アルフレッド・ナイトは絶大な自信をもってロンドンに会社を設立した。
アルフレッド・ナイトはさまざまなピアノ会社で働いた経歴があり、また才能のあるピアノ奏者でもあったため、
自分が作った楽器を喜んで実演していた。
ナイトのピアノ作りへの情熱は報われ、創業から10年経つ頃には、ナイト社は年間1,000台のピアノを生産していた。
第二次世界大戦中もナイト社は政府からの受注でピアノを作り続けた。
1944年のノルマンディー上陸作戦の直後、保護のため金属の緑を取り付け、ビールをこぼしても大丈夫なように
特別に作られた9台のナイト製ピアノが、ヨーロッパ大陸へ上陸したと言われている。
戦時中もピアノ生産を中断せずに済んだナイト社は、戦後、他メーカーに大きな差をつけることが出来た。
アルフレッド・ナイトは輸出先を開拓しようと休みなく働き、自社のピアノが高い水準に達していることを
センスとユーモアを交えて実演してみせた。
1955年、アルフレッドは会社をエセックス州ラフトンの大きな工場へ移し、50年代の終わりに
ブリティッシュ・ピアノ・アクション社の経営権を取得した。
アルフレッドは当時新たに開発されたプラスチックを用いて、自らピアノアクションの再設計に着手した。
彼は黒鉛を含ませたナイロンとグラスファイバーを用いて、摩擦のないジャックとフレンジを作り出すことに成功し、
さらに、染みがつかない白いプラスチックの白鍵キートップを開発した。
アルフレッドが亡くなると、会社の経営は娘の一家が引き継いだ。
1991年から、ナイト・ピアノは自社仕様の楽器の生産を、ブリティッシュ・ピアノ・マニュファクチャリング社の
一部であるウェルプデール、マックスウェル・アンド・コッドに依頼している。
<附録>
ナイトピアノ 製造番号/製造年対照表(1936年~2000年) →★
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KOHLER & CAMPBELL
★★


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KÖHLER & CAMPBELL (ケーラー・アンド・キャンベル)は1896年ニューヨークで創業、
1983年までに毎年約1万台を生産し、約800,000台以上のピアノを世に送り出した
アメリカ最古のピアノメーカーのうちのひとつです。
1977年、韓国のサミックにブランド譲渡され、輸出向けブランド「ケーラー&キャンベル」として 、
外装・組み立て等工賃のかかる工程をインドネシアで仕上げることによって、
コストパフォーマンスに優れた製品に改変。
日本に輸入されたピアノは、東洋ピアノの管理の中で出荷調整がなされ国内販売されています。
近年販売されたピアノはKÖHLERではなく、どこの部分を見てもKOHLERになっていますが詳細不明。
ピアノの拍子木にあるプレートの写真 →★
【歴史】
1896年にケーラーと、キャンベルの二人が組んでピアノ製作を始めたことからこのブランドが生まれました。
この会社は20年たたぬうちに、アップライトピアノ、自動ピアノと自動再生アクションの性能において
世界有数のものにのし上がったとききます。
このケーラー・アンド・キャンベル社は20世紀の初めに自動アクションの製作に専念し、
それを他のメーカーに販売する傍ら、ベルトミニヨンの再生アクションを作り出して、蓄音機が出来る以前、
はじめて一般の人にコンサート以外でピアノ演奏を聞かせるという功績を残しました。
その後、オート・ニューマチック・アクション社とスタンダード・ニューマチック・アクション社という
二つの子会社を作り、あらゆるピアノメーカーへ自動ピアノアクションを売り続け、その売上げは年間
5万台にものぼったと記録に残っています。
この会社は、その後アメリカで最も古いピアノメーカーであるフランシス・ベーコン社を吸収しているので、
その技術の源は1789年にさかのぼる最も伝統を誇れるものとなりました。
元来、ニューヨークにあった会社ではあったが、その後ノースカロライナに近代的な工場が建てられ、
全米その他に500もの代理店を持ったこともあります。
読み方
× コールアンドキャンベル、コーラーアンドキャンベル
○ ケーラーアンドキャンベル
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KLIBEL
★
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KLIBEL クリーベル 興和楽器製作所(浜松市天竜川西岸) S・クリーベル
クリーベルという名前は他にも多く、例えば、
■クリーベル(KRIEBEL)ドイツ製
■クリーベル(KRIEBEL)東日本ピアノ製造(株)静岡県浜松市天竜川町332番地(当時)
■クリーベル(CREABEL) 共立楽器 などがあります
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KLINGEL
★
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クリンゲル
昭和54年、浜松市の向宿町に設立されたトニカ楽器製造のブランドで、
戦前は東京神田神保町のピオバ楽器が広田ピアノに製作を依頼していました。
ですが、いま見かけるクリンゲルピアノは韓国製(英昌)がほとんどだと思われます。
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KLINGEL
★



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クリンゲル
※写真のトレードマークは韓国(英昌)製のものです
当時、協立楽器が販売しており、ローゼンストックなどと同じ系統のピアノです。
作りや音色もローゼンストックピアノとほぼ同じです。
■機種バリエーション
G803、G806、KU250、KU380、KU700など
クリンゲルピアノの保証書 →★ クリンゲルピアノのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★
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KLINGMANN |
KLINGMANN クリングマン ドイツ 詳細不明
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KNABE
★★

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WM. KNABE & CO. ウィリアム・クナーベ アメリカ
1839年創業 アメリカメリーランド州(都市:ボルチモア)
創業者:ウィリアム・クナーベ/ヴァレンティン・クナーベ(ドイツ生まれ)
アメリカン・ピアノ・カンパニー、
エオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品の後、
現所有:ピアノディスク社 現在の製造はサミック社とのこと
※MASON & HAMLINの項目や、AEOLIANの項目も参照
1839年にアメリカのボルティモアに設立されたクナーベ社は、アメリカでもっとも有名な
ピアノメーカーのひとつとなった。
当初は「裕福な上流の人々に相応しい品質のピアノ」というスローガンで宣伝されたクナーベのピアノの音質は、
ダルベールやサンサーンスなどの一流のヴィルトゥオーゾに絶賛された。
またクナーベのピアノは見本市に出展されると、高い職人技と優れた構造を称えられて必ず賞を獲得した。
プロイセンの家具、ピアノ職人の見習いだったヴァレンティン・クナーベは、1833年にアメリカに移住し、
ピアノ製作者のヘンリー・ハーティーのもとで働き始めた。
クナーベは英語と商売の技術を学んだ後、1839年にヘンリー・ゲーレと組んで会社を設立し、
クナーベ・アンド・ゲーレのブランド名でピアノを作り始めた。
1854年にクナーベはゲーレから会社を買い取り、息子のウィリアムとアーネストとともにピアノの生産を開始。
ヴァレンティンが1864年に亡くなるまで会社は上質のピアノメーカーの地位を確立し、息子たちの指揮の下、
会社は繁栄し続けた。
1870年には毎年約500台のピアノが生産されるようになり、工場の再開発を経て1890年に生産高は、
年間2000台まで跳ね上がった。19世紀の終わりの四半世紀にクナーベは絶大な評価を得るようになり、
ニューヨークとワシントンにショールームが設立された。
ルービンシュタインをはじめ、多くの音楽家がクナーベ社の支援を受け、クナーベピアノでコンサートを行った。
1891年のカーネギーホールの「こけら落とし」ではクナーベ社がスポンサーとなり、チャイコフスキーを
ゲスト指揮者として招いた。
1889年と1894年にクナーベ兄弟が相次いで突然亡くなってからは、ヴァレンティンの孫が後を継ぎ、
1908年にアメリカン・ピアノ・カンパニーに吸収合併されるまで会社を経営した。
合併の1年後、ウィリアム・ジュニアとアーネスト・ジュニアはこの複合会社を去り、オハイオ州にクナーベ・
ブラザーズ・カンパニーを設立する。
クナーベ・ブラザーズ・カンパニーは短命に終わったが、1914年までクナーベ家伝統の音を保持したピアノを生産。
会社の買収と、新たなクナーベ・ブラザーズ・カンパニーの設立があったにもかかわらず、元々のクナーベ社は
ピアノを販売し続け、1916年には生産高が年間3000台に達した。
1932年にアメリカン・ピアノ・カンパニーはエオリアン・コーポレーションの一部になり、アップライトと、
グランドピアノを生産し続けたが、1985年にエオリアン社が倒産し、クナーベのブランド名や設備、
型、未完成のピアノはすべて、ゾーマー・アンド・カンパニーへ売却された。
現在は、韓国のサミック社がWm.クナーベ(Wn.Knabe)のブランド名でクナーベピアノを生産している。
<附録>
クナーベピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1850年~1980年) →★
クナーベのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
KNABE |
クナーベ ドイツ 詳細不明
|
KNABEL |
クナーベル 明音楽器製作所(浜松市) 詳細不明
|
KNOCHEL |
クノッヘル ドイツ 詳細不明 |
KONETZNY |
コネツネー ドイツ 詳細不明 |
KONING (KÖNING)
★★


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KONIG (KÖNIG) ケーニッヒ
三陽楽器製作所、ケーニッヒピアノ製作所、マライ楽器製造
神原清作氏の設計、および製造指導によって作られた。
神原清作氏は明治28年生まれ。日本楽器で山葉直吉氏、河合小市氏らに教えをうけたが、
後にアメリカに留学しボストンのフォースト調律学校を卒業した。
ケーニッヒのまくり(蓋部分)にある銘柄マーク →★
ケーニッヒのエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
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KONKORIDIA
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KONKORIDIA コンコリディア 日本 詳細不明
|
KONO
★
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KONO コーノ
コーノピアノ研究所(浜松)
浜松の河野充喜氏が自身の工房で作り組み立てていたピアノ。
河野氏はアトラスの出身。
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KORIN
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コーリン 光輪ピアノ製作所(浜松) 詳細不明
|
KRAFT



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KRAFT クラフト
写真は、MODEL:132DW 機種:DU-9
当ページに掲載のエルスナー(ELSNER)というピアノのトレードマークに酷似しています。
トレードマークの外周の円から、ワシ(タカ)の羽根の飛び出し具合や雰囲気などを含め、
エルスナーのトレードマークにそっくりです。
ひょっとしたら、クラウス商事株式会社製のピアノなのかもしれませんが、詳細は不明です。
詳しくはエルスナーの項目へ。
左記画像の3枚は匿名希望様よりご寄稿頂きました。ありがとうございます! |
KRAKAUER
★
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クラカウアー KRAKAUER BROS アメリカ 工場:ニューヨーク 創業1869年
<読み> ○ クラカウアー × カラカウアー
この会社は創業1869年より長い間、家系を重んじ、手工業一途に作り続けてきたメーカです。
製作されているピアノの種類は多く、そのすべてが伝統的な外装を見事に引き継いだもので、
キンケイドの項目でも触れていますが、各種の典型的なクラシックピアノのケースの由来を
本格的に伝えるのがこのクラカウアピアノです。
尚、このクラカウアーピアノの特許に、アップライトピアノの背面を飾り板でふさぐ
というものがある。これは必ず壁に背を向けて置くという従来のアップライトピアノの常識を破り、
グランドピアノと同様に、部屋のどこにでも置けるようにしたもです。
大量生産のピアノではないので日本ではほとんど知られていませんが、品質は極めて優れたもので、
ニューヨークの公立学校だけでも1000台以上も使われているとのことです。
※一時期はキンボール社にて製造
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KRANICH & BACH
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クラニッヒ・アンド・バッハ アメリカ 工場:ニューヨーク 創業1864年
1864年、ヘルムート・クラニッヒとジャック・バッハというピアノ技術者が共同で始めた
ピアノメーカーであるためにこの名称が生まれたという。
工場はニューヨークにあり最高級のグランドピアノを製造。
音質、デザイン共に極めて優れていると言われている。
|
KRASNY OKTYABR |
クラスヌイ・オクチャーブ ロシア(ソ連) ”赤い十月”という意味 その他詳細不明
|
KRAUS
★★



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クラウス
昭和36年7月から浜松市和田町の
大成ピアノ製造(株)で作られていたブランドです。
U-127、U-130、U-133の三機種がありました。
発売元は浜松市中野町のクラウス商事。協立楽器でも販売。
クラウスというピアノには他に、イタリア製やドイツ製にも
同じクラウス(KRAUSS)がありますが詳細不明。
※一番上のトレードマークは大成ピアノピアノ時代の頃です。
ちなみに、ドレスデン(DRESDEN)のトレードマークも製造会社が同じなのでほぼ同じデザインです。
クラウスのまくり(フタの部分)の銘柄文字マーク部分
→★
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KRAUSS |
クラウス ドイツ 詳細不明 |
KRAUSS |
クラウス イタリア 詳細不明
|
KREUIZBACH
★
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クロイツバッハ KREUIZBACH 永栄楽器(名古屋)、アトラスピアノ製造(製造)(浜松)
(注)スペルの中には、”I”が入ります
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KREUTZBACH |
クロイツバッハ KREUTZBACH ドイツ 詳細不明
|
KREUTZER
★★


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KREUTZER クロイツェル (株)クロイツェル
クロイツェルピアノ製作所(製造)、稲葉楽器(旧称)
クロイツェルピアノ製作所(創業1953年)で昭和28年から製造されているピアノ。
昭和51年末に新工場設立。浜松市和田町より浜松市安新町に移転(旧称)稲葉楽器。
東京のイナバピアノと縁故が深い。
上から2番目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<附録>
クロイツェルピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1985年~2012年) →★
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KRIEBEL
★★




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クリーベル
東日本ピアノ製造(株)
静岡県浜松市天竜川町332番地(当時)
1型や3型のピアノは音色・タッチともに重厚な印象のピアノです。
機種バリエーション:TK-380、TK-88(小型)
クリーベルという名前は他にも多く、例えば、
■クリーベル(KRIEBEL)ドイツ製
■S・クリーベル(KLIBEL)興和楽器製作所(天竜川西岸)
■クリーベル(CREABEL) 共立楽器 などがあります
クリーベルのまくり(フタ部分)にあるブランド銘柄 →★ クリーベルの保証書と検査カード
→★
沢山清次郎氏の発明によるペダルスプリング強弱調整装置(特許No453845)も採用されています →★
沢山清次郎(さわやま・せいじろう)氏のイニシャルを取ってネジ部分にS.Sと入っていますね。
※ちなみにこの強弱調整装置ですが、私の実感としてさほど強弱を変えられない印象です。
<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★
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KRIEBEL |
クリーベル ドイツ 詳細不明
|
KUNIYUKI
★
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KUNIYUKI クニユキ
(株)クニユキピアノ社(発売元)、六郷ピアノ(製造)
戦前、神田須田町の交差点のすぐ近くにクニユキピアノ社(国行)という店があり、
六郷ピアノに作らせていたピアノをクニユキのブランドで販売、戦後もしばらく繁盛していた。
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KURTZMANN
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KURTZMANN クールツマン ゴードン・ローヘッド社 アメリカ(ミシガン州グランドヘブン)
詳細は、GORDON LAUGHEADの項目を参照
|
ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
LA LUNA
★

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|
ラ・ルーナ LA LUNA
製造:遠州ピアノ製造KK
発売元:日響ピアノ
東京渋谷上通りにあった頼金義雄氏経営の日響ピアノが
主力商品として昭和30年頃より強力に売り出したピアノでした。
鉄骨部分のロゴ(トレードマーク)は他のメーカーとは一線を画し、
五線譜とト音記号をモチーフとした印象的なマークをしています。
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LA PETITE |
キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ |
LAGONDA |
(ラゴンダ?
読み方不明) アメリカ 詳細不明
|
LAMOUR
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LAMOUR 福山ピアノ社(フクヤマピアノ)東京 詳細不明
|
LANGER
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ランゲル 東洋楽器 ドイツのランゲルアクションを使用していた。
|
LAURIE
★

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ローリー LAURIE
販売:山下ピアノ社(神戸)、新宿ピアノ社(東京)
製造:東洋ピアノ製造(浜松) その他詳細不明
このトレードマーク画像は匿名希望様からご寄稿頂きました。ありがとうございます! |
LAZARE
★

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LAZARE ラザール
発売元:福山ピアノ社(東京)、製造:ドレスデンピアノ製造(浜松)、[大成ピアノ製造]
福山ピアノ社の持ちブランド。
浜松のドレスデンピアノ製造で製作していた。大型でパネルの両側の波型に特徴がある。
トレードマークには「LA CLASSE SUPÉRIEURE」とあります(上位クラス・上流階級という意味)
大型でスタイルが堂々としているのが特徴であった。
※スペルが「RAZAR」ではないのでご注意
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LEE |
→S.G.LEE 又は、T.A.LEEの項目へ |
LEGNICA
★

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レグニカ LEGNICA
ポーランド 詳細不明 |
LEIPZIGER PIANOFORTEFABRIK |
→詳しい解説は、レーニッシュ RÖNISCH (RONISCH)の項目へ |
LENYNGRAD |
レニングラード LENYNGRAD ロシア(ソ連) 詳細不明
|
LESAGE
★★
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リーセージ LESAGE PIANO LTD. カナダ
1891年に創業されたカナダ唯一の家系を重んずるメーカーです。
リーセージのモットーは「いづれにも劣らない最高品質のピアノを作る」ことにあります。
1930年台終わりに、この会社は確固とした基礎を築き上げ、他のいろいろなカナダの
ピアノメーカー(ベルピアノ、ウェーバーピアノ、クレイグピアノなど)を買収し、
その結果、カナダで第二のピアノメーカーに成長しました。
ちなみに第一はメーソン・アンド・リッシュ MASON & RISCH, LTDであろう。
リーセージはカナダ唯一の一貫工場で、極めて優れた特徴のある特殊木工機械を使い、
多くの種類の魅力的なピアノを作っている。
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LESTER
★★★




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|
レスター
トレードマークにはSINCE1930とあります。
音叉が二本交差したデザインに星形のデザインです。
この星形は調律師が使うチューニングハンマーの先端チップ部分の形からデザインしています。
大和(だいわ)楽器製造(株)で作られていたピアノで、その後レスターピアノ製造株式会社、
後の昭和46年からは新レスターピアノ製造(株)(浜松)で作られていたピアノです。
ヤマハ、カワイ、アポロに次ぐ勢力を持ったこともあります。
レスターピアノのアクションレールに貼られたLESTERのシール
→★
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LESTER |
レスター LESTER アメリカ 詳細不明
|
LEUTKE |
ロイトケ LEUTKE ドイツ 詳細不明
|
LICHTENSTEIN
★

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リヒテンシュタイン
クロイツェル社製造
機種ブランド MK300、KS605等
<広告HPより>
LICHTENSTEIN(リヒテンスタイン)は、静岡県浜松のハンドクラフト系メーカーである
「クロイツェル」による国産ブランド。
ピアノの存在感をひときわ引き立たせる、グラデーション塗装の美しい木目調のピアノ。
譜面台には現在では珍しくなった象嵌加工、ハンドメイドならではの魅力を感じることが出来ます。
またハンマーフェルトには「レンナーフェルトハンマー(ドイツ製)」を採用しています。
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LIEBERMANN
★
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リーバーマン/リバーマン/(リーベルマン) LIEBERMANN 韓国(三益)
(株)協立インターナショナルの販売(協立楽器)
協立楽器が主に関西地方で多く販売したピアノで、関東ではあまり多くは販売されていません。
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LIGE
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リグ? 中国 詳細不明 |
LIRIKA |
リリカ 旧ソ連(モスクワ) RAZNO製 |
LIPATTI |
リパッティ LIPATTI ルーマニア 詳細不明
|
LITMULER
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リットミューラー LITMULER 日本 詳細不明
|
LIPP |
リップ LLIPP RICH (LIPP) ドイツ 詳細不明
|
LORIS & SONS
★
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LORIS & SONS ローリス・アンド・サンズ
井ヅツ楽器株式会社(大阪)
LU-2B、LU-2M、LU-3B、LU-3M、IMP-B、IMP-M
などの機種があり、コールマンとともに売り出されていた。
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LOSEN
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ローゼン LOSEN ベルリンピアノ製造(株)浜松、福山ピアノ(東京) 詳細不明
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LOUIS HERMANN

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ルイスヘルマン LOUIS HERMANN
日本製だと思われますが詳細不明
このピアノも珍しくトレードマークがありません。
写真のピアノは弦がたくさん切れていおり、
終戦直後に作られたかなり古いピアノでした。
ルイスヘルマンピアノの外観とフタ部分にあるブランド銘柄マーク
→★
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LOWREY
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ローリー LOWREY PIANO CO. アメリカ
ローリーは電子オルガンで名が知られているメーカーですが、ピアノ製作を開始したのは1963年です。
その後、アメリカ最大の楽器会社であるC.M.I(CHICAGO MUSICAL, INSTRUMENT CO.)の傘下に。
全盛期は34種類のピアノが作られているというが、歴史が新しいので日本ではほとんど知られていません。
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LUBITZ |
読み方:ルービッツ? LUBITZ,H ドイツ 詳細不明
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LUCE
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ルーチェ LUCE 阿部ピアノ(浜松) 詳細不明
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LUDWIG
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ルードウィッヒ LUDWIG 日本 詳細不明
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LYON & HEALY |
読み方不明 LYON & HEALY アメリカ(シカゴ) 詳細不明
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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
MALCOOLM LOVE |
マルコム・ラブ MALCOOLM LOVE アメリカ 詳細不明 すごい名前ですね
エスティピアノの代理店のブランド ※詳しくはエスティピアノの項目を参照
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MANTHEY |
マンタイ MANTHEY ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
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MARBE |
マルベー MARBE 森技術研究所(浜松)、レスターピアノ製造(浜松)
|
MARIST |
メアリスト MARIST 小出一三氏が製作したもの。
|
MARCHEN/MÄRCHEN
★★


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メルヘン (MARCHEN/MÄRCHEN)
意外と知られていませんが、カワイ製造のセカンドブランドです
現在のブランド所有は株式会社ディアパソン。
メルヘンの初期消音システムは、ハンマーシャンクで打弦を止めるシステムではなく、
キャッチャー部分で止める構造だったため、打鍵直後のシャンクのしなりの影響で、
物理的にレットオフを広く取らなければならず、消音ユニット付きは連打が利きづらいのが難点です。
※キャッチャー部分で止める装置の実際の写真 →★
音色はカワイらしい柔らかな感じです。
メルヘンのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★
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MASON & HAMLIN
★★


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メイソン・アンド・ハムリン (メーソン & ハムリン)
The Mason & Hamlin Companies/旧(MASON & HAMLIN PIANO CO.)
アメリカ(マサチューセッツ州ハーバリル)
1854年創業。 所有:ピアノディスク社のカークとゲーリー・バージェット
メイソン・アンド・ハムリン社は1920年代まで、スタインウェイ・アンド・サンズ社の最も手強いライバルだった。
当時、「世界で一番高価なピアノ」として売り出された楽器は、まさに最高の品質を備えていた。
かつて輝かしい業績を誇ったこの会社が低迷することになったのは、所有権が安定しなかったためだ。
メイソン・アンド・ハムリンのピアノは幅広い音色のパレットを持ち、豊かな低音域、澄んだ中音域、
そして鐘が鳴るような高音域が特徴。
1900年、メイソン・アンド・ハムリン社に雇われていたリヒャルト・ゲルツは、
テンション・レゾネーターの特許を取得。
テンション・レゾネーターは調節可能な数本の金属棒からなり、それらはグランドピアノ底面の中心から
放射状に広がってリム(側板)に接続される。
その目的は、響板クラウン(むくり)の弦に対する圧力を調整し、弦の振動が響板全体に
よく伝わるようにすることだ。
この部品はメイソン・アンド・ハムリン社のすべてのグランドピアノに取リ付けられた。
この機構は、「クラウン・リテンション・システム」と呼ばれ、現在もメイソン・アンド・ハムリン社の
グランドピアノに用いられている。
1905年まで、グランドピアノには独特の張弦設計が採用されていた。
ピン板にチュー二ングピンを差し込むのではなく、弦の張力を調節するために金属のフランジとスクリューを用いる。
弦はフックに通され、小型のチューニングハンマーでスクリューを回して調律される。
スクリューはチューニングピンのように、ねじれたり動かなくなったりせず、回すのも容易で、
このシステムには従来の方式より有利な点がいくつもあり、調律の精度は高かった。
しかし、狙った音程にするのに通常のチューニングピンの方式より、余計に回す必要があった。
調律に長い時間がかかるのと(チューニングピンと反対に回して合わせていくスクリューの調律法に
慣れる必要があったためと言われている)、調律師の偏見のせいで、この貴重なアイディアは廃れていったという。
<歴史>
実業家でアマチュア音楽家のヘンリー・メイソンと、リードオルガンの開発を手掛けるエモンズ・ハムリンによって
1854年に設立されたこの会社は、すぐにハルモニウムとキャビネット・オルガンで有名になる。
メイソン・アンド・ハムリン社の最初のピアノが発売されたのは1881年と比較的遅かったが、
当初から品質は充実していた。
その後も改良が重ねられ、1895年に雇われたドイツの著名なピアノ設計家リヒャルト・W・ゲルツによって
スケールデザインが改良され、1905年には、特許を取得したテンション・レゾネーターが導入された。
一時期、メイソン・アンド・ハムリン社のグランドピアノには独特の調律システムが採用され、
チューニングピンとピン板の代わりにスクリューが用いられていた。(これを ”スクリュー・ストリンガー” と呼ぶ)
しかし、この興味深い装置は十分な発達を待たずに、1905年に廃止になった。
メイソン・アンド・ハムリン社は、1911年にケーブル・ネルソン・カンパニーの一部になってから、
所有権が次々に移って経営が傾き、1932年にはエオリアン・アメリカン・コーポレーションの所有となった。
1985年にエオリアン社が消滅すると、メイソン・アンド・ハムリン社はゾーマー・カンパニーに買収され、
その後、ゾーマー・カンパニーが1989年にファルコーネ社に買収される。
それから1991年に行われた買収のあとにできたメイソン・アンド・ハムリン・カンパニーズ
(クナーベ、ファルコーネ、ゾーマーを含む)が1995年に破産を申請し、今度はピアノディスク社に救済された。
この救いの手は当時周りからは賭けと言われていたが結果的に大成功になった。
(※ピアノディスク社はカークと、ゲイリー・バージェットがゼロから会社を興し、
電子自動演奏ピアノの市場で2000万ドルのトップ企業に育て上げたことで有名)
この新しい熱意あるオーナーのもと、会社は完全に復活を遂げ、2002年、メイソン・アンド・ハムリンのピアノは、
20世紀初頭に作られていた最高のモデルのほぼ完璧な復元となった。
<附録>
メーソン&ハムリンピアノ 製造番号/製造年代 対照表 →★
メーソン&ハムリンのまくり(蓋部分)のブランドマーク写真 →★
<現在ピアノディスク社が取り扱うピアノブランド>
Falcone、Knabe、Mason & Hamlin、Sohmer、George Steck
メーソンアンドハムリンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
MASON & RISCH
★★
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メーソン・アンド・リッシュ MASON & RISCH, LTD カナダ
カナダで最も大規模なピアノメーカーで、カナダで最も代表的なピアノメーカーです。
1871年にトロントで創業され、1881年にピアノの神様であるフランツ・リストによって、
そのピアノが賞賛されるにおよび、世界的に名声を博するものとなりました。
その後、ビクトリア女王およびローマ法王も、このメイソン・アンド・リッシュのピアノを
使ったと伝えられています。
現在は、製法も近代化され、生産設備の拡張によって大衆的な価格のピアノとなっている。
メーソンアンドリッシュのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
MATHSHEK |
読み方不明 MATHSHEK アメリカ スクエアピアノ(テーブル型)のピアノがあるとの情報
|
MATSUMOTO & SONS
★★★
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MATSUMOTO & SONS マツモト・アンド・サンズ
(有)松本ピアノ工場千葉県君津市(君津郡:当時)
日本におけるピアノの先駆者の一人、松本新吉の六男、
松本信二氏の夫人が子息の真一氏とともに作っていたピアノで、
生産台数は少ないが極めて音の美しいピアノであったと伝えられている。
父、松本新吉氏のS・マツモトや、長男広氏のH・マツモトの項も参照。
<歴史>
松本ピアノは西川ピアノに続いて関東地方に出来たピアノメーカーです。
20世紀初頭から終戦の年までピアノを作り続けました。
その後、生産台数は少ないながらも千葉県君津市で有限会社松本ピアノ工場として
長い伝統によって培われた技術を活かし楽器を作っていました。
松本ピアノの創始者、松本新吉氏は1865年に千葉県周淮郡常代村
("すえぐんとこしろむら"と読む)現在の君津市で父 治朗吉、
母 みやの長男として生まれ、"上総の神童" といわれるほどで、
寺子屋で二十四考や論語、孟子の素読を聞いてたちまち記憶するほどの
才能があったと伝えられている。
松本新吉氏は1883年に "山田るい(るゐ)"さんという最初の奥さんと結婚。
当時新吉19歳、るいさん15歳であった。
彼は1887に西川オルガン製作所に移っているが、その理由は判然としないが、
おそらく"るい"さんが西川虎吉氏の姪だったためであろうと思う。
新吉氏と西川オルガン製作所との関係は1年とも3年とも言われているが、
いづれにせよ短期間であった。
しかし、この短期間の間に彼は驚異的な才能を発揮し、外人技師たちから
オランダ語や英語を学び取り、オルガンやピアノの調律・修理の技術を
身に付けたといわれている。
松本新吉氏が最初に作り始めた楽器はピアノではなく紙腔琴(しこうきん)でした。
紙腔琴についてはWikipediaに詳しく書かれているのでここでは割愛しますが、
日本で最初に流行した大衆楽器でした。
穴の開いたロール状の紙をハンドルを回し送り出し空気を出して音を出すふいご楽器。
日本のピアノメーカーで最初に渡米したのは山葉寅楠氏で、彼は1899年に
文部省の嘱託としてアメリカの楽器業界の視察兼、ピアノの部品購入のために渡米。
ここでピアノの鉄骨フレームにヤマハの商標を鋳込ませたものを輸入することに
成功し、このことで一挙にヤマハの市場価格が高まったと伝えられている。
一方、松本新吉氏がアメリカへ修行へ出かけたのはその翌年の1900年でした。
彼は山葉氏とは対照的で、苦節10年、紙腔琴を作るかたわらピアノやオルガンの製作、
修理などに懸命に働き、その当時としては途方もない渡米費用を調達したという。
1900年に松本新吉は日本のピアノのパイオニア、そしてまた最初の調律師としても
アメリカで絶大な歓迎を受けました。彼は日本で最初の調律師として仕事を始め、
その後数台のオルガンとピアノを作ったがこれらに満足せず、アメリカの数多くの
工場を訪問し、ブラッドベリーピアノ工場で腕を磨いたとされています。
この工場のマネージャーは、彼のことを規律正しく、熱心でしかも忍耐強い
人物であると絶賛していたようです。
このブラッドベリーはニューヨークで1837年創業のピアノメーカーで、
当時73歳になるスミス社長が松本新吉氏を熱心に指導したと伝えられています。
約半年間アメリカでの研究生活を送って帰国した新吉氏は、その年の暮れに
愛妻の急死という不遇に見舞われました。落胆した彼は、一時築地の工場を
郷里の千葉に移しましたが、材料入手に不便なため、1年後再び築地に戻っている。
1905年には長男の広氏をアメリカに送っているが、その翌年に築地工場は
火災のため全焼してしまい、苦労の連続で築地時代を終えています。
1907に月島二号地に新工場を作り、病院長の和田剣之助氏および実業家の大倉文治氏と、
松本楽器合資会社を結成、さらに銀座4丁目の伊勢善自転車店跡地に
松本楽器販売店をピアノやオルガンを販売しました。
この松本ピアノ店が、のちに現在の山野楽器に変わりました。
その後、1910年に松本楽器合資会社を解散し、月島工場を単独経営に移し、
さらに京橋の柳町に営業所を設けましたが、不幸にして1914年に月島工場も全焼。
1916年には台風の大波によって大きな被害を出し、1924年の関東大震災で再び全焼、
柳町営業所も全焼してしまいます。不運が続くとはこのことでしょうか。
関東大震災後の1924年に再開されたピアノの生産は順調に伸び、月産50台にも
達し品質も向上して、一流の楽器として評価されるようになりました。
新吉氏は長男の広氏と別れて故郷の千葉に移っています。
1924年、松本ピアノ八重原工場を作り、こちらをS・松本とし、
長男の広氏の月島工場のピアノを、H・松本と呼ぶようになった。
1941年5月3日、松本新吉没(享年77歳)。
1953年松本新吉の弟子である沢山清次郎氏がMATSUMOTO & SONSにブランド名称変更。
千葉県君津におけるピアノ製造は六男の松本眞二氏が後を継ぎましたが、
彼は不幸にして事故で亡くなり、奥様の松本和子さんが長男の信一氏と共に
有限会社松本ピアノ工場として仕事を引き継いでいました。
このマツモト・アンド・サンズというピアノは月産わずか当時数台ではありましたが、
大変美しい音色で定評がありました。
一家そろって90年以上もピアノを作り続けていたのはおそらく松本ピアノだけでしょう。
2007年4月6日、君津市外箕輪の松本ピアノ工場閉鎖。
<追記>
松本ピアノの月島工場は、第二次世界大戦の米軍の爆撃により全焼し、
その55年余りにおよぶ歴史に幕を閉じましたが、この月島工場で
腕を磨いた職人達は、戦後も各地でピアノ製作に取り組みました。
例えば、シュベスター(浜松)、キャッスル(土浦)、イースタン(宇都宮)
などのブランドはいづれもその系統で育った技術者たちです。
現在はわかりませんが、日本ピアノ調律師協会(通称:ニッピ)の会員の中には
当時松本ピアノ出身者が極めて多く在籍していたようです。
松本ピアノ出身で著名な方々は下記の通りです。
宇都宮信一氏、上岸斬氏、市川祐弘氏、寺中一氏、本多匡雄氏、
宇佐美隆氏、青木栄次郎氏、森泉良平氏、田中信男氏、古賀良三氏、
松川静雄氏、市村昴氏、岩本重晴氏など。
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MAXADAM |
マックスアダム MAXADAM ドイツ 詳細不明
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MAY BERLIN |
メイ・ベルリン MAY BERLIN ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
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MAYYER |
メイヤー MAYYER ドイツ 詳細不明
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MEHLIN & SONS
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メーリン・アンド・サンズ MEHLIN & SONS, INC. アメリカ
1853年、ポール・ジー・メーリンという有名な発明家で、一生をピアノの構造の改良に尽くしたと
伝えられる人によって創立された会社であります。
このピアノの外装・デザインは比類のない美しいもので、スピネットからグランドまでのすべてを製作。
メーリンアンドサンズのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
MEILMNER |
MEILMNER ドイツ 詳細不明
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MEISCHNER
★★
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MEISCHNER Meischner マイシュナー
アカシアピアノ製作所、マイシュナーピアノ製作所、
アカシア木工株式会社、(株)マイシュナーピアノ社
戦後、アカシア木工(株)が太田一郎氏を迎えてピアノ製作を再開した時のブランド。
昭和26年に町田幸重氏によって(株)マイシュナーピアノ社が興され、
昭和30年まで月産十数台の生産が維持されたとのこと。
色々と調律師さん泣かせの所もあるらしいですが、音は国産と思えないような信念のある本格派で、
これをあの時代に発売したのだから造った方の飛び抜けっぷりが目に浮かびます。
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MEISTER
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MEISTER マイスター
アトラスピアノ製造(浜松)の阪急百貨店のブランド |
MELFORD
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メルフォード 日本製 詳細不明
機種:U131など |
MELHEN |
メルヘン MELHEN 韓国 詳細不明 ※カワイのメルヘンとは異なります
|
MELODI GRAND
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メロディ・グランド MELODIGRAND CORPORATION アメリカ 工場:テネシー州
アメリカには珍しい普及品のピアノメーカーです。
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MELODY |
メロディー MELODY 三陽楽器製作所 ケーニッヒの姉妹品。
|
MENDELSSOHN |
メンデルスゾーン MENDELSSOHN アメリカ(テネシー州)
スターリング・ピアノ・コーポレーション ※STERLINGの項目参照
|
MERCEDES |
メルセデス MERCEDES フィリピン 詳細不明
|
MERCEDES DELUXE |
メルセデス・デラックス MERCEDES DELUXE フィリピン 詳細不明
|
MERDES |
メルデス MERDES 中響ピアノ(浜松市) 詳細不明
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MERRILL

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MERRILL メリル Merrill Piano Co.
アメリカ(ボストン) 詳細不明 |
MICHAEL |
マイケル MICHAEL 大倉楽器工業(株)東京都杉並区上高井戸 ※コスモスの項参照
|
MIESSNER |
ミーズナー MIESSNER アメリカ(ミルウォーキーMILWAUKEE) 詳細不明 |
MIKI
★★★


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|
ミキ 天竜楽器製造(株)、三木楽器(発売元)、河合楽器、日本楽器(和田工場)
河合小市氏が日本楽器から離れてピアノを製造するにあたり、
関西の有力楽器商社三木楽器店の後援を受けましたが、
その代償として関西の販売権を譲り、ミキのブランドで販売されました。
三木楽器店は昭和36年頃より河合系列を離れたので
日本楽器系の天竜楽器がそのブランドのピアノの製作にあたり、
その後、日本楽器和田工場に引き継がれて生産されていました。
従いましてアクションはヤマハです →★ ミキの外装表記マーク
→★
マフラー装置/弱音装置(一般的な3本ペダルピアノの場合の真ん中ペダルに相当)が非常に特徴的で、
ペダル式ではなく棚板下のレバー式タイプがあります →★
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MILLER |
ミラー MILLER PIANO CO. 正式名称:ヘンリー・エフ・ミラー・ピアノカンパニー
工場:テネシー州
アメリカ西部の豊富な木材資源を利用して、過去100年以上ピアノ製作を続けてきた会社です。
製造するピアノはまったく飾りのないスピネットタイプ10種類と、小型のグランドを製造。
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MILLET
★
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MILLET ミレー、ミレット
新興楽器製造KK(新興楽器製作所)
長野県辰野町の新興楽器製作所のブランド。
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MILTON |
ミルトン MILTON アメリカ 詳細不明
|
MODEL
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モデル MODEL 日本 詳細不明
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MONARCH
★
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MONARCH モナーク
沢根ピアノ製作所
初期のドルファーと並ぶ沢根覚氏経営の工場で作られた。
製造期間は短かった。
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MONARCH |
MONARCH モナーク ボールドウィン アメリカ 詳細不明
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MONBLAN
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モンブラン MONBLAN 三陽楽器製作所 詳細不明
|
MONDLICHT
★
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MONDLICHT モンドリヒト
製造:天竜楽器製造(株)(浜松)、発売元:竹内楽器店(三田)
ムーンライトの以前の商品名であるが、設計は異なる。
戦前(昭和11年)竹内楽器店(三田)が取次店であった。
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MONINGTON & WESTON |
MONINGTON & WESTON LTD. モニントン・アンド・ウェストン イギリス 詳細不明
|
MONSON
★★


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|
モンソン
ロゴには、MONSON PIANO COMPANY.LTDとあります。
製造:山下楽器研究所
山下楽器研究所(静岡県袋井市高尾にあった)は当初ピアノアクションの生産を行っていました。
その後ピアノ本体の製造にも試み、一時は関東にもかなりの台数が出荷されたようです。
アクションはもちろん”モンソン”です。
モンソンピアノのアクションレールに貼られたMONSONシール
→★
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MONTRE
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モントル 浜松ピアノ 詳細不明 |
MOONLIGHT
★★


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MOONLIGHT ムーンライト
天竜工芸株式会社 昭和16年創業 浜松市和田町
後の、天竜楽器製造(株)(製造)、[クロイツェルピアノ(株)(製造)]
天竜川のほとりにあるピアノ工場である天竜工芸のブランド。
木工技術の優れた良品として定評があった。
日本楽器はこれを買収してエテルナ、ミキを生産する系列工場とし、
その後合併して和田工場とした。
クロイツェルピアノ(株)でも作ったという記録がある。
昭和24年ごろ天竜工芸は戦後出足早く楽器製造を進め、静岡県勢総覧によれば、
資本金250万円で河合楽器製作所を上回り第二位、従業員数でも日本楽器、
河合に次ぐ第三位。ディアパーソン[ディアパソン](浜松楽器工業株式会社)、
シェーンベルグ(富士楽器製造)、アポロ(東洋ピアノ製造)を抜いていた。
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MOORE & MOORE |
ムーア アンド ムーア MOORE & MOORE イギリス 詳細不明
|
MORGENSTEIN
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モルゲンスタイン MORGENSTEIN 富士、アトラスピアノ製造 詳細不明
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MORGENSTEIN |
韓国製 モルゲンスタイン 韓国製にもモルゲンスタインというピアノあり 詳細不明
|
MORGENSTERN
★★

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モルゲンスターン MORGENSTERN
MU-2、MU-5の二機種があり、戦前は(昭和11年)竹内楽器店が取り次ぎをしていたようです。
トニカ楽器製造(?) 松本ピアノ(?) その他、詳細不明
モルゲンスターン内部の引いた画像 →★
トレードマークは韓国製のサミック(SAMICK)というピアノに酷似していますが、詳細は不明。
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MOUTRIE
★
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MOUTRIE モートリー
イギリスの組立ピアノ 上海(製造)、横浜(発売)
19世紀末、上海でイギリスの植民地政策としてこのブランドが相当数作られ、
我が国では横浜の支店で扱われていた。
※ニエアール/ニエアル NIEERの項目も参照
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MUSENHAIM |
ミューゼンハイム?MUSENHAIM? 詳細不明
|
MUSSARD |
ムサード フランス(パリ) 詳細不明 |
MYSTAR |
マイスター 詳細不明 |
ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
P. WELCE
★
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P.WELCE ピー・ウェルス フクヤマピアノ(福山ピアノ社)
福山ピアノの命名した多数のブランドの一つで、小型で価格の安いものにつけられていた。
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PACO
★

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パコピアノ/グラチアピアノ
PACO/GRATIAE 製造:北朝鮮 (有)PACO
金正日が自国でもピアノ製造を作れとの意向で、朝鮮総連系の日本のピアノ製造会社との
合弁で『平壌ピアノ合弁会社』を設立(1988年)
この会社は日本製ピアノの会社ではなく日本人技術者が日本製の工作機械を使い
北朝鮮でピアノを製造していたようです。最終調整は日本国内(浜松)で行い出荷。
製造が容易な部品のみを北朝鮮で作り、その他の部品は全て日本から輸入して組み立てていました。
日本法人のこの会社と北朝鮮政府との合弁会社にて
日本人技術者他の技術指導・輸入販売を行っていたようです。
ブランドはGRATIAE(グラチア)、FEINTON(フェイントン、ファイントン)など低価格のピアノ。
当時本社は東京都府中市にあって販売は国内のみでなく、
東南アジア・中国・ヨ-ロッパにも輸出していたという情報あり。
1台しか調律したことがないので詳細は不明ですが、
ピアノ自体は ”北朝鮮”というイメージほど悪くはなかったです。
グラチアピアノのまくり(フタ部分)にあるブランド銘柄マーク
→★
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PAPE |
パープ 創業1817年 フランス(パリ)
詳細不明 |
PAUL WEISS |
PAUL WEISS ポール・ワイス ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
|
PEACE
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PEACE ピース 日本 詳細不明
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PEARL RIVER
★
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PEARL RIVER パール・リバー(珠江) 中国(広州)
珠江牌とよばれる広州製のピアノ。珠江とは広州の街の真ん中を流れる大河。
ピアノはすべてアップライトで、背が低く、当時スピネットタイプの小型が多かった。
中国のピアノのうちでは最も安価なものの部類。
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PEARL RIVER |
PEARL RIVER ユンチャン(パールリバー) 韓国 詳細不明
|
PERZINA
★★
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GEBR.PERZINA ペレツィーナ(ペルツィーナ) ドイツ製
ペレツィーナ(ペルツィーナ)Perzina/Gebr. Perzinaは、北ドイツ生まれのピアノブランドで、
現在はオランダと中国の資本による中国煙台の民営企業・煙台ペレツィーナで製造。
1871年、ヴィルヘルム1世によりドイツ帝国が生まれたその年に、
北部のシュヴェリンという都市でGebr.Perzinaも生まれました。
現在も宮廷の残るメクレンブルク=シュヴェリーン公、オランダのウィルヘルミナ女王に
こよなく愛されたGebr.Perzinaは6王家の宮廷ピアノとしてドイツで最も権威ある
ピアノのひとつとなりました。
また、1905年にはペルツィーナコンサートホールも開設され、
ドイツ帝国内で最も愛されるピアノとなりました。
しかしながら、第一次世界大戦で移転を余儀なくされ、さらに第二次世界大戦後は
東ドイツに組み込まれたGebr.Perzinaは手造りでピアノを作り続けたものの、
大戦後のピアノの歴史では表舞台にはあまり出てこなくなりました。
2002年公開の映画 「戦場のピアニスト」(※)で使われたピアノとしても有名です。
(※)第二次世界大戦におけるワルシャワを舞台としたフランス・ドイツ・ポーランド・イギリスの合作映画。
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PETROF
★★★





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ペトロフ PETROF
旧チェコソロバキア国家公団製造
創業1864年 チェコスロバキア製(現在:チェコ共和国)
非常に音色が柔らかでまろやかなピアノで、このピアノを指弾すると一瞬で虜になる人がいるほど。
ペトロフアップライトの最高音のミュージックワイヤー(ピアノ線)は、13番よりさらに細い
12番半を使っているピアノもあります (普通のピアノは13番が一番細い弦です)
温湿度の変化に弱い印象も受けますが、総合的に良いピアノだと思います。
ただ、外装に接着してある装飾のモールディング(装飾の飾り)は本当によく剥がれます^^;
一番下のトレードマークは日本向けではないタイプ(アメリカ購入)のペトロフのアップライトです。
<概要>
ペトロフはアントニーン・ペトロフによって、チェコのボヘミア(チェコ西部・中部を指す歴史的地名)で
生み出されたとても素晴らしいピアノです。社会主義国家出身のピアノなのであまり宣伝はされませんが、
ロシア(旧ソ連)や東欧諸国、西欧諸国では名器として知られています。
このピアノ製作会社は社会主義時代に国有化される以前、三代にわたりペトロフ家が所有し、
業界の技術革新に乗り遅れることなく、博覧会で数々の賞を受賞してきた。政治変動の世紀を乗り
越え、現在もペトロフ社はチェコ共和国でもっとも有名なメーカーの地位を守り続けている。
コンサートグランドは戦前~戦後を通じて各地の博覧会や国際見本市に於いて
金賞を獲得しており、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(Michelangeli)
(ミケランジェリは、イタリア出身のピアニスト)や、スヴャトスラフ・リヒテル(ソ連出身のピアニスト)、
ヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff)(ドイツ出身のピアノニスト)らもこのペトロフを
愛用していたと記録が残っています。さらにはジャズ音楽のオスカー・ピーターソンや、
デューク・エリントンもペトロフを絶賛したと伝えられています。
<詳細な歴史>
家具職人の修行を積んだアントニーン・ペトロフは、1857年に19歳でウィーンへ出て、
ピアノ製作者のおじ、ヨハン・ハイツマンに弟子入りする。
アントニーン・ペトロフは、オーストリアのさまざまな製作者のもとで働いたのち、
1864年に生まれ故郷のフラデツ・クラーロヴェーに戻って会社を設立した。
初めはウィーン式アクションのピアノを少数製作していた。
旅行を多くしたペトロフは、各地の最新の技術発展を敏感に察知して自らの設計に取り入れ、
1875年には鋳鉄フレームと、イギリス式グランドアクションを改良したレぺティション・アクションを用いた。
1880年に、ペトロフはグランドに加えてアップライトピアノの生産も開始し、亡くなる1915年までに
35,500台のピアノを販売した。
アン卜ニーンの3人の息子と3人の孫たちは、ふたつの大戦と大恐慌を上手く乗リ切って会社を運営した。
会社は1948年に国有化され、産業通商団体チェスコスロヴェンスケー・フデブニー・ナーストロイェ・
ミュージックエクスポートの一部となり、その傘下で繁栄を続けた。
1970年にアップライトピアノの生産を増大するための新工場が建てられ、さらに1989年には、
グランドピアノ市場に集中するためのもうひとつの新工場が建てられた。
そして1990年までに製造番号は450,000に達した。ペトロフ社は近年、年間約12,000台のアップライトと、
年間約1,750台のグランドピアノを生産し、約1,000人の従業員を雇っている。
1997年に設立されたトヴァールナ・ナ・ピアニナ社が、2001年にペトロフ社と結合し、
1991年に始まった会社私有化へのプロセスはクライマックスを迎えた。
■機種/モデル バリエーション (並び順は後述機種ほど高級機です)
・グランドピアノ (カッコ内の数字はペダルの数)
MODELⅤ(2)、MODELⅣ(3)、MODELⅢ(3)、CHIPPENDALE(2)、ROCOCO(2)
・アップライトピアノ
CLASSIC、DEMI-CHIPPENDALE(ねこ脚)、125-I、BAROQUE、
CHIPPENDALE(ねこ脚)、ROCOCO(ねこ脚)
ペトロフ独特の鉄骨フレームの音響効果を高めるために付けられた無数の凹凸 →★
ペトロフ(日本以外向け)のまくり部分のブランド銘柄マーク →★
<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★
<下記はペトロフ社の扱うピアノブランド>
Weinbach、Scholze、RÖsler、Fibich
<附録>
ペトロフピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1900年~2000年) →★
ペトロフのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
PFEIFFER

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プファイファー/(ファイファー)
ドイツ(バーデン=ヴュルテンベルク州) 1862創業
<以下、ウィキペディアより引用抜粋>
カール・A・プファイファー(Carl A. Pfeiffer)GmbH & Co. KGは、
ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州レオンベルクのアップライトピアノおよび グランドピアノ製造業者である。伝統的な技術を用いたピアノ製作でよく知られている。 1862年にヨーゼフ・アントン・プファイファー(1828年–1881年)によってシュツットガルトで創業された。 彼の父カール・A・プファイファーはグウォグフ(現在のポーランド。ドイツ語名グローガウ)で 既にピアノ製作者として働いていた。後者は2つの響板を持つダブルグランドピアノ(独: Doppelflügel) を初めて製作した。今日、会社はプファイファー家の5世代目によって経営されている。 ヨーゼフの息子、カール・アントン・プファイファー(1861年–1927年、社名の由来)は ピアノのための道具をいくつか開発した(ワイヤーを正確に曲げるためのいわゆるKröpfzange〔ペンチの一種〕など)。 息子のヴァルター・プファイファーもピアノ、特にアクションを科学的に扱った。 このテーマに関する彼の著作はピアノ製作において標準となる文献として一般的に認められている。 ドイツ民主共和国(東ドイツ)の西への編入後、ライプツィヒを拠点とするピアノ工場であった ルートヴィヒ・フップフェルトAGおよびレーニッシュを買収した。 プファイファー自身は1994年からレオンベルクを拠点としており、高品質のピアノ製造を続ける 数少ない会社の一つである。2005年時点での年間生産台数はグランドピアノが約10台、 アップライトピアノが約100台である。 レーニッシュおよびフップフェルトブランドのピアノの製造は2009年に破産するまで続けられた。 その後、レーニッシュの名称はブリュートナーが購入した。
公式HP:https://www.pfeiffer-pianos.com/en/home |
PHOENIX
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PHÖENIX (PHOENIX) フェニックス 日本 詳細不明
|
PIANY |
ピアニー 全音楽器製造KK(浜松) 詳細不明
PIANY(ピアニー)の登録商標(昭和46年2月登録)は現在、株式会社全音楽譜出版社にあり、 今ではピアノのブランドではなく鍵盤ハーモニカ、「ゼンオンピアニー」という商品名で使われているようです。 |
PIERRE
★

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PIERRE ピエルレ 東洋ピアノ
“ピエルレ”は、フランス語で宝石を意味する言葉とのこと。
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PLEYEL
★★★

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PLEYEL プレイエル フランス/パリ 工場:フランス南部アレス 創業1807年
1807年、50歳のイニャス・プレイエル/イニャス・プライエル/イグナーツ・プライエル/
イグナース・プレイエル/イグナーツ・プレイエル/(Ignace Pleyel)はピアノ会社を設立。
(→発音によって色々な読み方があり)
イニャス・プレイエルは、ハイドンの弟子であり友人でした。
プレイエルは1807年に最初のピアノをパリで製作する以前に、41曲の交響曲と、70曲の四重奏曲、
数曲の五重奏曲、そしてオペラを作曲しており、演奏家としても作曲家としても高く評価されていました。
このメーカーはのちに世界の重要な音楽遺産となりました。プレイエルの繊細な響きのピアノは、
極めて微妙なニュアンスを表現できたために人気を博し、「音楽があふれ出すのを感じ、自分自身の音を
鳴らす元気があるときなら、私はプレイエルのピアノを必要とする」と語ったのは、あのF・ショパンでした。
プレイエルの名は、200年近くもの間、ピアノ音楽の歴史と神髄を支えてきました。
類希な才能をもったイグナースは、優秀な作曲家、また発明家として多才ぶりを遺憾なく発揮し、
ヨーロッパから注目を浴びる人物でした。
「ピアノとは、演奏者の声としての楽器であり、そして芸術品であるべき」と主張したイグナースは、
厳選された素材、卓越した技術、豊かな感性が織りなす表現の可能性を信じ、楽器創りにその生涯を捧げました。
彼の思想は、熟練した職人によって堅く守られ、今なお南仏Alesの地で、その音色を響かせ続けています。
プレイエルは、洗練された響き、優雅なタッチ、多彩な表現を放つ名器の代名詞といえましょう。
<歴史>
有名な演奏家で、交響曲やオペラの作曲家でもあったイニャス・プレイエル(1757~1831)は、
楽器の製作に魅せられ、新しい作曲家たちのニーズに応えるピアノを作りたいという欲求に突き動かされ、
パリに会社を設立した。
1807年にプレイエルが最初に製作したピアノは、垂直に弦が張られた小型のアップライトで、
ロンドンでよく見られたコテージ・ピアノをもとに製作したものでした。
プレイエル自身は、ピアノ製作に関する専門家ではなかったが、幸いなことにピアノ事業を開始した初期に
アンリ・パープの助力を得ることが出来た。その時期は1811年からの5年間でパープがイギリスに渡って
ピアノ製造の技術を学ぶことができたのも、プレイエルの資金援助があったからである。
その後、パープは独立してピアノ製作を開始し、プレイエルピアノのライバルとなったが、プレイエルの側も
巧みな方法をとった。当時のヨーロッパに名高かった名ピアニストたちを見方につけたのである。
カルクブレンナーは自ら経営に参加したし、クラーマーやモシュレス、ジョン・フィールドといった
名ピアニスト達は、プレイエルのピアノを賞賛した。その中でも最も力があったのは言うまでもなく
フレデリック・ショパンだった。
19世紀のフランスにおいて、プレイエルはエラールと相競った。セバスチャン・エラールが自らピアノを作る
職人だったのに対して、イグナーツ・プレイエルは経営者であった。しかもこの2人は同じ年に没した。
ちなみに会社を引き継いだエラールとプレイエルの息子たちもなんと同年に没している。
その後、会社が著しく成長すると、イニャスは長男のカミーユを経営者に加えた。
1815年に会社を引き継いだピアニストとしての教育を受けたカミーユは、イギリスとフランスのピアノ製作者や
演奏家たちに接触して意見を求めたり、アイディアを交換したりでき、会社の重要な役割を担うようになった。
生産高は増大していったが、それは一部のプレイエル・ユーザーにとっては残念なことだったようで、
1839年にリストは、ロッシーニが語ったことを手紙の中でこう引用している。
「プレイエルはピアノを多く作りすぎている。彼にはもう、それらの面倒を見る暇がない」と。
1855年、会社はカミーユの義理の息子、オーギュスト・ヴォルフに引き継がれ、
ピアノはプレイエル、ヴォルフ・エ・コンパニー(Pleyel, Wolff & Cie)のブランド名で作られるようになった。
1865年までにプレイエル社は約36,000台のピアノを生産したが、これは27年も早く創業していた
エラール社の当時の生産高とほぼ同じだった。
1887年に会社はヴォルフの義理の息子のギュスターヴ・リヨンに受け継がれ、
プレイエル、リヨン・エ・コンパニーのブランド名で、ハープ、ティンパニー、チェンバロなど、
ピアノ以外の楽器の生産も行われるようになった。
一方、ピアノの生産も続けられ、プレイエラと称する自動演奏ピアノや、ひとつのケースに向かい合った
ふたつの鍵盤が付いているダブル・グランドピアノも作られた。1910年には年間約3,000台の
ピアノを生産するようになり、ピークを迎えたプレイエル社は、フランスの上質なピアノの市場を支配した。
1934年、プレイエル社はアントワーヌ・ボール社を買収する。しかし1961年には財政難に直面し、
エラールとガヴォー合併会社と合併した。この会社は1971年にシンメル社に買収され、
プレイエル・ピアノは毎年少数のみ生産された。それから1994年にラモー社がプレイエル(PLEYEL)と、
ガヴォー(GAVEAU)のブランド名を買い取り、その2年後に、プレイエルはふたたび経営権を取り戻す。
プレイエル社は、南フランスのアレスに最新式の生産および研究開発施設を建設して、
その後も、プレイエルの伝統を忠実に守る素晴らしいピアノを生産した。
<プレイエルのエピソード>
プレイエル社は、デュオクラーヴ(Duoclave)と称するグランドピアノを少数製作しました。
これは、J.ピアゾンが1850年にニューヨークで特許を取得したアイディアをもとにしたもので、
二つの交差弦がひとつの響板を共有し、長方形のケースに収められた楽器である。
プレイエルは気前のよい音楽界のパトロンで、才能ある音楽家を発掘する才に長けた彼は、
1832年にパリのフォブール・サントノーレ通りのサル・プレイエルで催された演奏会において、
あのフレデリック・ショパンをデビューさせました。フランス音楽文化の歴史に名を残したこの二人は
生涯友人であり続け、ショパンはプレイエルのピアノを弾き続けました。素敵な話ですね♪
2008年にアップライト、2013年にグランドの製造を停止しました。
Gaveau(ガヴォー)、Rameau(ラモー)もプレイエル社が製造
エンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<附録>
プレイエルピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1810年~2000年) →★
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PLEYGEL
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PLEYGEL プレイゲル 森技術研究所(浜松市) 詳細不明
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PLUTHNER |
→PRUTHNER の項目へ |
POOLE
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POOLE PIANO COMPANY プーレ アメリカ
当ページの "I" の項目でも紹介した、IVERS & POND(イバース・アンド・ボンド社)の
子会社で、1893年にウィリアム・エイチ・プーレによって設立されたもの。
斬新なピアノを作っているとの情報があるが詳細は不明。
|
PRAMBERGER
★


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PRAMBERGER プレンバーガー
島村楽器が販売しているピアノブランド。
※読み方は、「プラムバーガー」ではなく、「プレンバーガー」です。
製造:ユンチャン(Young Chang) 韓国製
→詳しくはYoung Chang(ユンチャン)の項目へ
細部にまでこだわったデザイン性や作りはなかなか良く音量も十分鳴るピアノです。
ただ、主観ではありますが音色にもっと繊細さがあると良いピアノになるかと。
2枚目の写真は、プレンバーガーJP-52。
三代目、ジョセフ・プレンバーガーという NYスタインウエイで設計・技術マネージャーをしていた人が設計し、
韓国のユンチャン(YOUNG CHANG)に製作してもらっているピアノ。
機種バリエーションとしては、スタンダードモデル・インテリアモデル・ハイクラスモデルがある。
プレンバーガーの保証書 →★ プレンバーガーのまくり(蓋部分)銘柄マーク
→★
プレンバーガーの親板内側に貼られたハングルで書かれた検査シール →★
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PRIMATONE
★★


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プリマトン (プリマトーン) ※正式な読み方としてはプリマトンの方が正しい可能性があります
合資会社大塚ピアノ商会(発売元)横浜元町
シュベスターピアノ製造KK(東京都蒲田)、協信社ピアノ製作所(製造)(東京都蒲田)
大正10年、沢山清次郎氏と大塚錠吉氏が共同でピアノ店を出したのが始まり。
その後大塚氏のみで大塚ピアノ商会を作り、横浜元町の名店の一つになりました。
国産ピアノの最高級品を目指していくつかのピアノ工場にオーダーしました。
シュベスターピアノの工場で製作した時期が長く、レンナーアクションを使用した
高級品が多いのが特徴です。
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PRINCETONE
★
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PRINCETONE プリンストン
製造:富士楽器製造(浜松)、発売元:東京ピアノ商会(外国ピアノ輸入商会)東京銀座
外国ピアノ輸入商会、後の銀座の東京ピアノ商会のブランド。富士楽器に製作を依頼していた。
皇太子殿下の誕生を祝って特に命名されたという。三越本店に納入されていた。
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PRINCIPAL
★
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PRINCIPAL プリンシパル
ピオバ楽器社(製造)東京都神保町
東京神保町のピオバ楽器社は、ピアノ調律師の野口喜象氏の出店であるが、
この名前でピアノを製造販売したことがある。
野口喜象氏が没した後は野口ふみ未亡人が社長になった。
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PROTHNER
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PROTHNER プロッスナー 日本 詳細不明
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PRUNIER
★
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PRUNIER プルニエ(プロニェール?プルニール?)
大倉楽器工業(株)東京都杉並区上高井戸、広田ピアノ(ヒロタピアノ)
二本弦の小型ピアノが多かったが、大型のものは音色に特色があった。
その他のピアノあり。
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PRUSSNER |
PRUSSNER プロスナー ドイツ 詳細不明
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PRUTHNER
★★★


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プルツナー/(プルッツナー) PRUTHNER (古いピアノは”U”が入るこの表記でした→PRUTHUER) ×PLUTHNERではありません
大洋楽器工業株式会社(岡本工業所) 株式会社 プルツナーピアノ 有限会社 及川ピアノ製作所
カールザイラーとともに(株)プルツナーピアノで作られていたブランドで、 昭和20年から浜松の岡本工業所で作られてきました。 昭和29年に有限会社 太洋楽器工業に、昭和37年6月に株式会社に改組、 その後、社名を(株)プルツナーピアノへと変更。
音色はデフォルトではかなり固めな感じですね。 プルツナーピアノのまくり部分(蓋部分)のブランド銘柄
→★
<附録>
プルツナーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1970年~1988年) →★
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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
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S. RODESTEIN
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RODESTEIN (S.RODESTEIN) ローデスタイン (S・ローデスタイン)
松本ピアノ 詳細不明
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S. CHEW
★★
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S.CHEW S・シュー
周ピアノ工場(周興華洋琴製作所)横浜天神橋近く
大正時代中期、上海出身の中国人、周筱正(しょうせい)氏は横浜に工場を建て、
ピアノを製造していた。だが筱正氏は関東大震災で命を落とし、工場も閉鎖。
長男の譲傑(じょうけつ)氏が昭和初期に復興したが、譲傑氏も終戦直後の1946年に死去。
親子二代の「周ピアノ」は約30年でその歴史を閉じ、日本には3台しか現存していない。
19世紀末、横浜の天神橋近くにあった。上海から来た周譲傑氏の製作による。
昭和のはじめモートリーピアノ工場の技師であった周譲傑氏は中国人の工員数人とともに来日、
横浜に工場を持った。当時のレベルでは高級品であり価額も高かった。
外国ピアノ商会(東京ピアノ商会)の沢山清次郎氏とも交流があり、委託生産も行っていた。
人格者で日本人の技術者も多く育てたが、不幸にも戦争中にスパイ扱いされて獄中死した。
※周ピアノについてはこちらに詳しい記事があります →★
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S. G. LEE
★
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S.G.LEE S・G・リー
李ピアノ(横浜天神橋)
19世紀末、周ピアノとともに横浜天神橋近くに工場があった。
李佐衡氏が経営指導に当たった。
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S. GRIEBEL
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S.GRIEBEL S・グリーベル 興和楽器製作所(浜松)
S・クリーベル というのも同じ会社で出している?詳細不明
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S. KRIEBEL
★
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S.KRIEBEL S・クリーベル 興和楽器製作所(浜松)
ホフマンと同じく工場は天龍川西岸の工場で作られていた。
現在の東京ピアノで同名のピアノが売られている。
S・グリーベル というのも同じ会社で出している?
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S. LOADE
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S.LOADE S・ローデ
東京の調律師、足立三郎氏の理論を生かして浜松のピアノメーカーに依頼して作られたピアノ。
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S. MATSUMOTO
★
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S.MATSUMOTO S・マツモト (S・松本)
松本ピアノ(松本新吉:松本ピアノ創始者) 千葉県君津市
松本ピアノが故あって2つに別れたとき、長男広氏のH・マツモトに対して、
父親の新吉氏のSを頭文字として、千葉県君津で製作されていた。
伝統の製法はマツモト&サンズとなって引き継がれた。
※ 松本ピアノの詳しい歴史については、MATSUMOTO & SONSの欄をご参照下さい
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S. MIKI |
S.MIKI S・ミキ 河合楽器(製造)、三木楽器店(発売元)
河合楽器が製作にあたった三木楽器店ブランドの一つで三木佐助氏の名前をとった特製品。
→ミキの項目も参照 |
S. SCHIMMEL |
S.SCHIMMEL S・シンメル 日本ピアノ ※ドイツのシンメルとは関係がない。
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S.SCHMIDT
★★


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シュミット S.SCHMIDT
製造:日本ピアノ製造株式会社(磐田市)
鉄骨部分のロゴにはN.P.Cとありますね。
トレードマークには珍しく、逆三角形の形をしています。
1台しか調律したことはありませんが、まさに昭和を感じるピアノですね♪
シュミットの蓋(まくり部分)にあるブランド名称メインマーク
→★
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SABEL
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SABEL サボー スイス 詳細不明
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SAITOH & SONS |
SAITOH & SONS
サイトウ&サンズ/サイトウ・アンド・サンズ 斉藤楽器株式会社(斉藤ピアノ株式会社)
ブランド名は「斉藤栄一氏」と次男の「斉藤武司氏」を表している
→詳しくはRUBINSTEINの項目を参照 |
SAMES |
読み方:セイムズ? 詳細不明 |
SAMICK
★★★


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サミック 韓国(仁川/インチョン) Samick Piano Company/サミック・ピアノ・カンパニー
韓国にある4社のピアノメーカーのひとつであるサミック社は短い歴史しか持たないが(1958年設立)、
朝鮮戦争休戦直後の世の中の見通しの立たない時代に創業し、短い期間に急成長しました。
サミックはこのような短い歴史にもかかわらず、世界で最も多くのグランドピアノ製作台数を誇る
世界最大クラスのピアノ製作会社になりました。
サミック社のワールド・シリーズ・ピアノは、コリアン・スタンダード・オブ・エクセレンスの認証を受ける。
サミック社のグランドピアノのスケールデザインは、1983年に技術支援を依頼された著名なドイツの設計家、
クラウス・フェナーによって設計された。
<歴史>
1958年に会長のイ・ヒョイクによって設立されたサミック社は、Horugel(ホルーゲル)のブランド名で
アップライトピアノの生産を本格的に開始しました。
このブランド名は1970年代まで使用され、以降はサミックのブランド名が確立。
国内の市場を先導するサミック社は、1964年に韓国で初めてピアノを国外へ輸出した会社で、
はじめて海外輸出したピアノは、10台のアップライトピアノを香港へ送り出しました。
アップライ卜ピアノの生産高は着実に増大し続け、また1970年に韓国産業通商資源部のピアノ開発賞を
受賞したことが弾みになり、サミック社は韓国で最初のグランドピアノの製作会社となりました。
それに続く時代は世界市場における地位を確保することに費やされ、資産は輸出拡大のために
集中して使われました。サミック社は1980年に西ドイツ支店をオープンし、その後、アメリカン・
ボールドウィン・ピアノ・アンド・オルガン・力ンパニーと共同事業を開始しました。
サミック社は設立当初から生産施設を拡大する為に精力的に努力し続け、何度か工場を再編したのち、
1990年代までには、アップライトピアノ、グランドピアノ、デジタルピアノの工場を分離させて、
それぞれに最新の機械設備を導入しました。1996年にサミック社はインドネシアに木材加工場を
持つ工場を建設し、そこでは現在もアップライトとグランドの両方が生産されています。
サミック社のグランドピアノのサイズは、全長140cmから275cmまで、9種類もの幅広い選択肢がある。
サミックのまくり(蓋)部分の銘柄マーク →★ サミックに貼られたプレート →★
<サミック社が取り扱うブランド>
Samick、Hyundai、Kohler & Campbell、D.H.Baldwin、Bernhard Steiner、Otto、
(以下は取り扱い終了ブランド)Horugel、Stegler、Schumann
サミックのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★
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SAMPAGUITA |
SAMPAGUITA サンパギタ フィリピン 詳細不明
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SAUTER
★★★

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ザウター Sauter 創業1819年
1813年、家具職人であるヨハン・グリムは、優秀な成績で見習い職人を終了した。
地元の教会において鍵盤楽器に感銘を受けた彼は、次なる修行への冒険を決心。
彼はピアノ製作者の道を志したのである。
そして彼は、当時音楽の都であった、ウィーンに引越し、1819年ピアノ工房の設立。
6年間に及んだヨハン・アンドレアス・シュトライヒャーの下での修行の後、シュパイヒンゲンに戻り、
1819年にスクエアーピアノの製作を開始した。この1819年がトレードマークに記されていますね。
当時この若いピアノ製造技術者の作った楽器は、その品質の為一躍有名になり、
技術を求めて短期間で多くの弟子が集まった。
工房から工場へ
グリム夫妻には子供が授からなかった為、当時16歳の甥カール・ザウターを見習い職人として採用。
カールは音楽的にも職人としても天分に恵まれ、叩き上げのピアノ製造技術者にのし上った。
後継者となり、そしてグリムの死により工房を引継ぎ、1846年にピアノ工場へ拡張させ、
とりわけピアノ製造技術の改良を次々と実現していった。
1863年、早すぎたカール・ザウターの死後、母親と共に17歳のヨハン・ザウターが工場を引き継いだ。
彼は数多くの旅行、とりわけアメリカ旅行より、多くのピアノ製造技術に関する新たなヒントを持ち返った。
最も重要な成果として上げられることは、それ以後のスクエアーピアノの製造ウエイトが、
近代的な形に、すなわちアップライトピアノフォルテに移行したことである。
カールザウター2世苦難の時代での工場拡張。
カールザウターは生産合理化と工場拡張に力を注いだ。
優秀な品質と改良されたピアノモデルは、ザウターの名前をドイツ中に響きわたらせた。
ハンス・ザウター、ザウター社史の新世紀の始まり。
音楽家・ピアノ製造技術者・設計者そして発明家であったハンス・ザウターは、
新しい時代に、彼は新しい経済知識と、時流にあった新しい技術と材料を取り入れた。
その音と美しいデザインのモデルはメッセに展示し評判になり、
間もなく世界中に輸出されて行ったことにより、大繁盛となった。
1968年~ カール・ザウター3世、ダブルレペティションアクションの開発
ハンス・ザウターの死後、弟のピアノ製造マイスターであるカール・ザウターが会社の経営を引き継いだ。
ザウターを最高級ブランドの一つに数えられる数多くの革新をもたらした。
最も重要な部分は、R2アクションのシリーズ化、基本モデルをもとにサウンドボードを大型化し、
豊かな音量の達成を図り、そして高価なMシリーズの導入である。
それに付け加え、160cm 185cm 220cm グランドピアノの改良と新たな導入により、
多くのピアニストに認められついには、同じウィーンに発祥するベーゼンドルファーはもとより
スタインウェイ以上の評価を得るに至った。
1974年そして1984年にシュパイヒンゲンの近代的な工場と管理部門社屋の設計図がひかれ、
これにより、ザウターの生産性と品質レベルの向上の為の本質的な必要条件が充たされた。
1982年から経営陣にハンス・ザウターの息子でマーケティングを学んだウーリッヒ・ザウターが加わり
日本・シンガポール・ホンコン・アメリカ・カナダ等の新たな輸出市場の確立に成功した。
1994年 ザウター社創立175周年。
世界中のピアノ市場の激変は、ザウターに於いても抜本的な構造変化を強いられた。
高級品市場への強化と言う、生産コンセプトの実現が企業方針の中心となった。
ザウターは音色・タッチ・デザインにおいて、そしてピアニストの高い要求に十分応えるべき
最高級ピアノを作ることに全力を傾け続けている。
今ではザウターの歴史は、世界で最も古い伝統をもつ、ピアノ製造会社の1つとなったのである。
世界の3大ピアノと言われる、スタインウエイ・ベヒシュタイン・ベーゼンドルファーよりも更に古い。
ザウター社はアップライトのための”R2ダブルエスケープメント・アクション”を開発しました。
これはアップライトとグランドピアノのタッチの差をなくすためのもので、このアクションには、
レペティションを補助する追加のジャックスプリングが取り付けられています。
■機種/モデル バリエーション
アップライト
モデル110(アトゥディオ・クラシック・アルトドイチュ・バロック)
モデル112(カールス)
モデル120R(クラシック・アルトドイチュ・アルトイングリッシュ・エムパイア・
バロックチッペンデール・ルイスサイズ)・モデル130R(クラシック)
モデル122(ドミノ)
グランドピアノ
モデル160(クラシック・チッペンデール・ノブレッセ)
モデル185(クラシック・チッペンデール・ノブレッセ)、(デルタ)
※ザウターピアノはBVK認証を受けています(詳しくはこちら
→★)
<附録>
ザウターピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1840年~2000年) →★
ザウターのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
SCHAFER & SONS |
SCHAFER & SONS シェファー・アンド・サンズ 韓国 詳細不明
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SCHAER & SONS
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シェーファー・アンド・サンズ Schaer&Sons
元々はアメリカ製のブランドで現在は中国製造。
最終調整をアサヒピアノで行い販売していたという情報。
朝日ピアノ(アサヒピアノ)とはウエンドルラング(中国製)などを販売している浜松にある会社。
上記のSCHFER & SONSとは違うのか?不明 |
SCHIEDMAYER SOHNE
★★


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SCHIEDMAYER & SÖHNE
シードマイヤー・ウント・ゼーネ/(シードマイヤー・アンド・ゼーネ)
ドイツ(旧西ドイツ) STUTTGART/シュツットガルト
※現在は日本のカワイが取り扱っています
有名なクラヴィコード製作者のバルタザール・シードマイヤーは、1735年にドイツのエアランゲンで
最初のクラヴィコードを製作したと言われている。
バルタザールのその後の仕事についてはあまり知られていないが、かなりの業績を上げたものと思われる。
1781年にバルタザールが亡くなると、息子のヨハンが父の仕事を継いでブランデンブルク選帝候御用達の
楽器職人になったことからしても、バルタザール・シードマイヤーの店は繁盛していたとうかがえる。
ヨハンはニュルンベルクへ戻り、そこでかなりの成功を収める。
そしてその息子のヨハンがシュトゥットガルトへ移り、ドイツのもっとも有名な会社のひとつの礎を築いた。
進歩的なシードマイヤー社は1842年に早くもアップライトピアノを製作した。
そしてヨハンの上の息子のアドルフとヘルマンを経営に加えてシードマイヤー・ウント・ゼーネと社名を改め、
1851年のロンドン万博では金メダルを獲得した。一方、ヨハンの下の息子のユリウスとパウルは、
J.& P. シードマイヤーのブランドの名前で優れた品質のハルモニウムを製作していたが、ハルモニウムの
先細りに伴い、1860年にピアノ製作への転向を余儀なくされる。ユリウスとパウルは、シードマイヤー・
ピアノフォルテファブリーク(Schiedmayer Pianofortefabrik)のブランド名でピアノを作り始めた。
19世紀の終わりまで、ふたつのシードマイヤー社は先祖の伝統を受け継いで成功を積み重ね、それぞれが
作る質の高い楽器で高い評価を得ていった。
その後、1969年にふたつの会社は合併し、小型のアップライトとグランドピアノを生産するようになった。
※尚、韓国製にもシーマイヤーという同じ名称のピアノがありますがまったく関係ありません。
→韓国製のシードマイヤーの方はわざとスペルを少し変えています
韓国製シードマイヤーのスペルは、「SHCHIED MAYERR」 ※Hを多く入れ、Rを2個にしている所に注目
<附録>
シードマイヤーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1880年~1980年) →★
シードマイヤーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
SCHILLER |
SCHILLER シラー ケーブルピアノ社 ケーブル・ネルソン アメリカ(オレゴン州) 詳細不明
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SCHILLER. J |
SCHILLER.J シラー?シーラー?(読み方不明) ドイツ 詳細不明
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SCHIMMEL
★★★


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シンメル 旧東ドイツ(ライプツィヒ) 創業1885年
ウィルヘルム・シンメル/ヴィルヘルム・シンメル (Wilhelm Schimmel)によって1885年に創業。
アップライトの小型化を成し遂げたメーカーで知られています。
日本のヤマハがかつて代理店になったこともあります。
<歴史>
西ヨーロッパで最大規模のピアノ製作会社になったシンメル社は、1885年5月2日にライプツィヒの
ヴィルヘルム・シンメルによる小さな工房からスタートしました。
シンメルは家具職人の見習いだったが空いた時間にヴァイオリンを作っていた。
その後、ライプツィヒの有名なピアノ製作会社シュティッヒェル社でピアノ製作の技術を学ぶ。
独立後、シンメルは身につけた技術を大いに発揮していったという。
シンメル社は1891年からライプツィヒ・ロイトニッツ工場で生産していたが、会社が大きくなっていき、
1897年にはそこも手狭になったため、さらに広いライプツィヒ・シュテッテリッツの工場へ移転した。
シンメルピアノはザクセン=ヴァイマル大公の宮廷御用達楽器にも選ばれ、1909年にはルーマニア国王にも
ピアノを納めるようになった。
1914年には1万台を超えるピアノを製作したが、第一次世界大戦と、1920年代にドイツを襲った経済危機で
拒まれることとなった。その後、1927年に会社の経営はヴィルヘルム・アルノー・シンメルに引き継がれた。
ヴィルヘルムは生産拠点をブラウンシュヴァイクへ移したが、市場の崩壊に伴ってドイツのピアノメーカーである
株式会社ドイッチュ・ピアノ・ヴェルケと提携するも、この提携はうまくいかず1931年にシンメル社は
ドイッチュ・ピアノ・ヴェルケ社と決別し、社名を有限会社ヴィルヘルム・ピアノフォルテファブリークへ変更。
シンメル社の工場は第二次世界大戦中も生産を続行することが出来た。
それは超小型のアップライトピアノを作るなど、アルノー・シンメルが多くのアイディアを意欲的に
実現していったからである。
1944年に工場は火事で焼けてしまい、その再建には4年を費やしたが、1948年にシンメル社は再び
見本市に製品を出品するようになる。ドイツのピアノ業界が困難な時代にあったにもかかわらず、
シンメル社は1950年代に、プレキシグラス・グランドピアノのような衝撃的なデザインのピアノを製作し、
成功した。(※プレキシグラス/Plexiglas とはアクリル樹脂のことで、ドイツでの商標名)
1961年にニコラウス・ヴィルヘルム・シンメルが会社を引き継ぎ、ドイツのこの上質な伝統は第三世代へ。
1966年に新工場が建設され、さらにコンサートホールと展示場を併設した大きな工場の建設が決定した。
そしてこの一大プロジェクトは1980年についに完結し、同年、シンメル社は新工場で1万台のピアノを生産し、
その中の1000台はエラール(Erard)、ガヴォー(Gaveau)、プレイエル(Pleyel)等のブランド名だった。
(※シンメル社は、1970年~1993年までこれらのブランドのピアノも生産していたためです)
1961年、フランスのガボー・エラール・プレイエルを買収、
約20数年間にわたりプレイエルのピアノも生産しました。
アメリカ向け生産が激減したことにより、2009年に破産手続申請。
現在は再建がすすめられているとのこと。
※シンメルピアノははBVK認証を受けています(詳しくはこちら
→★)
<附録>
シンメルピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1894年~2000年) →★
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SCHLOGL

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シュレーゲル SCHLOGL(SCHLÖGL)
チェコスロバキア製 (イフラヴァ:都市名)1871~
詳しくは、リガー・クロスの項目を参照
|
S.SCHMIDT
★★


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シュミット S.SCHMIDT
製造:日本ピアノ製造株式会社(磐田市)
鉄骨部分のロゴにはN.P.Cとありますね。
トレードマークには珍しく、逆三角形の形をしています。
1台しか調律したことはありませんが、まさに昭和を感じるピアノですね♪
シュミットの蓋(まくり部分)にあるブランド名称メインマーク
→★
シュミットのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
SCHMIDT CART |
SCHMIDT CART シュミット・カルト ドイツ 詳細不明
|
SCHMIDT FLOHR |
SCHMIDT FLOHR シュミッド・フェアー スイス 詳細不明
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SCHMITT |
SCHMITT シュミット フランス 詳細不明
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SCHNABEL |
SCHNABEL シュナーベル レスターピアノ製造(株)浜松 詳細不明
|
SCHOENBERG
★★
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SCHÖENBERG (SCHOENBERG)
シェーンベルグ(シェンベルグ)
富士楽器製造(浜松)
当初、富士楽器のブランドはこのシェーンベルグであった。
ベルトーンになってから良くなったと言われている。
初代社長野田秀治氏によって戦後もしばらく作られていたが、必ずしも秀作とは言えなかったが、
ベルトーンになって面目を一新した。
ご寄稿頂いた左記画像のシェーンベルグの推定購入時期は昭和18~25年ぐらいとのことです。
ピアノ本体は漆塗り、鍵盤は象牙で、鍵盤数は一般的なピアノの88鍵より少し少ない85鍵だそうです。
シェーンベルグのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
SCHOLZE |
SCHOLZE ショルツェ
チェコスロバキア製 (現在:チェコ共和国) ペトロフ社のブランド |
SCHREIBER |
SCHREIBER シュライバー フィリピン 詳細不明
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SCHROTHER |
SCHROTHER シュロッサー ドイツ 詳細不明
|
SCHULZE POLLMANN
★
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SCHULZE POLLMANN
シュルツ・ポールマン(シュルツェ&ポールマン)
現在東洋ピアノで販売?ピアノの発祥はイタリアの"フィレンツェ"にて誕生。
当時のヨーロッパは王侯貴族に職人が宝石・家具・絵画・革製品などを作成していました。
シュルツ(ドイツ人)とポールマン(イタリア人)は伝統の家具職人の経験を活かして、
良質のヨーロッパ木材だけを使用した「家具との調和」を提唱し製作、
木目が表現する妙技は絶賛の一言に尽きます。
寄せ木手法の"ピーコックウォルナット"は木工技術の集大成。
饗版にはバイオリンのストラディバリウスで有名なイタリア産
フィーメ地方の「フィーメとうひ材」を使用しています。
シュルツポールマンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
SCHUERMAN |
キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ |
SCHUMANN
★
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SCHUMANN シューマン アメリカ エスティピアノ (ESTEY PIANO CORPORATION)
珍しく大音楽家の名前がその名称として付けられているピアノで、エスティピアノに属する。
なんと100年以上このブランド名で作り続けているといいます。
すべてのピアノにダイレクトブローアクションが付けられ、レスポンスと共に音色の点でも
優れていると伝えられるピアノです。
シューマンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
SCHUNARBEL
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SCHUNARBEL シュナーベル トニカ楽器(浜松?) 詳細不明
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SCHUTZE, GEBR |
SCHUTZE,GEBR 読み方不明 ドイツ 詳細不明
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SCHWANDER |
シュワンダー イギリス? 詳細不明 |
SCHWECHTEN |
SCHWECHTEN シュヴェヒテン(シュベヒテン) ドイツ 詳細不明
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SCHWEIGHOFER |
SCHWEIGHOFER 読み方不明 イギリス? 詳細不明
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SCHWEIZER STEIN
★★

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SCHWEIZER STEIN (SCHWEIZERSTEIN)
シュバイツァスタイン/(シュバイッツァスタイン)/(シュバイツァースタイン)
製造:ワールドピアノ[ワールド楽器]製作所(磐田市)
製造:日本シュバイツアピアノ製作所/(株)シュバイツァ技研(磐田市)
発売元(当時):原ピアノ(東京原宿)
昭和30年、磐田市にワールドピアノ製作所を設立して作ったピアノ。
昭和48年に日本シュバイツアピアノと社名を変更した。
東京では原宿の原ピアノが販売に当たった。
シュバイツァー博士が命名したと伝えられ、世界9カ国に特許を持つ特殊な考案の刻み目の入った響棒を使い、
また、その他、スパイラル響板なども使った特殊な楽器である。
ワールドピースの項も参照。
<附録>
シュバイツァスタインピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1974年~1999年) →★
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SCHWESTER
★★

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SCHWESTER シュベスター
製造:協信社ピアノ製作所(東京蒲田)、シュベスターピアノ製造KK(東京蒲田)
製造(現在):(有)エスピー楽器製作所(磐田市)
松崎妙氏は、木工技術者の松川賢一氏、塗装の小原太作氏の3人の技術者によって、
昭和4年(1929年)に、東京蒲田に協信社が設立され、シュベスターのブランドでピアノが作られた。
松崎氏はアクション製作、張弦を担当した。
シュベスターは手作りの楽器として美しい音を誇ってきた。
この協信社がシュベスターピアノ製作所の前身である。
創始者である松崎妙氏は、1899年愛知県生れ。
1912年頃に東京大井町にあった東京楽器研究所に入っている。
その後関東大震災で職を失うが、東京蒲田楽器製作所(蒲田ピアノ)と松本ピアノで製造技術を磨いている。
当時ピアノの価格は法外に高かった。
その頃ヤマハのアップライトは500円、800円、1000円、1200円の4種類であったと伝えられているが、
協信社では、1000円のピアノ1種類だけを、月1台から1.5台作り続けたという。
当時は物品税もない時代である。試みに協信社の1ヶ月の損益計算を分析すれば、
次のように明快に黒字を生むものであった。
1台のピアノの材料費は、木材が10円、ワイヤーが10円、アクションが国産で35円、
外国製で70円、その他を含めても100円ぐらい。
製品は卸値で相手が買いに来た時は定価の半額、逆に売り込んだ時は5割5分引きの450円で売れた。
つまり1台売れれば一人が80円づつの給料を受け取っても、なお110円から160円の利益が残ったのです。
協信社はこのようにして次第に大きくなっていったのである。
シュベスターは調律師を通じての受注生産がほとんどで、過剰在庫を抱えることもなかった。
シュベスターの響板は北海道のエゾ松を専用に使い、輸入品のスプルースは全く用いない。
その理由はスプルースは材質が硬く、音のダイナミックレンジが狭いためであるという。
なお、響板の加工は一切手加工で行われ、これによりピアノに魂を吹き込む。
エゾ松以外の材料を使わないのはこの会社だけであると聞く。その他レンナーハンマーを使用している。
シュベスターピアノはベーゼンドルファーと同様に生産台数が伸びない珍しいメーカーであった。
創業以来の生産台数は50年でわずか2万台である。
シュベスターピアノの製造番号付けには少し工夫が凝らしてあり、
アップライトの場合、上から2桁の数字が昭和○○年とすぐ分かるようになっています。
※平成に入っても数字を加算すれば解読可 (ちなみにグランピアノドの場合は1984年までならこの方式で解読可)
<附録> シュベスターピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1981年~2012年) →★
<シュベスターピアノの歴史とシュベスターピアノ詳細>
初期の頃のシュベスターピアノは松本ピアノを真似て作られていました。
ちなみに松本ピアノは旧東ドイツのチンメルマンピアノを真似て製作です。
第1号機は田園調布の佐治家へ納入されましたが、現在そのピアノは武蔵野音楽大学へ寄贈され、
同大学構内(練馬区江古田)にある楽器博物館に保存されています。
その後、シュベスターピアノは1952年、芝白金の調律師斉藤義孝氏の指導により、
ウィーンの名器ベーゼンドルファーのアップライトをコピーしたものに変更されました。
尚、グランドピアノはスタインウェイの”D型”をコピーしたものと言われています。
第二次世界大戦中はピアノの製造を不可能に追いやりました。
戦時中、他社大手のピアノメーカーは飛行機の部品などを作っていましたが、
シュベスターピアノでは魚雷の弾頭と内部の火薬筒を製作していました。
材料不足のため、木材で作り、漆で塗り固めたと伝えられています。
敗戦後はさらにピアノ製作という本来の志から離されてしまいましたが、鍋のふたや、下駄、机、
タバコを巻く機械、椅子、洋服ダンスなど、あらゆるものに手を出し食いつなぎました。
戦後最初のピアノを作ったのは1950年で、ビリヤードの台に使うラシャ
(ビリヤード台の表面に使う縫い合わせのない大きな布)などの代用品を集めて作り、
これが出荷されたときは喜びのあまり、全員で万歳を叫んだと伝えられています。
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SCOTSMAN |
SCOTSMAN スコットマン 中国
※ニエアール/ニエアル NIEERの項目参照
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SECILIA
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SECILIA セシリア 日本 詳細不明
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SEICO
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SEICO セイコー 精宏社ピアノ製作所 詳細不明
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SEILER
★★★



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SEILER ザイラー ドイツ(旧西ドイツ) →現在は韓国の三益楽器(サミック)に買収され存続
家具職人で音楽家でもあったエドゥアルト・ザイラーは、自身の名を付けたピアノ会社を設立した。
ザイラーの目的は、プロの音楽家の要求に応えるピアノを作ることだけではなく、それらのピアノを通じて
「文化に造詣の深い中産階級の人々が容易に音楽に触れられるようにすること」でもあった。
<歴史>
創業1849年 ドイツのリーグニッツ(現在のポーランドのレグニツァ)で小さな会社としてピアノ製造を開始。
コンサートピアノのような高級品だけではなく大衆的で高品質なピアノを目指しました。
1870年までに1000台のピアノを製造し、2年後にはその2倍にもなった。
ピアノ作りの職人技を各方面から称えられ、1872年にモスクワの品評会で金メダルを獲得したことにより、
ザイラーの名声は一気に高まった。
1875年に創立者のエドゥアルトが亡くなると、1879年に息子のヨハネス・ザイラーが会社を引き継いだ。
ザイラーは120人のピアノ職人を雇い、世界中の見本市で賞を取る品質の優れたピアノを作り続け、
1898には25000台を超えるピアノを世に送り出した。
ザイラーピアノはウィーン、アムステルダム、メルボルン、シカゴ、ベルリン、ミラノなどの
コンペティションで次々に受賞し「ザイラー」というブランドを世界的な存在にしました。
1923年、ヨハネスの娘婿アントン・ドゥーツはヨハネスの跡を継ぎ、経営責任者として就任。
アントンはザイラーの成功を維持させ、435名の社員を抱えるピアノメーカーへと成長させ、
年間3000台のピアノを製造するまでになり、ドイツ東部で最大のピアノ工場となりました。
第二次世界大戦後、ザイラーはリーグニッツ(現ポーランドのレグニツァ)にある本社と工場を
手放すことになり、一家はデンマークへと逃れた。
1945年の混乱の中、アントンの息子ステファン・ザイラーはザイラーピアノのフレームと
設計図を修復するために人生をかけて取り組んでいました。
彼の努力によりザイラーのレグニツァモデルピアノの生産がデンマークのコペンハーゲンにて再開、
更には1962年ドイツ・バイエルン州のキッツィンゲン(KITZINGEN)に工場を再建することに成功。
1977年には工場を拡大してコンサートホールと研修施設を併設するようになった。
現在もザイラーピアノはキッツィンゲン工場にて生産されており、ザイラー一族のウルズラとマヌエラが所有。
この2人はメーカー独自の音を守ることに専念しています。
ザイラーのアップライトピアノには、特許を取得したスーパー・マグネット・レペティション・アクションが
採用されている。これは従来のアクションに用いられるスプリングに代わり、二つの磁石を使ったもので、
この磁石によって鍵盤が3分の1しか戻らないうちに次の打鍵が可能になるというものだ。
フレーム右上にはザイラー社縁の人たちの肖像画がデザインされているのが印象的です(写真中央)
ピアノ天板の裏側にはロゴマークと共に ”DER ECHTH SEILER” とあります
→★
ザイラーアクション →★ バーズアイメープル(バーザイメープル材)を使った美しいピアノ外装
→★
<附録>
ザイラーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1870年~2000年) →★
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SEILER. ED |
SELLER.ED 旧西ドイツ 同上
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SERESARCH
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SERESARCH セレザーク 製造:フローラピアノ製造(株)(浜松)
森健氏の指導があった。
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SETTERGREN |
SETTERGREN セッターグレン アメリカ
エスティ(ESTEY PIANO CORPORATION)のブランド
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SHANGHAI |
SHANGHAI シャンハイ 中国
※ニエアール/ニエアル NIEERの項目参照
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SHCHIED MAYERR
★★






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SHCHIED MAYERR & SONS/SHCHIED MAYERR
シードマイヤー
元々は浜松ピアノ製造株式会社で製造していたブランドで、
後に協立楽器の持ちブランドとして韓国で製造。
ドイツ製シードマイヤー(SCHIEDMAYER)とスペルが違うところに注目 (HとRが余計に入っています)
同社が販売していたローレックスピアノと同系のピアノです。
その他詳細不明。
下から2枚の写真はグランドです。
シードマイヤーの保証書 →★ シードマイヤーで使用のアベル(ABEL)のハンマーヘッド
→★
シードマイヤー独特のアグラフ →★ シードマイヤーのまくり(蓋)部分の銘柄マーク
→★
シードマイヤーグランドのデカール →★
■機種バリエーション
KS-122M、KS127M、KS-133M、US-500など
SX-380、SG-157、SK3、SK2、嵯峨野など(協立楽器販売での機種)
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SHERLOCK-MANNING |
SHERLOCK-MANNING PIANO CO.,LTD シャーロック・マニング
カナダ オンタリオ州クリントンで作られているピアノで、創業以来アップライト専門。
戦後は全製品をカナダ国内で販売・消化していたがその後輸出も展開したとの情報。
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SHIGERU KAWAI
★★

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シゲル・カワイ/Shigeru Kawai
カワイ製、グランドピアノのみ。
匠の技が凝縮されたグランドピアノとのことです。
一般向けグランドピアノとフルコンサートグランドの中間的ピアノ。
シゲルカワイの公式サイトはこちら →★
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SHINGHAI |
星海 →XINGHAI の項目へ |
SHINCO
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SHINKO?SHINCO? シンコー 新興楽器製造KK(長野県辰野町) 詳細不明
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SHU
★
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SHU シュー
周ピアノ工場(周興華洋琴製作所)横浜天神橋近く
横浜のS.CHEWと同じく、周譲傑氏の手によるもの。
大正時代中期、上海出身の中国人、周筱正(しょうせい)氏は横浜に工場を建て、
ピアノを製造していた。だが筱正氏は関東大震災で命を落とし、工場も閉鎖。
長男の譲傑(じょうけつ)氏が昭和初期に復興したが、譲傑氏も終戦直後の1946年に死去。
親子二代の「周ピアノ」は約30年でその歴史を閉じ、日本には3台しか現存していない。
詳細はS.CHEWの項目参照。
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SHUTEINVICH |
SHUTEINVICH?スペル不明 シュタインヴェッヒ ドイツ 詳細不明
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SICHER
★
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SICHER ジーヘル(チッヘル?)読み方不明
茂呂ピアノ
松本ピアノの木工の名人と云われた茂呂芳蔵氏が、
かなりの早わざでこしらえたピアノ。
アクションのアレンジに、少々の冒険があったと伝えられている。
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SILBER STEIN
★
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シルバースタイン 製造:トーカイ楽器 (東海楽器製造株式会社)
TOKAI(トーカイ)同様、ドイツのシンメル社のモデルをもとに設計されています。
<東海楽器が製造したブランドを列挙いたします>
■ TOKAI(トーカイ)
■ BOLERO(ボレロ)
■ SILBER STEIN(シルバースタイン)
■ HUTTNER(ヒュッツナー)
■ GOLD STAR(ゴールドスター)
→詳細な解説は、TOKAI(トーカイ)の項目へ
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SIMON |
中国広州 詳細不明 |
SINGER |
SINGER PIANO CO. シンガー
アメリカ(シカゴ) 詳細不明 |
SINHAKKEN |
SINHAKKEN 「新白鍵」 ※SHINHAKKENではなく、SINHAKKENが正しいスペル
マイクロネット株式会社(Micronet Inc.)製作
黒鍵が一つもなく白鍵だけの不思議なピアノです。初めて見たときはびっくりしました。
マイクロネット株式会社の製作(改造)したピアノで、2014楽器フェアでお披露目されました。
通常のピアノは白鍵52鍵、黒鍵36鍵の合計88鍵ですが、このSINHAKKENも
通常のピアノと同じで白鍵が52鍵あり、残りの黒鍵36鍵はすでに弦が張ってあるのに、
この部分はハンマーで音を叩いていないことになります。
尚、これは技術者目線ですが、切り欠きのない唯一の白い鍵盤C8(KeyNo.88)の白鍵アクリを
なんと52枚も使っています。 ※ちなみに88Key(C8)の白鍵アクリとはこの部分です →★
ピアノ自体はスタインウェイを改造して作っているようなので、決してピアノメーカーとは言えませんが、
新しいピアノブランド名として一応ここに掲載しておきます。
<参考>
「新白鍵」は商標登録済み (登録番号:第4711493号 登録日:平成15年9月19日) j-platpat公開情報
「新白鍵」は意匠登録済み
「新白鍵」は特許出願済み
※2013年12月の時点で「特許出願済み」と自社HP公開、2020年3月時点でまだ「特許出願済み」のステータス
もし「新白鍵」の特許が取得されたら、お手数ですがどなたかお知らせ下さいませ。当ページを即日更新します。
※新白鍵の紹介ページ https://www.microscope-net.com/special-contents/piano/新白鍵/
→その他、詳しくはYouTubeで 「新白鍵 ピアノ」 と検索すると演奏中の動画も出てきます
白鍵だけでドビュッシー/子供の領分、グラドゥス・アド・パルナッスム博士を弾く動画が出てきます。 |
SOHMER
★★
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SOHMER & CO.INC. ゾーマー 創業1872年 アメリカ
工場:ロングアイランド
アメリカで作られているピアノのうちで、古い歴史と伝統を持ち、高品質を誇り、
更に輝かしい名声を持っているピアノメーカーの一つである。
初代のゾーマーは1884年にベビーグランドを発明し、同年に5本足による
グランドピアノのパテントを取っている。この五本脚のベビーグランドを85年間も
専一に研究開発し続け、現在50型とよばれる優れた小型のピアノを作り出しました。
この楽器の特徴は、ケースが真円を半分に切ったような(半月)のような形で、
左右対称となっており、音質が抜群に優れていることにあるといわれる。
もちろんアップライトピアノも作っていて、極めて耐久性が高く、販売の際には
20年の保証もつけているといいます。
一般には、ピアノは有名な演奏家の推薦や保証によって売れ行きがよくなるものであるが、
このゾーマーピアノは、それら販売手法を誤りとして拒み続けてきました。
ゾーマーピアノの政策上の信念は、『人間の叡智と技術と職人気質、そして家系の伝統とが
重なり合って、初めて最高品質のピアノが出来上がる』ということが基礎になっている。
※MASON & HAMLINや、FALCONEの項目も参照
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SONARE
★
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SONARE ソナーレ
スペルは「SONALE」ではないので注意
製造:日本楽器横浜工場(横浜)、発売元:十字屋楽器店
十字屋楽器店が日本楽器横浜工場で作らせていたブランド。
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SOUTER |
アトラス販売? 詳細不明
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SPAETHE |
SPAETHE スペーテ ドイツ 詳細不明
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SPENCER |
Spencer スペンサー イギリス(ロンドン) 詳細不明 |
SPILMAN
★
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SPILMAN スピルマン
(有)小野ピアノ製作所(浜松市)
昭和32年頃の浜松の(有)小野ピアノ製作所で作られていたという記録がある。
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SQUIRE & LONGSON |
Squire & Longson スクワイアー&ロングソン イギリス(ロンドン)
下のスクワイヤーと一緒? 詳細不明 |
SQUIRE & SONS |
スクワィアー イギリス 詳細不明 B.SQUIRE & SONS
|
STANDARD
★
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STANDARD スタンダード
日米楽器工業所(アトラスピアノ社の前身)浜松
アトラスピアノ社の前身、日米楽器工業所で作られたブランド。
85鍵で14万円で売り出されたものもある。
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STECK |
STECK ステック ドイツ 詳細不明
|
STECK
★★


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STECK & CO.INC.GEORGE ステック アメリカ 工場:ニューヨーク
エオリアン・アメリカン・コーポレーションの子会社で作られているアメリカの伝統的なピアノ。
工場はニューヨークにあって創業は1857年。以来、各地の展覧会で賞を取っており、
有名なリヒャルト・ワーグナーもこのピアノで楽劇(オペラ)「パルジファル」を作曲したと伝えられています。
ワーグナーが使ったジョージ・ステックのピアノは、彼の友人が寄贈したもので、現在でも
ベイルートのワーグナーの別荘に保存されているとのことです。
ステックはアップライトとグランド双方が作られており、耐久性と高品質の点で定評があり、
多くの一般学校や音楽学校などで使われています。
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STEINBACH
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STEIN BACH スタイン・バッハ イタリア 詳細不明
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STEINBACH
★★


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STEINBACH スタインバッハ
(株)平和楽器製作所 (平和ピアノ研究所) 浜松市
昭和14年から作られていたアップライトピアノ。
同社は戦時中、航空機生産の下請けをしていたが、昭和21年平和ピアノ研究所として製造を再開し始め、
昭和26年に現社名となった。台湾、東南アジアに輸出していた。
平和楽器製作所(創業1939年)
上から2番目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<附録>
スタインバッハピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1975年~1990年) →★
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STEINBERG
★
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STEINBERG スタインバーグ、スタインベルグ
日産楽器(浜松市)、浜名ピアノ製作所(浜松市)
日産楽器はこの他に、ウェルバー、スタインメル、K・ヘルマン、
タカラヤマトなども製作した。
STEINBERGはドイツ製やイギリス製にも同じ名前があるが異なる。
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STEINBERG |
STEINBERG スタインベルク イギリス 詳細不明
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STEINBERG
★★
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STEINBERG スタインベルグ/スタインブルグ ドイツ 詳細不明
スタインベルグのメーカーホームページ →★
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STEINBURG |
スタインブルグ 中国 詳細不明 |
STEINER
★★

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スタイナー
U-1、U-2E、U-2M、U-3M、U-5などの機種があります。
当時の販売元は協立楽器株式会社です。
その他、詳細不明。
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STEINGRABER & SOHNE
★★★

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STEINGRAEBER & SÖHNE (SOHNE) Steingræber & Söhne
創業1852年 ドイツ、バイロイト
シュタイングレ-バ-&ゼ-ネ (シュタイングレーバー・ウント・ゼーネ)
シュタイングレーバーウントゼーネ社は1852年に29歳のエドゥアルト・シュタイングレーバーによって設立。
もともとシュタイングレーバー家はチェンバロ製作を行っていたが、若きエドゥアルトは旅行中に、
ウィーンのシュトライヒャーに出会ったことが運命となり、ピアノ製作の道へと進んだ。
品質の優れたメーカーとして、シュタイングレーバーはすぐさま評判となり、
1874年にはリヒャルト・ワーグナーに特別なピアノの製作を依頼された。
このピアノは、オペラ「パルジファル」の聖堂の場面で用いられ、鐘の音がするピアノだったという。
1892年に、エドゥアルトの息子のヨハンとブルクハルトが経営に加わりった。
その後、1910年にヨハンはベルリンに移って優れたチェンバロ制作者になった。
1920年に、ブルクハルトの義理の息子ハインリッヒ・ヘルマンが社長に就任し、1951年にはその甥の
ハインリッヒ・シュミットが引き継いだ。
現在も、シュミット=シュタイングレーバー一族がこの会社を経営している。
シュタイングレーバー・ウント・ゼーネ社は地球環境にも優しい楽器など、オーダーメイドのピアノも製作する。
この会社は外装に天然の塗料や接着剤を用いたり、鍵盤表皮に牛骨を使用したりするなど、有機材料のみで
ピアノを製作することを得意としている。
また、古くなって内部の修理が不可能となった場合には、そのピアノの外装を再利用して新しいピアノを
組み立てるということもしている。
尚、シュタイングレーバー・ウント・ゼーネ社は、足の不自由な演奏者のためのピアノも製作している。
このピアノは、演奏者がもっとも操作しやすい場所にレバー式のサスティン(ダンパー)と弱音装置がついている。
このようなことから、シュタイングレーバーウントゼーネ社は、おそらく世界で最も特異なピアノ会社であろう。
シュタイングレイバーはBVK認証を受けています(詳しくはこちら
→★)
<附録>
シュタイングレーバーピアノ 製造番号/製造年代 対照表(1860年~2001年) →★
トレードマーク画像は「白川ピアノ調律所様」からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
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STEINHOVEN |
STEINHÖVEN 詳細不明 |
STEINMAYER |
STEINMAYER スタインマイヤー ドイツ 詳細不明
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STEINMEL
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STEINMEL スタインメル 日産楽器(浜松市) 詳細不明
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STEINMEYER
★★★







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スタインマイヤー
製造:遠州ピアノ製造KK(浜松市)、後にアトラスピアノ製造株式会社
発売元:協立楽器株式会社(神戸市)
当初は、遠州ピアノ製造(株)の主力ブランドで、後に協立楽器の持ちブランドになりました(高島屋販売)
ピアノ妻土台部分にアトラスピアノ製造のシールが貼ってあるもの
→★ は、
後にアトラスピアノで製造されたピアノです。 一番上のトレードマークが遠州ピアノ時代のものです。
スタインマイヤーまくり部分の銘柄マーク →★ スタインマイヤーの調整検査カード
→★
スタインマイヤーの文部省教育用品審査合格のシール →★
アトラスピアノ製造になってからのアクションレールに貼られたシール →★
スタインマイヤーのフレームのトレードマークはかっこいいデザインですね。
スタインマイヤーという名前のピアノは、イギリスやドイツにもありますがまったく違うピアノです。
音量・音質、ピアノ自体の作りはとても良く出来ていると感じます。
■ 機種バリエーション SK-1、SK-2、SK-3など ※スタインマイヤーの独特な巻線
→★
上から2番目のエンブレム画像は「PIANO YOSHIKAWA様」よりご寄稿頂きました。ありがとうございます!
<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★
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STEINMEYER |
STEINMEYER スタインマイヤー イギリス 詳細不明
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STEINRICH
★★


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スタインリッヒ
製造:三葉楽器製作所(浜松市)、(有)スタインリッヒ・ピアノ(浜松市)、
発売元になったことあり:国際楽器(神戸市生田区)
浜松にあった(有)スタインリッヒ・ピアノのブランドです。
戦前は三葉楽器でつくっていました。
(国際楽器のブランドになったこともあるようです)
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STEINWAY
★★★★


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STEINWAY & SONS スタインウェイ・アンド・サンズ
そう、言わずと知れた世界一のピアノの名器です。スタンウェイと言う人もいます。
名だたるピアニストが皆こぞって愛するピアノです。
又、コンサートホールに納入されたフルコンピアノの台数としては世界一です。
スタインウェイには製造工場の違いからハンブルグスタインウェイと
ニューヨークスタインウェイの2種類に分かれ音色や特徴に違いがあります。
スタインウェイ社が1886年に特許を取得したサウンドベルはあまりにも有名。
→★
<創業>
ニューヨークスタインウェイ(アメリカ)→1853年創業
ハンブルクスタインウェイ(旧西ドイツ)→1880年創業
<歴史>
スタインウェイの創業者、ハインリヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェークは、「木炭のマイスター」の家系に
産まれた。若い頃、火事で家族を失い、ワーテルローの戦いの集で軍隊に入隊する。
そこの兵舎では余暇の時間を使って、マンドリンやダルシマー、チターを作り、愛国歌を奏でたという。
除隊後、戦争から戻るとハインリヒは教会用オルガン職人の店の見習いとして働き楽器製作の技術を学び、
見よう見まねで1825年に最初のピアノを台所で作り上げる。
そして1835年、ゼーゼンでピアノ作りを本格的に始動し、その4年後の1839年には2台のスクエアピアノと
1台のグランドピアノをブラウンシュヴァイクの見本市(博覧会)に出展し、金メダル(一等賞)を獲得した。
増加する注文に応えるため、ハインリヒは3人の息子、テオドールとカールとハインリヒを店の経営に加えた。
1848年から1849年にかけてドイツでは革命が起き、家族は分散してしまう。
カールは1849年にニューヨークに渡り、新世界の驚異的な可能性について手紙で報告し、
家族の渡米を強く促した。テオドールはドイツの店を切り盛りするためにひとり国に残り、
あとの家族はニューヨークへ向けて旅立った。アメリカに到着すると、一家は名前をシュタインヴェークから
スタインウェイに改め、さまざまなピアノ工場で働いた。
1853年3月に、一家は家族会社を設立。これがスタインウェイの始まりだ。
彼らが製作した見事なピアノはすぐさま支持者を獲得していき、1855年、スタインウェイ社は
アメリカン・インスティテュートの大博覧会に総鉄フレームのスクエアピアノを出展し、ピアノ業界を驚かせた。
それから会社は大きく繁盛し、ニューヨーク4番街53丁目に巨大な工場が建てられた。
その同じ年、ドイツのテオドールはゼーゼンからブラウンシュヴァイクへ移り、
ゲオルク・グロトリアンと協力して会社を設立し、成功する。
弟たちが亡くなると、テオドールはグロトリアン・シュタインヴェーク社の持ち株を売ってニューヨークへ渡り、
父親の会社に加わった。
テオドールの夢は、誰も試みたことのない張力で弦を張ったグランドピアノを作ることだった。
テオドールは適切な合金を見つけ出すために冶金学を学び、接着剤やニス、その他原材料など
化学作用を研究した。またドイツへ戻って物理学者のヘルムホルツに会い、振動する弦と音楽の
物理現象について意見をきいたと伝えられている。
テオドールの最大の功績は1876年の「センテニアル」コンサートグランドである。
このピアノはデュープレックス・スケールやベントリム・ケースを備えたもので、それ以前までは
とても考えられなかったほどの弦張力(テンション)を支えるキューポラ鉄フレームが採用され、
また大きくなったハンマーヘッドを持ち上げられるようにアクションも強化された。
1889年、テオドールは45もの特許と、ほぼ改良の余地もないほどの完成度の高いグランドの設計を遺し、
この世を去った。創立者の末息子ウィリアムは、1871年にニューヨークにスタインウェイホールを設立し、
1876年にはロンドンにもホールを建てた。
1880年には、拡大するヨーロッパ市場向けのピアノを生産するためのハンブルク工場がオープンする。
またこの同年に、ウィリアムはロングアイランドに400エーカーの土地を購入しており、ウィリアムの死後、
60年の年月が経った1910年にアメリカのスタインウェイ工場は完成した。
1927年~1931年にかけて大恐慌によってスタインウェイ社は大打撃を受け、ピアノの生産高は激減。
第二次世界大戦中、スタインウェイ社は飛行機の部品を製作するように依頼され、また軍隊のための
持ち運び可能な小型アップライトピアノを3000台注文された。(これをG.I.ピアノと呼びます)
一方ドイツでは、ハンブルク工場が政府に没収され、そこではダミーの飛行機が製作された。
スタインウェイ一族は1972年に会社をC.B.S.に売却。
その後会社は1985年、スタインウェイ・ミュージカル・プロパティーズ・インコーポレーテッドに売却された。
そして現代の工学と伝統的な手作りの手法との適正なバランスをとりつつ、ピアノ製造業界以外からも
技術者が雇われ、ピアノの設計に変更が加われることなく生産工程の合理化が図られた。
<その他の特徴>
スタインウェイは、ピアノメーカー御三家の中の1つに数えられるメーカーです。
ピアノ御三家とは→スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインのことを指します。
セオドア(テオドール)・スタインウェイは現在では当たり前の交差弦のピアノを設計しました。
交差弦は、より力強い音量を得るためにグランドピアノのリム(側板)や、フレーム(鉄骨)、
ハンマーの設計を発展させたと言われています。
1872年に特許を取得した「デュープレックス・スケール」は、倍音を発生させることでピアノの音に対し、
豊かな色彩をもたらす仕組みである。これは、現にスピーキングレングス(弦が発音する部分)以外の
2箇所の追加区分を設ける設計で、追加部分はスピーキングレングスの発する基本周波数音に共振する。
1箇所目はフロント・デュープレックスバーとカポ・ダストロ・バーの間の部分で、2箇所目は響板上の
駒とフレーム上のデュープレックスバーの間の部分である。
1936年には円形膜状挙動響板の設計の特許取得。これは響板全体を反応させ、より自由な振動を促す。
円形膜状挙動響板は中央部が厚く、グランドピアノのリム内側に取り付けられている周縁部方向へ
向かうにつれてだんだん薄くなっているのが特徴です。
その他、スタインウェイについてはWikipediaに詳しく書かれていますのでご参照下さい。
■機種/モデルバリエーション (ハンブルグ工場製)
<グランドピアノ>
S:(奥行155cm)、M:(奥行170cm)、O:(奥行180cm)、A:(奥行188cm)、B:(奥行211cm)
<アップライトピアノ>
Z:(高さ114cm)、V:(高さ125cm)、K:(高さ132cm)
<附録>
スタインウェイ 製造年 対照表(1853年~1966年) →★ 製造番号 (483~395,000)
スタインウェイ 製造年 対照表(1966年~2015年) →★ 製造番号 (395,000~602,800)
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STELZHAMMER |
STELZHAMMER ステルツハンメル オーストリア?ドイツ? 詳細不明
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STERLING
★
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STERLING PIANO CO.INC. スターリング スターリング・ピアノ・コーポレーション
アメリカ、テネシー州の新しいメーカーで、一般向きのピアノを作っています。
この会社の製品にはスターリングのブランドのほか、ハンティングトン(HUNTINGTON)、および
メンデルスゾーン(MENDELSSOHN)のブランドもあります。
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STOCKHAUSEN
★


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STOCKHAUSEN シュトックハウゼン(ストックハウゼン?)
北朝鮮製造?(韓国?)→浜松で最終調整? 詳細不明
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STONE |
STONE ストーン アメリカ 詳細不明
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STORY & CLARK
★★
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STORY & CLARK PIANO COMPANY ストーリー・アンド・クラーク
アメリカ 工場:ミシガン州グランドヘブン
1857年にハンプトン・ストーリーによって創業されたピアノメーカーで、莫大な数量の
アップライトピアノを市場に販売し続けてきたことによって名が知られ、アメリカで有数の
古い歴史を持ち、もちろんスピネットピアノもグランドピアノも製造しています。
初代のハンプトン・ストーリーは、生まれ持っての音楽的才能を持ちあわせた人物で、
10歳のとき、すでにピアニストとしての演奏技能を習得し、20歳でピアノ教師となり、
なんと22歳でピアノの製造を開始したという。
彼の最初のピアノは、チャンプレイン湖(ニューヨークとベルモントの間にある美しい湖)
を臨む小さい仕事場で作られたが、熱心にピアノ製造に打ち込んだため数年のうちに高品質な
ピアノを次々と完成させ、名声は遠くニューヨーク、バッファローおよびクリーブランドにも
および、バイヤーが次々と訪れるようになった。
その後、1867年に工場はシカゴに移され、ピアノとリードオルガンの製造で急激な発展を
続け、さらに1901年にミシガン州のグランドヘブンに移されている。
現在に至るまでに4代の間、ストーリー一家はピアノ製造の伝統と秘技を受け継ぎ、近代的な
小型のアップライト、すなわち、アメリカでコンソールあるいはスピネットとよばれる機種の
発達のパイオニア的な役割を果たし、さらに、スケールのデザインやキャビネットのスタイルの
先達の役目を果たしたとのことです。
1948年に、この会社は画期的なピアノ響板を作り出している。これはストーリートーン
(STORY-TONE)と名付けられたマホガニー製の響板である。弦楽器の響板は昔から
松あるいは杉などの木目の通ったやや柔らかい木で作るものと相場が決まっていた。
その理由は、音の伝導性が良いという点にあります。ところが、ストーリー・アンド・クラークは、
この伝統を破って合板のマホガニーで響板を作り出したのである。この硬木の響板は温度や湿度の
変化に関係なく、50年の間、絶対にひび割れすることがないことの保証が付けられていた。
さらにマホガニーはスプルースと比較した場合、温度および湿度による収縮・膨張その他の変化が
少ないために、チューニングが狂う率が大幅に減少し、その上、音質を向上させるという。
現在、ストーリー・アンド・クラークのアップライト全機種に、このマホガニーの響板が採用されている。
この会社では、教会用のピアノという特別な楽器も作っている。ケースには特殊なゴシック式の
飾りを付け、やはり合板のマホガニーを響板に使用している。この響板により、オルガンとチューニングを
合わす必要のある教会では調律が極めて容易になったといわれている。
また、学校専用のアップライトも作られている。このピアノの特徴としては、ひとつの鍵(カギ)で
屋根板、前蓋(まくり)、前板を同時にロックできる装置、二重になったゴム製の指し込みの
キャスター、調律を容易にする屋根板とフロントパネルが一体になった構造などがある。
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STRAUBE |
STRAUBE シュトラウベ ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
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STRAUBE |
ストラウベ Straube Piano Company (1895–1937) アメリカ 詳細不明 |
STRAUSS
★
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STRAUSS シュトラウス(ストラウス?)
東亜ピアノ、[有限会社小野ピアノ製作所]
戦前にもあったピアノ。
昭和32年ごろ有限会社小野ピアノ製作所で作られていた記録もある。
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STUART & SONS
★★

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スチュアート・アンド・サンズ オーストラリア(シドニー)
スチュアート・アンド・サンズ社は、290cmのコンサートグランドと、220cmのグランド、
130cmのアップライトピアノを製作。
スチュアート・アンド・サンズのピアノは完全8オクターブ97鍵を採用しています。
ベーゼンドルファー290モデルの97鍵とは違い、最低音と最高音の両側に音域を広げた鍵盤を採用しており、
F(21.8268Hz)~F(5587.6517Hz)という音域である。
さらに102鍵の8.5オクターヴのピアノもあり、この音域はなんとC-1(マイナス1)~F7である。
これは通常のピアノの音域(音域A0~C8)からさらに低音部に9鍵多く、高音部に5鍵も多い。
<歴史>
ウェイン・スチュアートはヨーロッパと日本でピアノ製作の技術を学び、1995年に自身の会社を設立。
以来、スチュアートはオーストラリアのピアノ製作における新たなコンセプトを切り開いてきた。
ピアノケースはオーストラリア産のさまざまな木材で出来ており、伝統的で一般的とされるピアノ外装とは
著しく異なっているのがスチュアート&サンズピアノの特徴と言える。
そして、スチュアートピアノはすべて、ウナコルダ、サスティン、ソステヌート、ハーフブローの4本ペダルを
備えているのが特徴である。しかし、スチュアートの真の先見性は発音設計にあるとされる。
従来のピアノは長い木の駒に斜めに駒ピンを打って横からも弦を押さえつけているが、スチュアート製は、
弦と駒を接続する方法として、駒ピンの代わりにアグラフを用いている。そうすることにより、音の減衰速度が
遅くなり、調律の安定性も向上するとスチュアートは信じているとされています。
尚、スチュアート社のピアノはすべてオーダーメイドで、販売とサービスも行うピアノ・オーストラリア社により
生産されている。手作りのピアノはどれも完成まで1年かかるため、このメーカーの生産高は非常に少ない。
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STUTTGART |
STUTTGART ストゥットガルト(スチットガルト) 製作者? 戦前、浜松で作られていた。
|
SUNSHINE |
SUNSHINE サンシャイン 朝日楽器製作所(浜松) 詳細不明
|
SYDNEY ZENDER |
SYDNEY ZENDER &CO ゼンダー イギリス 詳細不明
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ピアノ銘柄ブランド
トレードマーク 紹介
知名度ランキング
★ ~
★★★★ |
メーカー/ブランド説明・会社沿革・歴史・製作者・特徴・音色・他
|
W. DANEMANN |
W.DANEMANN & CO. ダネマン イギリス 詳細不明
|
W. G. EAVESTAFF |
W.G.EAVESTAFF & SONS イーベスタッフ イギリス 詳細不明
|
W. W. KIMBALL |
キンボール社(KIMBALL)が取り扱ったブランド
→詳しくはKimballの項目へ |
WAGNER
★★★



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ワグナー/(ワーグナー) 東洋ピアノ製造
関東大震災後、広田ピアノを創立した広田栄太郎氏の長男の広田武雄氏が
屋代千里氏と合同して作った東洋楽器製造(株)のブランド。
広島県の誘致工場として広島市吉野本町879にありました。
当時、ピアノ製造が浜松に集中する中、珍しく広島にありました。通称広島ワグナーとも。
その後、協立楽器のブランドとして販売していました。
ピアノのつくりは大変すばらしく、とても良いピアノです。
特に低音域の音の広がりは好きです。
<追記>
近年販売の新品WAGNERは過去の面影はまったくなく、アサヒピアノ(輸入ピアノの総合総社)が
東洋ピアノ製造から商標権を譲り受けて製造している中国製ピアノのようです。
■機種バリエーション
W-30など
■機種バリエーション (協立楽器販売以降)
W1(W-1CE、W-1CM)
W2(W-2CE、W-2CM)
W3(W-3E、W-3M、W-3CE、W-3CM、W-3CLM)
W5(W-5CE、W-5CM)
W71(W-71E、W-71M、W-71W)など
ワグナーのM.O.T.(下パネ内部の天秤棒部分に書かれた記載)
→★
M.O.T.通称:ガチャガチャ部品本体の写真 →★
ワグナーの調律記録カード(アポロ時代と同じですね)
→★ ワグナーのキーカバー純正品
→★
ワグナーピアノのまくり(フタ部分)にあるブランド銘柄マーク
→★
アポロピアノもワグナーピアノも東洋ピアノ製造なのでTPKと入っています(2つを並べた写真)
→★
<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★
平成29年2月3日、ワグナーピアノ(W1)をりっこう幼稚園のチャペルへ寄贈させて頂きました
→★
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WAGNER (阪急)
★★

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阪急ワグナー/ハンキュウ ワグナー (HANKYU WAGNER)
こちらは阪急と入っているワグナーピアノです。
阪急百貨店で売られていたワグナーの特別ブランドでしょうか?
非常に珍しいトレードマークです。
基本的に作りや音色はワグナーと同じです。詳細はワグナーの項目を参照してください。
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WAGNER |
ワグナー 日本のワグナーとは違うようだが、詳細不明
→詳しくはYoung Chang(ユンチャン)の項目へ |
WALDSTEIN
★
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WALDSTEIN バルトシュタイン/(ワールドシュタイン)
製作:三高アクション製作所(浜松市薬師町)
製作:及川ピアノ製作所(浜松)→のちに東洋ピアノ製造(TPK)
発売元:三浦ピアノ店(文京区東大前)
戦前から、東京文京区東大前の三浦ピアノ店を代理店として売り出された。
”ショパン” というピアノ機種も同様。
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WALTER
★

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WALTER PIANO CO. ウォルター
アメリカはインディアナ州エルクハートにあり、以前は有名な管楽器メーカーである
コーン社の一部門としてピアノの研究製作がなされていたが、その後ジャンセンピアノ社に
買収された。ブランドはジャンセン(JANSEN)である。
このトレードマーク画像はMelody様からご寄稿頂きました。
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WEBER
★

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WEBER ウェーバー
製造:ユンチャン社(韓国)
→詳しくはYoung Chang(ユンチャン)の項目へ
ニューヨークのエオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下で
系列会社の製品でもウェーバーというピアノもあります。
その他、中国でもウェーバーというブランドがあるらしいですが詳細は不明。
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WEBER |
WEBER ウェーバー 中国 ドンペイ 詳細不明
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WEBER
★
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WEBER PIANO CO. ウェーバー
※エオリアン・アメリカン・コーポレーション(ニューヨーク)
1852年にアルバート・ウェーバーによってニューヨークで創業されたピアノメーカー。
極めて歴史の古い楽器で、ローマ法王庁に納入されたものであるというが、日本では
このことはほとんど知られていません。
現在はエオリアン・アメリカン・コーポレーション傘下の系列会社の製品
ウェーバーのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
WEBERN
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WEBERN ウェーベルン 及川ピアノ製作所(浜松) 詳細不明
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WEINBACH |
WEINBACH ワインバッハ
チェコスロバキア製 (現在:チェコ共和国) ペトロフ社のブランド
※日本製にも同名のピアノあり?
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WEINBURG 画像クリックでHPへ戻る |
WEINBURG ワインバーグ 韓国(三益) 詳細不明
機種:SU-42F等 |
WEINBERGER
★★





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ワインバーガー WEINBERGER
韓国製。ローゼンストックやエッシェンバッハと同系のピアノです。
ワインバーガーは小さなタイプのピアノのみ。初期タイプはWB109、全盛WB110、後継はWB117。
協立楽器/キョーリツ インターナショナル販売 (KYORITSU INTERNATIONAL INC.)
値段は新品で30万円を切る安価で、電子ピアノを購入しようと思っていた方が、
アコースティックピアノとさほど値段が変わらないならばと選ぶことが多い機種でした。
同系のローゼンストック(RS101やRS108)と並んで、このワインバーガーもかなりの台数が売れたようです。
小型のわりにはそこそこの音量は出ますが、音色・音質はTHE韓国製といった感じです。
JIS規格(日本工業規格)8507・8508 表示承認
■機種バリエーション
黒塗→ WB109E、WB110E、WB117E マホガニー塗→ WB109M、WB110M、WB117M
極限までコンパクトにしたアクション(キータッチのレスポンスが悪いのはこのためです)
→★
ワインバーガー外装の銘柄マーク →★
<ピアノ調律技術者向け附録>
張弦作業に役立つ当該機種ミュージックワイヤー配線仕様 →★
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WEISS |
WEISS ウェイス ドイツ(旧西ドイツ) 詳細不明
|
WEIZENBACH
WEIßENBACH
★★

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WEIßENBACH WEZENBACH ヴァイゼンバッハ
ドイツ クリマ社? バイエルン州ヴァイゼンプルーン
ヴァイゼンバッハピアノは、バイエルン州北部の小さな町、ヴァイゼンプルーンで造られています。
製作者であるドイツピアノマイスター、フランク・デッケルマン氏は1990年に
責任者として勤めていたピアノ会社を辞め、自分と数少ない職人と共にヴァイゼンプルーンに移り、
ピアノ造りを始めました。彼のピアノ造りに対するこだわりはコストダウンの為、オートメーション化され、
安価な材料を使ったピアノ造りを否定し、職人自身の手によるピアノ造りにあります。
そして彼自身の手によって一台一台作られるピアノはゆっくり時間をかけ、最高の材料を吟味し、
納得のいく音色を奏でるまでに丹念に作りあげられています(HPより抜粋)
トレードマーク画像は「白川ピアノ調律所様」からご寄稿頂きました。ありがとうございます!
ヴァイゼンバッハのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
WELBER
★
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WELBER ウェルバー
日英ピアノ製作所(浜松市浅田町)
浜松市浅田町にあった日英ピアノ製作所で作られたピアノ。
昭和30年代のピアノ。
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WELBER
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WELBER ウェルバー
日産楽器(浜松)、内山楽器KK(浜松) 昭和30年代のピアノ。
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WELLINGTON
★
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WELLINGTON ウエリントン
ケーブル・ネルソン(ケーブルピアノ社)で作られているピアノブランドで工場はオレゴン州にある。
大衆向きに大量生産される普及品の楽器とのこと。
ウエリントンのピアノ調律なら経験豊富な調律師 私杉本にお任せ下さい→★ |
WELMAR
★★

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WELMAR ウェルマー イギリス(ロンドン、ストラウド)
ブリュートナーのイギリス代理店であったウェルプデール、マックスウェルは第一次世界大戦後
なんとか生き延びたブリュートナー工場で生産を開始するが、ドイツ製品に対する反感がイギリス中に強まり、
独自のピアノを製造するようになった。
<歴史>
ロンドンのスクワイアー・アンド・ロングソン社は、ロンドンのキャンバーウェルの工場でウェルマーのブランド名で
ピアノ製造をする契約を持ちかけられた。
しかし、そのロンドンの工場は1929年に火災で焼けてしまい、再建後も経営不振が続いた。
高い評判を得ていたにもかかわらずスクワイアー・アンド・ロングソン社は廃業を余儀なくされ、ブランド名は
ケンブル社に買われた。
ウェルプデール、マックスウェル・アンド・コッドが所有するウェルマー・カンパニーはクラパムの新工場へ移り、
その際、スクワイアー・アンド・ロングソン社から有用な人物が参加した。
ウェルマー・カンパニーは137cmと183cmの2種類のグランドピアノを製作した。
ライプツィヒ |